「中小運送事業者を含めたトラック業界全体として2次下請までと制限すべき」――。

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 3月22日、全日本トラック協会は「多重下請構造のあり方に関する提言」と題した文書を公表し、このような提言をした。

 2024年はトラックドライバーを対象とした時間外労働の上限規制がスタートして、物流・運送業界の「2024年問題」がいよいよ本格化していく。その前に、低賃金労働や輸送に対する無責任さの温床になっているとの指摘が多い「多重下請構造」について、業界としてメスを入れた形だ。この提言の中で注目すべきは「水屋」への規制にまで言及している点だろう。

「いわゆる水屋は、全てではないものの、輸送に関しての無責任さ、明確な運行指示のない単なる横流しを行う実態があるため、何らかの規制をすべきである。多くの車両情報を持つ水屋が、実運送事業者の採算を度外視した車両の確保を行うことについては問題がある」(全日本トラック協会「多重下請構造のあり方に関する提言」より)

 「水屋」とは荷主と契約を結び、貨物を預かって自社以外の輸送業者を利用する利用運送事業者の俗称だ。トラックすら持たずに仲介だけ行うのは「専業水屋」と呼ばれる。そう聞くと「ピンハネ」という言葉が頭に浮かぶ人も多いだろうが、仕事のないドライバーや営業力のない零細運送会社に代わって仕事を取ってきてくれることから「運送業界を陰で支えている」と擁護する人も少なくない。

 そんな賛否両論ある「水屋」まで「規制すべき」と言い出すことで、業界団体としてトラックドライバーの賃上げや待遇改善に「本気」だということを広くアピールしたいのかもしれない。

 ただ、そんな真剣な思いに水を差すようで大変恐縮だが、「制限すべき」なんてヌルいことを言っているうちは、日本の「多重下請構造」をなくすことはできないだろう。

●意味のない法改正

 例えば、政府は「多重下請」の弊害を是正するとして、元請け業者に取引管理簿の作成を義務付けるというが、管理簿をつくったらピンハネがなくなるわけではない。「抜け道」はいくらでもある。つまり、米国のように法律で再委託を禁止するなどしない限り、中小零細の運送会社はあの手この手で「多重下請」を水面下でこっそりと続けていくのだ。

 なぜそんなことが言えるのかというと、歴史の教訓だ。

 実は日本では明治時代からさまざまな業界で「多重下請構造」が問題になっていた。時に末端の人々の命が奪われるような悲劇も起きて、そのたびに「多重下請を制限すべき」という声が盛り上がっていた。

 しかし、なかなか多重下請構造はなくならない。

 先ほどの「水屋」と同じで、「仕事がない個人事業主や営業力のない零細事業者を救うためには必要な商習慣だ」という擁護論がどこからともなく盛り上がり、気が付けば何十年もズルズルと続いている。業界がひっくりかえるような大不祥事などが起きて、尻に火が付いてようやく少し動くような感じだ。

 その分かりやすい例が、建設業界だ。

 こちらも運送業界と同様、「多重下請」が当たり前だった。「職人」や「1人親方」といったカルチャーのあるこの世界では、高度経済成長期やバブル期など4次請け、5次請けという話も珍しくなかった。それはつまりピンハネが増えるということなので、末端になればなるほど低賃金という問題がまん延した。

 しかも、下請け企業がミルフィーユのように多層になることで、責任の所在が曖昧(あいまい)となり不正も増えた。分かりやすいのは、1990年東北新幹線の地下工事中にJR御徒町駅北口の通称“春日通り”が5メートル陥没したことだ。これは孫請けの施工業者が凝固剤注入の手抜きを行ったから。

●「末端作業員」の労災死亡事故が社会問題

 ただ、ピンハネも手抜き工事もまだかわいいもので、本当に恐ろしいのは「人命軽視」だ。下請けピラミッドの最下層にいる末端の作業員ほど、危険な場所で作業をさせられて亡くなっていたのだ。

 戦後、労働死者はずっと減少していたが、80年代後半のバブル最盛期に大型工事が増えたことで、労災死者が急増。4割は建設業となった。死者数の増加を当時、マスコミはこう報じている。

「労働省の担当者は『労災の死傷者は孫請け、ひ孫請けなど企業系列の末端にいる人たちがほとんど』という。しかし、信じられないことだが、働く人の安全を守るはずの同省に、建設業の労災死傷者について、元請け、下請けなどの内訳を示すデータはない」(『読売新聞1990年5月6日

 なぜ当時の労働省がデータをつくっていなかったかというと、「多重下請」に過度にメスを入れてしまうと建設現場が回らなくなってしまうからだ。日本経済が成長していくうえで多少の犠牲は仕方がないという考えのもとでスルーされていたのが、下請けピラミッド最下層の人々たちだったのだ。

 このような「多重下請」の問題が20年近く放置されたところで、ようやく「制限すべき」という声が挙がり始めた。

 2009年には日本建設業連合会が「下請けは原則3次以内」という基本方針を打ち出し、14年には可能な限り2次下請けまでを目指すべきという声明も出しているが、あくまで業界団体の方針なのでそこまで強制力はなかった。

 そうやってズルズルと「多重下請構造」が温存されていく中で、スーパーゼネコン・鹿島建設が「2次請けを超える多重下請撤廃」を掲げ始めてから、なんとなくムードが変わってきた。

 同社の押味至一会長が対応した『日本経済新聞』のインタビューによれば、土木現場では9割以上、建築現場でも6割で「多重下請け撤廃」が実現したという。では、なぜ鹿島建設はここにきて急に、半世紀も放置してきた商習慣にメスを入れたのか。

「日本企業は労働者を自前で抱え込まないよう、小集団化して多重下請け構造を構築した背景がある。ただ、多重で管理コストが発生し、技能労働者に行き渡る賃金が減るだけでなく、安全教育や品質管理でゼネコンの目が届きづらくなった」(『日本経済新聞3月6日

 この「品質管理でゼネコンの目が届きづらくなった」ことの分かりやすいケースが、15年に横浜の大型マンションが傾いたことに端を発した「杭打ち不正問題」だ。

●もはや「日本文化」ともいえる「多重下請構造の闇」

 当時、三井不動産のマンションを支える杭打ち工事で「2次下請け」だった旭化成建材が不正を行っていたことが発覚。その後、調査を進めると全国の杭打ち266件でデータ偽装をしていたことが判明した。

 ただ、それよりも驚くのは、この不正に関わった50人以上の「現場責任者」が旭化成建材の社員ではないということだ。工期中だけ出向した下請け、孫請けの人々が「現場代理人」を名乗って作業の指示をしていたのである。

 この「多重下請構造の闇」については当時、多くの議論が行われ、筆者も15年に公開した記事「なぜ建設業界は責任とリスクを“下”に押しつけるのか」の中で問題提起もさせていただいた。

 いずれにせよ、鹿島が半世紀以上も放置していた「多重下請構造」の撤廃に乗り出したのは、「尻に火が付いた」からだ。末端の作業員の賃上げや待遇改善を目指して自発的に着手したわけではなく、自社のビジネスにいろんな不利益が出てきたので追い詰められる形で重い腰を上げただけにすぎない。

 こういう建設業界の事例を学べば、運送業界の多重下請の弊害がそう簡単に是正できるわけがないのは明らかだろう。

 「じゃあやっぱり欧米のように法律などでしっかり禁止して、建設企業が職人を直傭(ちょくよう:事業者が直接雇用をすること)するしかないのでは」と思う人もいるだろうが、それはかなり難しい。

 なぜかというと、「多重下請構造」はもはや「日本文化」と言っていいほど、日本社会に根ざしているものだからだ。

●戦前から社会問題

 実は日本人は「国家有事」の最中、多くの人が貧しい暮らしを余儀なくされていた時代でさえも「多重下請構造」を死守していたという動かし難い事実がある。例えば日中戦争が始まった1937年、軍需工場の仕事が急激に増えたが、実はそれを軍隊や政府から受注していたのは「ブローカー」と呼ばれる人々だった。

 彼らが下請けの業者に依頼、さらにそこから孫請けの家族経営の小さな町工場へという「多重下請構造」が当時もあった。だから当然、今と同じ問題が起きる。

 『読売新聞』の1937年1月22日付記事「中間搾取を排して下請業へ直接註文 市産業局 統制に乗り出す」では、軍需景気のわりに末端の労働者にまともに賃金が払われず、彼らの家族が生活苦に陥るという問題や、責任の所在があやふやになるので納期も守られない「多重下請」の弊害が指摘されている。

 事態を重く見た東京市産業局は、陸海軍や政府から「下請業統制委員」を選出。8万5000以上いる下請け業者に直接注文を試みたが結局、戦争の激化もあっていつの間にかたち消えた。

 また戦後、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)が頭を痛めたのも「多重下請構造」だ。当時、復興の建設現場や運送業界では「労働親方」と呼ばれる人々がたくさんいた。彼らは「親方」として仕事を請け負い、労働者に仕事をあっせんするが、そこで適正な価格を払わず法外なピンハネをするのだ。

 なぜそんな所業ができるのかとあきれるだろうが、実はこの「労働親方」も、仕事の話をもってきた誰かにピンハネをされている。つまり、発注先企業と末端の労働者の間に何人もの「労働親方」が存在して、みんながちょこちょこ上前をはねて末端の労働者スズメの涙程度しか賃金がもらえないという「中間搾取ピラッミッド」ともいう構造なのだ。GHQの担当者は、この「労働親方」を日本の悪しき慣習として、記者たちに対して以下のように厳しく糾弾している。

「この“労働親方”は労働者踏み台として政治的権力を握ろうとしてゐる、しかももっとも憎むべきは労働親方は表面は一般から尊敬されるように隠匿してゐることである。かうした“親方制”は土木建築などの屋外労働に多いが、どしどし暴露して明朗化しなければならぬ」(『読売新聞1946年5月18日

 この後、労働親方は全国で摘発され、搾取されていた労働者60万人ほどを解放したというニュースも流れたが、GHQが去った後は、この「労働親方」問題は社会からパタリと消えている。

●日本社会ではむしろ尊敬されていた「労働親方」

 当然だ。先ほど紹介した戦前のケースからも分かるように、日本は仕事がない労働者や営業力のない零細事業者に、仕事をあっせんする「労働親方」的な人々が当たり前のようにいた社会だ。彼らの多くは、困った人や貧しい人を支える「面倒見のいい人」として地域で尊敬を集めることも多かった。

 個人の自由や尊厳を重要視する欧米人からすれば、多重請負構造は「弱い人たちを搾取する恥ずべきシステム」だが、「和を以て尊しとなす」という日本人からすれば「弱い人たちを支える誇るべきシステム」だ。もっと言えば、日本のビジネスモデルは多かれ少なかれ「中間搾取」を前提に制度設計されている。

 このように欧米と日本の「仕事」に関する考え方のギャップが最も出ているのが「最低賃金の引き上げ」だ。本連載でも繰り返し述べているように、日本を除く先進国東南アジアでは、国や自治体が物価上昇に合わせて最低賃金を引き上げていくのが「常識」だ。

 しかし、日本では「最低賃金の引き上げ」と聞くだけで、脊髄反射で「弱者切り捨てだ!」「失業者が街に溢(あふ)れかえって不況になるぞ」とノストラダムスの大予言ばりのパニックになる人が多い。

 時給1200円などになると、低賃金労働者を「雇ってあげている」という中小企業が経営難に陥って倒産してしまう。労働者は「クビにならないだけマシなんだから、時給1000円でも文句を言わずに感謝して働くべきだ」というのだ。

 こういう考えをしている国は世界でも珍しい。海外の友人にこの話をすると、ほとんどは首を傾げて「小さな会社の経営者の生活を守るために労働者が我慢しているの? それって搾取されているんじゃないの?」と言う。そこで、「搾取どころか、中小企業経営者は地域の雇用を支える立派な人たちだと尊敬されている。だから、政府も彼らを保護するため、最低賃金の引き上げもちょびちょびしかできないんだよ」と説明すると、さらに目を丸くする。

 「労働親方」を痛烈に批判したGHQ民政局のアルフレッド・R・ハッシーは日本について「個人がまったく埋没した国」「個人の権利の主張が認められずただ完全な忠誠のみを負わされている制度の賛美を根本思想とする国」と分析している。

 産業や企業が成長するにはある程度、「個人」が不利益を我慢しなくてはいけないのがこの国だ。搾取される側、低賃金で働く側になった人がなかなかそこから抜け出せないのは、こういう日本の伝統的な労働文化の影響も大きいのである。

(窪田順生)

運送業界の「多重下請構造」がなくならないワケ