「物忘れ」はだれにでも起こり、40代からすでに始まっています。そのような場合、「体験の細部」を忘れるパターンはあまり心配ありませんが、体験自体が抜け落ちるようだと、注意が必要です。※本連載は、医師・常喜眞理氏の著書『オトナ女子 あばれるカラダとのつきあい方』(すばる舎)より一部を抜粋・再編集したものです。

認知症の入り口でもある“物忘れ”…質の変化に注意しましょう

記憶障害とは、いわゆる「物忘れ」のことです。誰にでもありますよね。私もしょっちゅうです。記憶力の低下はすでに40代から始まっており、珍しいことではありません。

しかし物忘れは認知症の入り口でもあり、2つのあいだは“なだらかな坂”のようにつながっているのです。私自身も、すでにかなり坂を下っていると認識しています。認知症はもはや親の世代だけでなく、私自身の問題です。他人に社会的迷惑をかける段階となれば、対応を考えなければなりません。

さて、物忘れはその質の変化に注意が必要です。物忘れにも種類があって、ひとつは「体験の細部を忘れてしまう」もの。昼ごはんに何を食べましたか?と聞かれて、「あれ、カレーだったかな、ラーメンだったかな?」とすぐに出てこない。割と、よくあるのではないでしょうか。この段階では、あまり気にしなくてもいいでしょう。

注意が必要なのは「体験そのものを忘れてしまう」もので、昼ごはんの例で言うと、「昼ごはん………食べたかな? いや、食べてないな」(本当は食べている)という反応です。

これは昼ご飯を食べた体験ごと抜け落ちているわけで、すでに認知症の領域に入っています。

認知症レベルの物忘れにもいくつか段階があります

 近時記憶障害 

これが“昼ごはん”の例に当たります。つい数時間から数十分前の記憶が抜け落ちている状態です。同じ話を何度も繰り返すというのも、これに当たります。

 即時記憶障害 

近時記憶障害が進むと、単語や数字をおうむ返しすることができなくなります。「3、4、8。この数字を逆から言ってください」という問いに手こずるようになります。

電話番号も一度聞いただけでは、覚えられなくなります。

 見当識(けんとうしき)障害 

記憶障害がさらに進んで、月日や時間の識別が難しくなっている状態です。

「今日は何日ですか」という問いに答えられない。あるいは「いまの総理大臣は誰ですか?」という問いに、小泉さんだったかしら………という状態。

私の知っている例では、夕方の4時と間違えて朝の4時に銭湯に行ってしまい、結局、警察に保護されたというケースがありました。

このうち「見当識障害」まで行くとかなり進行した認知症なのですが、先ほど言ったとおり、物忘れと認知症のあいだは“なだらかな坂”です。

70代になったら、自分でも、そして周囲の人も、「近時記憶障害」が頻繁に出るなどの認知症進行のサインがないか、常に注意するようにしてください。

記憶力の低下は、このように「時間」から始まり、次に「場所」、そして最後が「人」になります。

ちょっとお勉強~認知症のしくみ

次に、日常の生活で実践できる認知症対策についてお話ししますが、実は認知症のメカニズムは、まだはっきりとはわかっていません。ここからは、おそらくこうであろうという、日々の診療現場で感じている私自身の実感をお話しますので、そのように認識した上でお読みいただければと思います。

さて、記憶を司る大脳もまた、他の臓器と同様に老化していくのですが、ほかにも脳の大事な部分である「視床下部」の働きが加齢とともにおとろえていきます。

視床下部は脳の一部で、感情や五感から得た情報をもとに、大脳や他の臓器に行動の指令を送っています。たとえば次のような具合です。

食べ物が腐っていることを匂いと味で感じる

 ↓

視床下部に伝わる

 ↓

食べるなと視床下部が大脳に命令する

 ↓

大脳は食べるのをやめる

大脳は、人間で一番えらい臓器と錯覚しがちですが、実は視床下部に管理されている部下でもあります。認知症の手前で匂いがわからなくなるのは有名ですし、体温の上昇を感じにくくなって、熱中症になりやすくなるのもその一例です。五感からの情報が視床下部をとおしてうまく大脳に伝わらず、正しい行動をとれなくしてしまうのです。

記憶障害・認知症の原因は、「五感・視床下部・大脳」それぞれの劣化に加えて、この三者間で伝達される情報の質・量の劣化があると考えられています。五感から入ってきた情報を、取り出せる記憶として大脳にきちんと収められないわけです。

となると対策として、この情報のやり取りを活発化する方法が浮かび上がってきます。

さまざまな刺激を体に感じ、それに反応するという一連の動作により、視床下部を中心としたネットワークをリフレッシュさせるのです。

◆対策その1 体を動かすことが脳を活性化します

まず考えられるのが、運動神経細胞の活発化です。要するに運動すること。

しかし運動といっても、走ったり、飛んだりするだけではありません。喋ったり、歌ったり、あるいは料理も立派な運動です。

たとえば認知症対策としてカラオケがよく言われます。歌詞を目で見て確認し、リズムや伴奏を耳で聞き、それらがぴったりフィットするタイミング・音程で声を出す。五感、視床下部、そして大脳や他の器官とが、複雑に連携するのが“カラオケで歌う”という行為なのです。

しかも歌うことは、たいていの人にとって楽しいことではないでしょうか。仲間と一緒であればなおさらです。

この“楽しさ”が重要なポイントで、黙々と歩くのが楽しい方はウォーキングでもいいのですが、そうでなければ長続きしません。

料理であれば、必要な材料を決めて買い物に行き、段取りを考えながら、切ったり焼いたり炒めたり。

ときどきは味見も必要です。そして、きれいに盛りつけて、誰かに振る舞う。非常に複雑かつクリエイティブな行為であり、料理好きには楽しい時間でもあります。

◆対策その2 心が動けば脳も動きます

物理的な運動だけでなく、情動面の活発化も、脳の健康とかかわりがあると言われています。情動、なかでも“喜び”を日々感じることが、大切ではないでしょうか。

人は自立をし、人の役に立つことが生きている喜びにつながるのだと思います。

しかし人の心は弱いものです。精神的にも肉体的にも自立したいが、実際には誰かに頼りたい、頼っているというのが現実です。

ならば、それを認識して言葉で表しましょう。家族や周囲の人に、1日1回は心から「ありがとう」と言いましょう。

そして何か人に役立つことをして、自分のことをこっそり褒めましょう。喜びはそうしたところに生まれると思います。

認知症になるとささいなことで怒りっぽくなる方がいますが、これは感情の制御が利かなくなって、寛容さを失っている状態です。情動もまた視床下部が司る部分であり、“喜び”はそのストレスを発散してくれるものだと思います。

さて、認知症対策として「体と心を動かす」ことを挙げましたが、この2つは認知症対策であると同時に、幸せな暮らし方にも通じます。

積極的に人や社会とかかわり、肉体面・精神面ともに自立を心がけながらも、周囲への感謝を忘れない。一見当たり前のようですが、これができない人が多いのも事実です。

1人暮らしの高齢者が増えていますが、あまり人にも会わず、買ってきたお弁当を1人で食べ、日がなテレビを眺めている‥‥‥これでは脳の活性化は望めません。

心身の喜びを大切にする心、人生への前向きな心こそ、最良の認知症対策と言えるでしょう。

本人も周囲も、認知症を受け入れる勇気が大切です

ここまで、記憶障害や認知症対策について述べてきましたが、残念ながら発症する年齢や程度の差こそあれ、ほとんどの人が歳をとれば認知症になります。

認めたくないかもしれませんが、これは避けられない事実です。

私自身、いまのところ体は元気でも、着実に認知症に近づいています。これを読んでいるあなたもそうでしょう。

高齢社会となったいま、このことを改めて社会全体で受け止めるべきだと思います。ACジャパン認知症の啓発ポスターに、こんなコピーがありました。

58歳の時に認知症と診断された。

それがどうした」と

言ってくれた人達がいた。

いい言葉だなあ、と思いました。

本人も周囲も、この症状に対してオープンな心を持つ。そんな世の中であれば、認知症もそれほど怖くないかもしれません。

心がけたいですね。

常喜 眞理

家庭医、医学博士

(画像はイメージです/PIXTA)