古くから宝石の採掘地だったタイ。現在、カラーストーン輸出国としては世界1位で、宝石の加工技術もトップクラスを誇る。その地理的優位性から、世界有数の集積地として栄えてきた。2023年5月、バンコク在住歴4年のSATOKO HIRATAさん(41)は、現地でジュエリー事業を立ち上げた。

 もともと大手広告代理店・電通に勤務していたが、夫の転勤を機にタイ駐在妻となり、そこから3年足らずでプロの宝石商へと転身を遂げた。彼女はなぜ宝石に魅せられ、異国の地でどうやってジュエリーの世界を開拓してきたのか。起業に至るまでの道のりを聞いた。

◆居場所を失ったタイ駐在妻

 新卒採用された電通で、マーケティングやPRの部署に勤務していたSATOKOさん。34歳で結婚し、第一子を出産。同時に夫のタイ駐在が決まり、2019年4月、育休を取得して首都バンコクに家族3人で渡った。

 だが、異国で新生児を育てる駐在妻生活は、想像以上に孤独だった。仕事ほど熱中できるものも、心の支えとなるコミュニティーもない。夫は仕事で多忙を極め、ワンオペ育児が続くなか、自分らしさを見失い、やるせない日々を1年近く送った。

 2020年3月、未曽有のパンデミックをきっかけに母子帰国を決意し、日本で復職も果たす。だが半年後に夫婦で話し合い、「家族そろって暮らすことが一番の幸せ」という思いに至った。タイに戻り、駐在妻生活をリスタートした翌月の2020年11月、運命のジュエリーとの出会いが訪れた。

◆タイ産ルビーから始まった「ジュエラーへの道」

 そのきっかけは「感謝と労いの気持ちを込めて」と、夫がプレゼントをしてくれることになったジュエリーだ。SATOKOさんが選んだのはタイ産ルビー。幼少期から、母や祖母が日常的にジュエリーをまとう姿を目にしてきた彼女にとって、宝石は身近な存在だった。

「世界最高峰のルビーといえば、ミャンマーのモゴック産です。でもタイ産にはそれを凌駕するものがあると、昔、母が教えてくれたんです

 タイ産ルビーは熟れたザクロのようなダークレッドが特徴で、最高品質の石はすでに枯渇し、入手が困難だった。そのうえ、当時の彼女は素人同然。バンコク中の宝飾店を探し回り、ようやく鮮やかで艶のあるタイ産ルビーのイヤリングとネックレスと巡り合った。だが、地金は安価なシルバー製。「大切な人からの贈り物に妥協はしたくない」と悩んだ末に、思いついた。

いずれは娘に譲れるくらい長く使えるよう、18金に仕立て直そう!

◆プロの宝石バイヤーの門をたたく

 そこからバンコク中の宝飾店を巡り、交渉を重ねた。問題は、どの店の誰を信用してよいのかさっぱり見当がつかないこと。2020年12月、SATOKOさんは大胆な行動に出る。バンコク在住のプロバイヤーに直談判し、教えを請うたのだ。

買い付けに60時間ほど同行して、目利きから商談の作法までみっちり学びました。グレーディングの世界は底なしの奥深さ。タイには日本で滅多に出会えない最高ランクの石や希少石がゴロゴロ流通していて、興奮が止まりませんでした」

 一度興味を持つと、とことん突き詰める性分の彼女は、バンコク開催の日本人向け「宝石鑑別クラス」を45時間受講。宝石鑑定のディプロマ(資格)を取得した。独学でジュエリーデザインを学び、世界最高峰の宝石鑑別機関「GIA」でも学びを深め、いつしか宝石の世界にどっぷり浸かっていた。

◆「石選び」はその人を表す鏡

 2021年10月には第2子が誕生。家事や育児をこなしつつ、宝石の勉強に情熱を注いだ。宝飾品は、ステータスの象徴や富裕層の贅沢品として捉えられることも少なくない。彼女は「そのような考えは否定しない」としつつ、「それ以上にもっと奥深い魅力があるものです」と力を込める。

「石を選ぶ際は、あらゆる感覚を研ぎ澄まし、『これが一番!』と入魂して選び取っています。その1石を使ったジュエリーを身にまとうたび、自分を肯定し、満たすことができると思うのです

 1500以上のブースや店舗がひしめく宝石市場に毎日のように通いつめ、宝石卸業者やジュエリー職人との関係もゼロから構築。インド系や中東系、アフリカ系など、やり手宝石商との交渉は一筋縄にはいかない。そこで、体育会系の広告業界で培った彼女のサバイバル力は大きな武器となった。

◆「宝石への偏愛」を突き詰めた先で

 しかし当時のSATOKOさんにとって、ジュエリーの勉強はあくまで“趣味の一環”。夫の会社からは2022年末頃に本帰国と聞いており、15年以上携わってきたマーケティングやPRの仕事を愛していた彼女は、そのタイミングで職場復帰するつもりだった。だから、育休の期限が迫るなかで「駐在期間が延びた」と夫に告げられた時は、頭を抱えた。

「このままでは私の人生が、自分の意思とは関係ないところで動かされてしまう。日本での仕事も、タイでようやく手応えを感じ始めた宝石の世界も、どちらも手放したくない。自分の人生の舵は自分で取り、自分で進むべき道を選択したい!

 そのとき初めて、彼女の中に“起業” の2文字が浮かんだ。頼れる人がいない海外でビジネスを起こすなど無謀かもしれない。それでも……。2023年2月、ついに覚悟を決めた。「私はタイで起業する」と最後に彼女の決断を後押ししたのは、我が子の存在だったという。

「もがきながらも自分を信じて突き進む母の姿が、彼らにとって人生に迷ったときの道しるべになるかもしれない。自由に生きていいんだよって、その背中を押せるかもしれない。そう思ったんです」

◆電通を退職して怒涛の起業準備

 2023年3月、彼女自身の自己資金を元手に、怒涛の起業準備が始まった。コネも情報もないなか、夫や友人に紹介してもらったバンコク在住の日本人経営者数名を訪ね、助言を請うた。

 現地でタイ法人を立ち上げるには、タイ人パートナーに加え、外国人1名に対して4名のタイ人を雇用する必要がある。その採用活動と並行し、法人登記や商標登録、日本でのビザ発行、タイでのワークパーミット申請など、目が回るほど多忙な日々を駆け抜けた。

「毎日がパニック状態でした(笑)。でも不思議と、どんなに疲れていても無限に力が湧いてきたんですよね

 2023年5月、彼女は17年勤めた会社を退職した。長年背中を追い続けた上司にメールで報告すると、こう返信があった。「相変わらずの好奇心の旺盛さというか、前のめり感の強さというか、”らしい決断”だと思いました。これからの活躍、とても期待しています」。

 そして同月、タイで自身の会社を設立。社名の「KIRANA」(キーラナ)はサンスクリット語で“一筋の光”を意味し、「その人の一番輝くところに光を当てたい」という想いが込められている。

バンコク都心の高層ビル内のオフィスを訪ねると…

 取材の日、バンコク都心の高層ビル内にあるSATOKOさんのオフィスを訪ねると、秘書のタイ人女性が「こんにちは」と、堪能な日本語で迎えてくれた。シックな黒のワンピースを纏ったSATOKOさんは、「毎日ドタバタですが、今のほうが自分らしくて楽なんです」と軽やかに笑う。

 彼女が手掛ける事業はふたつ。経営上のリスクヘッジを兼ね、電通時代の知見を活かしたBtoBの「マーケティングコンサル事業」。そして、BtoCの「宝石・宝飾事業」だ。

「宝石・宝飾事業」では、大きく分けて2種類の依頼を受けている。石の買い付けから鑑定、カウンセリング、ディレクションまでのジュエリー制作を一気通貫で請け負うオーダーメイドと、思い出のリングやネックレスのリモデルだ。

「お客様の国籍は日本人を始め、アジアや欧州など様々です。最初のヒアリングでは、ご要望とともに核となる信念や価値観について深くうかがい、その方の最も美しい部分に共鳴する石をお選びしています」

◆ジュエリーで人生に光を

 夫の駐在が終わったらどうするのか。「今はとにかく会社の成長に全力を注いで、みんなの幸せに繋がるサイクルを築きたい」と話す。

「今後の展望は?」と尋ねると、力強い眼差しで語ってくれた。

ご縁をいただいた方の人生を最大限に輝かせるジュエリー作りに魂を燃やしていきます。身にまとうだけで満たされ、自分らしく輝けるもの。さらにその方の大切な人にまで愛と光の輪が広がっていくようなジュエリーを、人生を賭けて作っていきます」

 彼女の新たなステージは、幕を開けたばかりだ。

<TEXT/日向みく>

【日向みく】
バンコク在住ライター。岡山出身。キャリアやビジネスに関する取材・インタビュー記事をメインに執筆中。オンラインで日本の著名人取材も行う。世界41か国に訪問歴がある旅好きです。
Twitter:@pippirotta39

タイ・バンコクでジュエリー事業を立ち上げたSATOKOさん