京都には、数多くの名建築が現在も残されています。京都大学を中心に、長い年月のなかで、さまざまな建築家により改修や増築がおこなわれた建築物を見てみましょう。おさんぽしながら1時間で見ることのできる名建築を、著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より、円満字洋介氏が解説します。

歴史的な建物の正しい修理を考えてみる

古い建物を改修する方法はたくさんある。建物の傷み具合や予算や工期に合わせて柔軟に取り組む必要がある。もっとも大事なのは、すべてを新しくしてしまわないことだ。いい具合に古びていくことをエイジングというが、それは自然の働きだけでなく、建物を守ってきた幾人もの先人の考えや思いでできあがっている。それを尊重することが1番大切なことだと思う。

 

誇らしげな大アーチ

京大を中心としたルートは、京阪神宮丸太町駅からスタートだ。旧京都織物会社の事務所棟を兼ねる、まるで凱旋門のような大きなアーチの門である。この工場は、京都の伝統産業の近代化のために誘致された本格的な近代工場だった。その誇らしさを大アーチは示しているのだろう。鴨川に向かって開かれたこの門は、かつては通りからよく見えたが、今では前に別の建物が建ち、通りからまったく見えないのが残念だ。

 

大倉の最初期アールデコ

近衛通りを東へ進み、京都大学附属病院旧産婦人科病棟が次の目的地だ。大倉三郎の最初期の作品のひとつが大阪の生駒ビルヂングだが、それと感じが似ている。生駒ビルヂングが1930年、これが1931年、どちらもアールデコといえるだろう。ダイナミックな曲線の玄関庇を黄色い大判タイルの円柱が支え、まるでリゾートホテルのエントランスのような玄関まわりだ。水平ラインが通るのがモダンでかっこいい。玄関脇の照明を壁のなかに仕込んでいるのもうまい。船のブリッジのようなコーナーの連続窓も巧みである。

 

清新なデザインのレンガ

近衛通りをはさんで北側の京都大学医学部生理学教室研究室は、山本治兵衛と永瀬狂三の手によるものだ。山本は銀座レンガ街を手がけた旧幕府系の棟梁立川知方に入門し建築を覚えたらしい。作品としては奈良女子大学本館が有名だろう。この建物の簡略化されたディテールや三角の屋根窓に半円のガラリ窓を組み合わせた清新なデザインも山本のものと考えてよいだろう。永瀬は武田や片岡によく似たセセッションスタイルが持ち味だ。

自由自在のレンガ

となりの医学部解剖学教室本館は、焼き過ぎレンガと石材をうまく使って壁面を飾っている。山本のデザインは堅実なだけではなく、華やかさも持ち合わせているようだ。窓台がレンガ壁からほとんど突きだしていないため、陰影が薄く軽やかな壁面になっている。また、窓まわりのレンガの角を斜めに面取りすることで、シャープな陰影が出ることを防いでいる。こうした大胆なデザイン手法を彼はどこで覚えたのだろうか。

 

実直な洋風木造教室

医学部解剖学教室講堂は、山本の実直さがよくわかる建築である。洋風建築はガラス窓の大きさで決まる。少し縦長のガラス板の大きさは決まっていて、その倍数で窓の大きさを決める。窓の高さに合わせて下見板をぴったりと割り付けている。1階の窓上には雨よけのための小さな庇を取り付けているのも行き届いた配慮だ。外からは全くわからないが、この講堂は階段教室で、2階に見える窓は教室の上段にあたるのだ。そんな難しい設計条件をぴったり納めて、なおかつこれ見よがしなところがないところがえらい。

思いをつなぐ連係プレー

東側の増築は、扁平な煙突を含む北側入り口まで(旧発生学研究室)が永瀬で、その東側(旧組織学研究室)が大倉だ。西側の講堂部とも繋がっており、山本─永瀬─大倉と無理なく増築していった様子が伺える。先人の作品を尊重するという気持ちが伝わってくる作品である。

 

表現主義的建築の典型

近衛通りに出てさらに東に向かった楽友会館は、森田慶一の最初期の作品だ。Y字型の柱で支えられた半円形の玄関ポーチが特徴で、表現主義的建築の典型として紹介されることが多い。先端のカーブに合わせて瓦を葺くなんて、どうやったらできるのだろう。玄関アーチは変形ポインテッドアーチになっていて、玄関の内壁は砂岩系の石貼りで絵や文字が刻まれているのが楽しい。内部の古い部分もよく残されていて、照明器具など見どころは多い。レストラン「近衛Latin」は2021年に営業終了した。

 

最初期鉄筋コンクリート造土蔵風書斎

一旦京都大学をあとにして、真如堂のふもとの坂道を登り切ったところに百石斎はある。書斎といっても外観は土蔵にしか見えないが、現存の鉄筋コンクリート造りとしては最初期の部類だ。百石斎が土蔵にしか見えないのは、吉田山の中腹で真如堂の隣というロケーションに田辺朔郎が合わせたのだろう。田辺は明治最初期の土木学者で、京都疏水を設計したことで知られる。大正5年から京都帝大で教鞭をとり、学校に近いこの地に居を構えた。

 

京大キャンパス最古の門

吉田山の南裾をおりて、東一条通りに出たところの京都大学総合人間学部正門は、木造ながらよく残っている。何度も修理されたに違いないが、当初のデザインがほぼ残っているようで、扉の目の高さに窓を開けているのがおもしろい。

 

赤が効いてるYMCA

そのまま西へ進むと京都大学YMCA会館ヴォーリズの作品だ。円に逆三角はYMCAの古いマークだが、それがいろんなところに付いているのがおもしろい。最近の改修で窓枠を竣工時の赤に戻した。改修後の評判もおおむね良いらしいが、わたしは色が少し暗いのではないかと思う。風化のため木目が立ち過ぎてペンキは塗れなかったようで、仕方なく染みこむタイプの塗料を使っているが、そのため木目の影が出てざらっとした見かけになった。修理は難しい。

円満字 洋介

建築家

(※写真はイメージです/PIXTA)