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 歴史上の人物の顔は肖像画に残されたものがほとんどで、実際にはどんな顔をしていたのかは想像の域を出なかった。だが最新のDNA分析技術を使えば、詳細な顔の復元が可能となる。

 復旦大学と厦門大学の研究者たちは、約1500年前の南北朝時代、北朝北周を統治していた第3代皇帝「武帝」の遺骨からDNAサンプルを抽出し、武帝の詳細な顔を明らかにした。

【画像】 北朝、北周を収めていた第三代皇帝、武帝

 中国では、北魏が華北を統一した439年から、隋が中国を再び統一する589年の間、南北に王朝が並立していた。この時代を南北朝時代という。

 武帝(543年~578年)は北朝の国の一つ、北周(556年 ~ 581年)を西暦560年から578年まで統治した第3代皇帝だ。

 短命だったこの王朝の中でもっとも長く在位した統治者として、おもに軍事リーダーとしての武帝の名が知られている。

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周武帝(閻立本筆『歴代帝王図巻』より、ボストン美術館蔵 / image credit:public domain/wikimedia

武帝は東アジアまたは北東アジア系の顔だった

 武帝は、現在の中国北部と北東部、さらには古代モンゴルまでも占領していた騎馬民族、鮮卑(せんぴ)系の出だとされる。

 武帝の顔立ちが、鮮卑系族という民族がどんな顔をしていたのか、そのタイプを代表するものであったことは間違いない。

 「私たちは、歴史上の人物に命を吹き込んだのです」研究共著者で復旦大学の人類学者、ピエンンピエン・ウェイ氏は語る。

これまでは、古代の人がどんな姿をしていたかを知るには、歴史書か岩に描かれた肖像画などに頼るしかありませんでした。

今回の研究で、武帝の顔のみならず、鮮卑族の顔の特徴も明らかにすることができたのです(ピエンンピエン・ウェイ氏)

 鮮卑族は濃い髭、高い鼻筋、金色がかった髪といった西洋風な顔立ちをしていると考える学者もいましたと、復旦大学の古代DNA専門家であるシャオチン・ウェン氏は説明する。

 しかし、今回のDNA分析結果から、武帝は典型的な東アジアまたは北東アジア系の顔をしていることがわかったのだ。

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A. 非常に詳細な武帝の頭蓋骨のスキャン、B. 頭蓋骨と抽出されたDNAをベースに復元された武帝の顔 / image credit: Pianpian Wei / Current Biology

武帝の遺骨からDNAを抽出

 武帝の遺骨は、1996年に中国北西部で発掘された。遺骨は墓の中で良好な状態に保たれていて、頭蓋骨は完全に残っていた。

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 近年のDNA抽出技術の進歩によって、大昔に亡くなった人物の詳細な遺伝子研究をすることができるようになった。

 今回、100万個以上の遺伝粒子(科学用語では単一ヌクレオチド多型=SNPという)を回収することができ、これら遺伝子サンプルは、かなり詳細な情報が含まれている宝の山であることがわかった。

 このDNAデータから、武帝の肌、髪、目の正確な色を特定することができた。頭蓋骨の保存状態が良かったため、顔や頭の3D画像を詳しく再現することができただめだ。

 その結果、武帝は茶色の目、濃い黒髪、褐色がかった肌をしていたことがわかり、生き生きした人物像が浮かび上がってきたのだ。

 鮮卑族は現在はもう存在しない民族だが、大陸北部と東部で生まれた現在のアジア人に非常によく似た風貌をしていたことが明らかになった。

 考古学者、人類学者、遺伝学者による綿密な手仕事の成果で、30代半ばの武帝の顔が非常にリアルに再現された。

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鮮卑族であった武帝の顔の復元図 / image credit:Pianpian Wei

武帝は36歳で脳卒中が原因で亡くなった可能性

 武帝の遺骨全体を分析したところ、彼はわずか36歳で亡くなったことが判明した。

 病没したとされているが、政敵に毒殺された可能性もあり、当時という時代を考えるとかなり説得力のある説ともいえる。

 だがDNAの綿密な分析後、ウェン氏、ウェイ氏ら研究チームはまったく別の説を打ち出した。

 武帝の遺伝子構造に特定の異常があるため、脳卒中の副作用で死亡した可能性が高いという。

 武帝は遺伝的に卒中を起こしやすい体質だったとされ、歴史の記録もこの説をある程度裏づけている。

 武帝には当時、失語症、眼瞼下垂、歩行異常、つまり脳卒中の症状が見られたと歴史記録にあるのだ。

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武帝が埋葬されていた考陵墓。①の場所に安置されていた。Dは墓碑銘 / image credit: Pianpian Wei / Current Biology

鮮卑族の秘密も明らかに

 今回の研究では、武帝の姿だけでなく、古代中国の民族移動のパターンについても新たなことが判明した。

 DNA研究結果によって、武帝は鮮卑族の出身であることが確認されたわけだが、それだけでなく、この民族が中国に入り込む前から中国北部にいた漢族と混血していたこともわかった。

 最初、鮮卑族は出身であるモンゴルから中国に南下したきたが、時間の経過と共に地元の人たちと交わり、新たな混合遺伝子を生み出していったのだ。

「これは、古代の人々がユーラシア大陸でどのように広まり、地元の人々と融合していったのかを理解する上で、重要な情報の一コマなのです」ウェン氏は言う。

次は中国北西部、長安の古代民族の復元が目標

 今回のプロジェクトの成功を受けて、次は中国北西部の長安の古代民族に注目する予定だ。

 何世紀にもわたって、この国際都市は多くの中国帝国の首都として機能してきた。

 さらに、紀元前2世紀から紀元15世紀の長きにわたって、ユーラシア大陸全体の売り手と買い手を結びつけた6400キロもの東西交易路、シルクロード最東端の前哨基地でもあった

 人々はおもに経済活動のために、アジア各地から長安にやってきたが、遠くアフリカ北部やヨーロッパ南部からも来ていたかもしれない。

 長安の埋葬地から発掘された古代人の骨からDNAを抽出すれば、間違いなく複雑な遺伝的パズルを解読することができ、あらゆる場所からの人的流入が長安の社会的、文化的、生物学的な歴史にどのような影響をもたらしたかを明らかにできると期待される。

 この研究は『Current Biology』誌(2024年3月28日付)に掲載された。

References:Ancient DNA reveals the appearance of a 6th c | EurekAlert! / Using DNA to work out what 6th century Chinese emperor looked like / DNA Data Reveals Face of a Chinese Emperor after 1,500 Years / written by hiroching / edited by / parumo

 
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DNAを使って6世紀の中国皇帝、北周の武帝の顔を明らかに