前人未到の将棋8大タイトルを独占する藤井聡太八冠。改めて何がすごいか――“芸人界初の観る将”を自認する、ランパンプス寺内ゆうきが、将棋のルールを知らない人でもわかる「藤井聡太のすごさ」について解説する。

◆八冠制覇という快挙

 現在、およそ170人の現役棋士が全員、タイトルを目指して毎日しのぎを削っています。

 多くの棋士にとってまず、タイトル戦に「挑戦」することが大きな壁です。タイトル戦に挑戦するということは、タイトルホルダー以外の全員を倒したということなんです。それだけでもすごいことです。だって年間8人しかいませんから。

 そして挑戦権を獲得したら、やっとタイトル戦です。普段は将棋会館で行われている対局ですが、タイトル戦は違います。日本各地のホテルや旅館、お寺などが対局場となります。また前日には、使用する駒や、対局場の空調・照明の確認などをする検分という作業や、主催企業や将棋ファンとの前夜祭が行われます。もう普段の対局とは全然勝手が違うんですよね。

 そんな異質な雰囲気で行われるタイトル戦で、すでに君臨しているタイトルホルダーを倒すことができれば初めてタイトル獲得です。将棋連盟ができてこれまで340人の棋士がいました。その中でタイトルに挑戦したことがある棋士は78人です。つまり23%の棋士しかタイトル戦を経験したことがないということです。そしてタイトルを獲得したのは45人。たった13%です。

 ただでさえなるのが難しい棋士という職業の中の13%しか獲ることができないタイトル。どれだけすごいことかわかりましたかね? すごいですよね?

 それを藤井聡太さんは8種類全部獲っちゃったんです。同時に。コンプリートっす。前人未到の史上初です。すごすぎます。

 初タイトル挑戦は2019〜2020年に行われた第91期棋聖戦藤井聡太さんが17歳の時です。当時三冠の渡辺明棋聖(三冠だって相当すごいです。今までに10人しかいません)に挑戦し、3勝1敗で奪取します。

 17歳と言ったら、僕は部活終わりにコンビニでガリガリくんを貪り食べてた扶養家族の頃です。その17歳が家から離れた旅館で、前夜祭に大人たちに囲まれながら挨拶して、インタビューに答えて、写真撮影なんかもしたりして、次の日には歳が20も離れた三冠王と対局するんです。これだけでも快挙。しかも勝っちゃうんだから。

 そこから王位戦叡王戦竜王戦王将戦棋王戦名人戦王座戦と一度も失陥することなく、21歳の時に八冠を達成しました。初タイトルから3年間、8回の奪取と10回の防衛。負けなしです。

 もう僕は怖いんですけど、これからずっと藤井八冠が勝ち続けちゃうんじゃないかって思っちゃう時があります。絶対そんなわけはないんです。きっといつか八冠の牙城を崩す棋士が現れ、素晴らしい対局を見せてくれるでしょう。

 ちなみにまだ7つしかタイトルがなかった頃に羽生善治九段が達成した七冠ですが、その七冠保持期間は167日でした。羽生善治九段ですら全冠制覇していた時期はおよそ半年だけだったんです。藤井八冠はどれだけ続くのか楽しみです。

◆小学生でプロに勝る終盤力

 将棋が強くなるための方法としてよく挙げられるのが「詰将棋」です。

 詰将棋とは相手玉(相手の王将のこと)をもう絶対に逃げられない「詰み」という状態にする将棋のパズルのようなものです。なので将棋の“終盤力”を鍛える練習にはとてもいい方法なんです。

 1回動かして詰みになるものを一手詰、3回動かして詰みになるものを三手詰といいます。必ず奇数です。なぜなら偶数は相手の手番ですからね。

 アマチュアなら五手詰でもスムーズにできれば相当強いです。が、棋士は平気で十三手詰や十五手詰を解きます。

 そしてその“詰将棋力”を競う大会があります。それが「詰将棋解答選手権」です。

 この詰将棋解答選手権は初級戦、一般戦、チャンピオン戦の3段階にクラス分けされています。中でも最難関のチャンピオン戦は、詰将棋好きがプロアマ問わず、10問の詰将棋を180分で何問解けるかという超ストイックな大会です。難易度設定は参加者が全員解けそうな問題から、正解者が1人出ればいいだろうという超難問まで。

 そんな詰将棋解答選手権に彗星の如く現れたのが藤井聡太少年。2015年に、なんと小学6年生で全問正解して単独優勝してしまったのです。当然、将棋界では大きな話題になりました。

 参加者には過去6回の優勝を誇る詰将棋の名手「スーパーあつしくん」こと宮田淳史六段など棋士も数多く参加していました。その錚々たるメンバーを薙ぎ倒して小学生が優勝しちゃったんです。つまり当時からプロをも凌ぐ終盤力があったと言えます。

 まあ、なんかのまぐれで優勝することもあるからね。そう思ってる方もいるかもしれませんが、ここからが藤井聡太さんの怖いところ。そこから5連覇しちゃいます。5連覇。もう誰も寄せ付けません。

 そしてコロナ禍の影響で開催が見送られていたチャンピオン戦が2024年の3月、5年ぶりに開催されました。空白の5年の間に八冠となった藤井聡太さんの6連覇が期待されましたが、残念ながらご多忙のため不参加でした。今回優勝したのは古賀悠聖六段。新チャンピオンとなった終盤力を武器に、これからの活躍を期待してしまいます。

◆軌跡の全てが最年少記録

 これまでの話で、藤井聡太八冠がどれほどすごいかはわかっていただけたと思います。

 しかし、まだまだこんなもんじゃ終わりません。藤井聡太八冠について調べれば調べるほど、すごいが波状攻撃してきます。すごいが永続的に続きすぎて、普通のすごいがすごくないと思ってしまうくらいです。

 では、何がどうずっとすごいのかをお教えしますね。それは、歩んできた道のり全てが最年少記録ということです。何かを達成するたびに最年少記録。塗り替えまくってます。さながら左官職人のようです。塗り替えた最年少記録は30個以上あります。以下に書いてみますね。

四段昇段(プロ入り) 14歳2ヶ月
初勝利 14歳5ヶ月
通算50勝 15歳4ヶ月
全棋士参加棋戦優勝 15歳6ヶ月
六段昇段 15歳6ヶ月
七段昇段 15歳9ヶ月
通算100勝 16歳4ヶ月
タイトル挑戦 17歳10ヶ月20日
タイトル獲得 17歳11ヶ月
八段昇段 18歳1ヶ月
二冠達成 18歳1ヶ月
通算200勝 18歳4ヶ月
タイトル防衛 18歳11ヶ月
九段昇段 18歳11ヶ月
三冠達成 19歳1ヶ月
四冠達成 19歳3ヶ月
五冠達成 19歳7ヶ月
タイトル10期獲得 20歳1ヶ月
通算300勝 20歳5ヶ月
六冠達成 20歳8ヶ月
七冠達成 20歳10ヶ月
八冠達成 21歳2ヶ月
タイトル20期獲得 21歳6ヶ月

 これらが全部最年少です。目立ったものを時系列順に書きましたが、実は他にもたくさんあります。JT杯、銀河戦、新人王戦などタイトル戦でない棋戦も最年少で獲得してます。

 特に最年少タイトル挑戦の17歳10ヶ月20日はすごい記録です。

 2位の屋敷伸之九段がそれまで持っていた記録は17歳10ヶ月24日。当時、この記録はもう破られないだろうと言われていました。だってタイトル挑戦できる棋士ですら歴代棋士の23%しかいなくて、それを17歳で獲っているなんてすごすぎますから。

 3位の羽生善治九段が1年以上離れた19歳0ヶ月22日ですから、屋敷九段がどれだけぶっ飛ばしてきたかわかります。

 さすがの藤井くんも屋敷さんは抜けないか……なんて当時の将棋ファンは思っていたのですが(すいません、将棋ファン全体みたいな書き方しましたが、僕の主観です)、棋聖戦トーナメントを勝ち進んでいくうちに、これ行けんじゃね!? って空気になりはじめました。屋敷さん抜くんじゃね!? って。

 藤井聡太七段(段位は当時)の強さと勢いに誰もが記録更新を期待しだしたちょうどその時、コロナ禍による緊急事態宣言が発令。なんと対局が次々と中止になっていきます。

 あれ? これどうなっちゃうの? ってみんなが思いました。だって、もし藤井くんが予定通りにタイトル挑戦したら最年少記録っぽかったけど、コロナで予定がずれ込んじゃったら無理なんじゃん? って。

 しかし、棋聖戦の運営さんは頑張ってくれました。緊急事態宣言が解除されてからすぐに対局を再開し、当初予定されていた6月8日棋聖戦の第一局を行います。それまでに、ちょっとぎゅうぎゅうだけど残りの予選詰め込みます! って決めたんです。

 対局者からしたら、急に対局が中止になったり、かと思えば詰め込まれたりとイレギュラーの連発にコンディションを整えるのは大変だったと思います。

 しかしそんな状況でもしっかりと準備をし、勝ちを重ねて、藤井聡太七段はタイトル挑戦を決めたんですね。その記録が17歳10ヶ月20日。屋敷九段の記録を4日更新したことになります。

 藤井八冠の最年少記録の裏には、こんなお話も隠されていたんですね。

藤井聡太は高校3年の3学期に高校を辞めている

 詰将棋選手権で初優勝をした頃、藤井少年は中高一貫校への進学が決まっていました。それは高校受験が将棋の邪魔にならないように、いや、高校卒業まではしてほしい、というご両親の思いもあったのかもしれません。

 しかし、実際は中学2年生で棋士になり、高校3年生の時にはタイトルを獲得しました。予想以上のスピードで学業どころではない状況になっていったのです。

 住まいの愛知県から、対局は東京か大阪へ。さらにタイトル戦となると全国を飛び回ります。対局だけではなくイベント、研究、移動、休息。棋士として費やさなければいけない時間はたくさんあります。そうなると、学校にいけない日が増えてくるんですね。

 そして高校3年生の3学期。藤井聡太二冠(当時)は自主退学という形で高校を中退します。

 もったいねー!!!

 そう思ったのは僕だけじゃないと思います。高校3年生の3学期ですよ? あとちょっとじゃん!なんであと3か月がんばらなかったの? 学校側もさ、なんかうまくできなかったの?

 部外者ってのはいつも勝手なことを思ってしまいますよね。

 でも、藤井さんの当時の言葉を聞いたら、なんて僕は浅はかだったのかと自分が恥ずかしくなりました。自主退学についてのインタビューで、当時の藤井さんはこう答えています。

「高校では棋士だけでは経験できないことがいろいろとありました。だから卒業自体にこだわる必要はないのかなと思っています」

 棋士という生き方を決めた人生に、高卒の資格は必要ないことをわかった上で、高校生活という経験はするべきだと考え、それができたのだから十分だと、そう言ってるんですね。

 その後に一言、「心残りはありません」

 かっけーーーー!!!

 言えますか? 僕なんて心残りばっかりですよ。もっと勉強しときゃよかったとか、もっと真面目に部活やっときゃよかったとか、もっとモテておけばよかったとか。棋士というとても厳しい世界の中で生きているからこそ、“高校生活を体験できたというだけで十分です”って思えるんでしょう。

 実際、3年生になってから学校にはほとんど通学できておらず、卒業するには出席日数が足りない状態だったそうです。藤井二冠はもう一年通って卒業するよりも、棋士として生きるという決断をしました。藤井さんらしい読みの入った一手です。

 僕は芸人をやっていますが、一応大学を卒業しています。

「学歴だけは藤井聡太に勝ってまーす! イェーイ!」

 みたいなことを書こうかなって思っていたのですが、書いているうちに恐れ多すぎて冗談でも書けなくなってしまいました。すみません。

ランパンプス寺内ゆうき
吉本興業所属芸歴13年目のお笑い芸人。「小中高の教員免許」「保育士資格」「将棋文化検定2級」等様々な資格を取得。楽屋で先輩に誘われた将棋でボロ負けしたことをきっかけに将棋の勉強を始める。まずは将棋を指すことに没頭したが、次第にプロの将棋を観戦するようになる。「観る将」という言葉が現れる前からの観る将棋ファンであるため、“芸人界初の観る将”を自負している。年間のプロの将棋観戦は1000局以上。吉本興業に将棋部を立ち上げ、関東将棋ブ!の部長を務めている。またYouTubeチャンネル「よしもと将棋芸人と金チャンネル」を開設

ランパンプス寺内ゆうき