イギリス海軍では、戦争や紛争で任務を終え帰港した際、海賊旗を掲げる習慣があります。一体なぜなのでしょうか。

「潜水艦は卑怯だ」と海軍の幹部が発言

イギリス軍放送局のウェブメディア「フォースネットワーク」は2024年3月27日イギリスの海軍潜水艦博物館にて、第一次世界大戦で使用されていたイギリスのE54潜水艦で掲揚された特別な旗「ジョリーロジャー」の展示が開始されると発表しました。

「ジョリーロジャー」はいわゆる“海賊旗”のこと。同艦が掲揚していた海賊旗は、イギリス潜水艦で使用されていたものとしては現存最古とのことです。実は同艦だけではなく、海賊旗を掲げていた潜水艦は数多く存在しており、イギリス海軍の伝統ともなっています。

では、そもそもなぜイギリス潜水艦は海賊旗を掲げていたのでしょうか。きっかけは、今から100年以上前、1901年にイギリス海軍が最初の潜水艦を進水させた頃にさかのぼります。

当時の潜水艦はまだ魚雷発射機能がなく、目標艦艇の下に潜って曳航式の機雷をぶつけるか、艦艇の侵入経路に機雷を敷設するといった行動が主任務でした。

もちろん水上艦艇に見つかればひとたまりもありませんので、戦場となりそうな海域ではバレないように潜りながら任務を行うわけですが、こうして隠れることが気に入らなかった人もいたようです。後に第一次大戦中にイギリス海軍の武官の最高位である第一海軍卿となるアーサーウィルソン中将(当時)は「卑怯で不公正で全くもってイギリス人らしくない」と評し、「潜水艦の乗組員は捕まった場合、海賊として絞首刑に処すべき」とまで言ったとか。

時代が進んで、第一次世界大戦の開戦から3か月後の1914年9月にドイツ潜水艦であるUボートが投入されて以降、イギリス軍は戦争が終わるまで潜水艦に悩まされますが、イギリス海軍も魚雷が発射可能なE級潜水艦を投入し、多くのドイツ艦船を撃沈しました。

第一次大戦中に抗議の意味で掲揚

そのなかでも、1915年10月に潜水艦E8、E9の雷撃によりドイツ海軍の装甲巡洋艦「プリンツ・アーダルベルト」を撃沈したことは、バルト海に展開するドイツ海軍に大きな打撃を与えると共に、イギリス海軍潜水艦の有効性を知らしめる戦果となりました。

E9の艦長だったマックス・ホートン中佐(当時)は凱旋帰港する際、イギリス海軍潜水艦部隊が、上司から海賊と言われていることを思い出し、あえて海賊旗を掲げて港に凱旋することで、抗議の意を示しました。

以降もE9は哨戒任務を終える度に海賊旗を掲げて帰港しました。やがて他の潜水艦も真似するようになります。海軍はこの習慣を決して認めていませんでしたが、強引に止めさせるわけにもいかず、そのまま放置されることになりました。やがてイギリス海軍のオフィシャルではない習慣として続いていきます。

その後の第二次世界大戦でも、この習慣は継続して行われ、大戦中にはオーストラリア海軍の潜水艦も時折、海賊旗をかかげたようです。

第二次大戦後は、1982年フォークランド紛争チャーチル原子力潜水艦の「コンカラー」がアルゼンチン海軍の軽巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を撃沈した後に、海賊旗を掲げて帰港したそうです。

2000年代に入ってからは、トラファルガー級原子力潜水艦「タービュレント」が2003年にイラクへ向け巡航ミサイル攻撃を行った際に海賊旗を掲げて入港したそうで、まだ伝統は続いています。

※一部修正しました(4月6日11時50分)。

現状最後に海賊旗を掲げて帰港したトラファルガー級原子力潜水艦(画像:イギリス国防省)