【写真・画像】最長幹事長・二階氏、なぜ存在感を放ち続けるのか?「中国とのパイプを一手に引き受けている」「和歌山にだけパンダがいるのも二階氏の力」 1枚目

 一連の裏金問題を受けて、次期衆院選の不出馬を表明した、自民党二階俊博元幹事長。その存在感の根幹にあるものは何なのか。ジャーナリストの青山和弘氏が解説する。

【映像】二階元幹事長を巡る相関図

 二階氏は1983年、44歳で初当選。田中角栄元総理の田中派に身を置くも、1993年小沢一郎氏とともに宮澤内閣不信任案に賛成し、離党して新生党を結成した。その後、新進党自由党保守党保守新党を経て、自民党へ復党する。小泉内閣で存在感を示し始め、経産大臣や総務会長、選挙対策局長と復党組としては異例の出世。2012年の第二次安倍政権が誕生し、派閥「志帥会」の会長となる。77歳で就任した幹事長職を2016年から5年以上務め、歴代最長となった。また二階氏は「親中派」としても知られる。尖閣諸島問題などで日中関係が冷え込んでいた2015年、二階氏は3000人の同行者を率いて訪中。習近平国家主席に安倍総理の親書を手渡し、その後の日中首脳会談を実現させた。

 青山氏によると、二階氏は時々の権力者の「懐刀」として存在感を発揮し、その結果として、数々の功績を残してきた。「時々の権力者から黒子役として力を嘱望されて現在まで脈々と権力を握り続けてきた」。

 小渕内閣での「自自公連立」では、公明党と組みたかった自民党の意向をくんで、当時自由党の国対委員長だった二階氏が仲介役となった。「まず自由党と連立を組み、その後公明党と組んだ。公明党と距離があったため、二階氏の自由党を挟む。その黒子役となった」。小泉政権の「郵政民営化法案」では特別委員会の委員長を務め、「郵政解散」の選挙責任者も担った。また4省庁を国土交通省へ統合し巨大官庁にしたり、防衛庁を防衛省にした「省庁再編」にも関わったことで、後に“道路族のドン”となった。高速道路新幹線整備、デジタルインフラなどの「国土強靱化計画」では、堤防建設などの防災政策に取り組み、「二階氏に頼めば、なんでもやってくれる。すぐ官僚に電話して、官僚は震え上がって二階氏の言うことを聞く。日中首脳会談の実現」では、田中角栄氏による日中国交正常化から続く「中国とのパイプ」を一手に引き受けている状況だという。「反中の保守派議員が増えるなか、中国と話をしたければ、二階氏を頼るしかない。マイナス面も指摘されていて、和歌山にだけパンダがいるのも二階氏の力だ」という。

 あらゆる実績を残したなかで、もっとも存在感を示すきっかけとなったのは、安倍政権だと青山氏は指摘する。

安倍総理は人気だったが、自民党総裁は2期で辞めるルールがあった。二階氏が幹事長として、それ以上できるように党則を改正した。長期政権は二階氏のおかげ。中国に対して厳しい安倍氏だが、長期政権を築くためには、親中の二階氏を使う必要があった」

 青山氏は、そうした「生き延びるしたたかさ」が、二階氏の権力の源泉になったと語る。「次の選挙には出ないというやり方も含めて、政治的な手練手管に長けている」と評した。

 かつて二階派に所属していた元衆議院議員宮崎謙介氏は、「二階氏が政治家として執念を形にした」と感じたエピソードとして、日本が提案し、国連採択された「世界津波の日」(11月5日)の制定に向けた動きを紹介する。

11月5日は、江戸時代和歌山県で大きな津波が起きた日。(制定実現のために)全派閥の議員に、約150ある各国の在日大使館へ、『こういう提案をしたい』と親書を持って行かせた。幹事長ポストを使って、世界に対する影響力を持つ、その政治手法にびっくりした。色々な人をうまく使って、自分の目的を達成する。その戦略を考えるのは天才的な人だと思っている」(宮崎謙介氏)

(『ABEMA的ニュースショー』より)

最長幹事長・二階氏、なぜ存在感を放ち続けるのか?「中国とのパイプを一手に引き受けている」「和歌山にだけパンダがいるのも二階氏の力」