同世代の身近な人の死を経験するなど、自身の相続が気になり始める70代。相続対策においては、特に不動産を所有している場合、早めの準備が肝要です。しかし、焦って1人で話を進めてしまうと、不動産会社の巧妙な罠にハマってしまう可能性も……。本記事では、賃貸を経営する松田香織氏(仮名)の事例とともに70代で始める不動産の相続対策における注意点について、ティー・コンサル株式会社代表取締役でメガバンク・大手地銀出身の不動産鑑定士である小俣年穂氏が解説します。

70代に入り、相続について考え始める

松田香織(72歳)は、20年前に夫を亡くした。夫は地主の一族であり、一棟の大きな不動産(自宅兼賃貸マンション)を香織は相続した。

不動産はほかになく、銀行預金と生命保険を引き継いだが相続税の納税資金として半分程度支払って納税を完了させた。相続当時、相続した建物は築25年であったが、その後外壁塗装や屋上防水、鉄部塗装など適宜手を加えながら、ここまで不動産賃貸経営を続けてきた。

夫が逝去し独り身となり不安もあったが、相続した不動産の家賃収入を生活費のほか娘の学費などに充てながら生活をすることができた。また、アパートローンを完済してからは返済もなくなり資金的に余裕が出てきた。

いまも子供2人は近くにいる。長女は独身で同居しており、次女は結婚をして家を購入し、子供にも恵まれている。

孫が小学校に入るまでは共働きの次女の代わりに自宅で面倒をみるなど、忙しい日々を送っていたが、一番下の子が小学校に通うようになってからは徐々に自分の時間もできるようになってきた。

最近では、孫の習い事に付き添う程度で負担も減っており、自身も70代になり最近では仲のよかった友人が亡くなるなど、今後の相続について真剣に考え始めるようになった。

そんなある日、自宅の郵便受けに入っていたチラシで見かけた不動産会社主催の「相続セミナー」へ参加することを決め、電話で予約をした。

相続セミナーで、不動産会社と「個別面談」を約束

チラシの地図で会場を確認しながら最寄り駅から20分ほどのターミナル駅まで電車で向かった。「相続セミナー」の会場に到着すると同年代か少し年上の参加者が20名ほど着席していた。

セミナーの内容としては2部構成となっており、税理士から前半で最近の相続税のトレンド、税改正により基礎控除が減額されたことや、相続申告者数が増えていることなど相続を取り巻く環境の説明があった。

後半では、主催の不動産会社の担当者からコロナが落ち着いてから不動産市況が非常に活況になっており、都市部のマンションが1億円を超えるような取引で成立しているというような話をしていた。

2時間程度のセミナーを終え、帰り際に不動産会社の担当者から名刺を受け取り、後日個別面談の約束をしたうえで帰路に着いた。

不動産会社「このままでは、娘2人が必ず揉めます」

不動産会社の担当から連絡があり面談の予約をした。不動産会社の事務所へ訪問のうえ、相続について個別に話をすることとなった。

不動産会社の担当からは、相続の対策を進めるにあたって家族構成を教えて欲しい、とのことであったのでひととおり現状について伝えた。

担当からの提案をまとめると、相続においては子供たちの法定相続割合は平等であり、松田さんが所有している不動産はひとつしかないことから間違いなく姉妹間で揉めること、さらには不動産価格が高いいまのうちに売却のうえ、現金化しておかないとあとで後悔する、との内容であった。

気持ちとしては、娘2人に平等にわけたいとの気持ちもあったことから、「それも選択肢のひとつではあるか」と担当にいわれるがまま査定依頼書にサインをすることにした。

その後、1週間ほどで担当から「いい買い先が見つかったので、すぐにでもご説明したい」との連絡が入った。特に売却する意思表示をした訳ではないので、一方的に進められている感じがして違和感を覚えたが、とりあえず会って話を聞くことにした。

面談早々に担当から「買付証明書」なる書面の提示をうけ、

「非常にいい条件で買主が見つかりました。松田さんのお持ちの不動産は建物が古いことから、通常であれば土地価格から解体費用を引いた程度が妥当な価格かと思いますが、私の知り合いの不動産業者では建物価格も評価したうえで5億円まで数字を伸ばしてくれました。しかも、私のほうで明確に意思表示をするよう説得をして書面で提示させました」

と購入希望価格について説明をしたのち「このような条件はまず出ないので、近日中に売買契約まで取り交わしましょう」と、急かすように話を持ち掛けてきた。

松田香織は「いろいろと短期間で活動していただいたのは感謝します。とはいえ、この建物には自宅もあるので、急に結論を出すことはできません。一度持ち帰って検討させてください」と伝え、話を終えることにした。

担当からは「買付証明書の期限は1ヵ月なので早めに結論を出してください」と伝えられ、不動産会社をあとにした。

長女が「買付証明書」を見つけ…

結論が出ないまま1週間ほど経過したとある日、長女から「お母さん、この不動産を売却しようとしているの!?」と突然聞かれた。長女が昨夜書類の整理をしていた際に買付証明書をたまたま目撃したようであり、非常に驚いて質問をしたとのことであった。

長女からは、夫が生前不動産を将来的に残したい意向を示していたこと、規模や立地の点で価値の高い土地であることから簡単には手放してはいけない、と話していたことを伝えられた。

確かに夫はそのように言葉を残しており、自分としても極力そのようにするつもりであったが、娘2人に平等にわける手段として売却も選択肢として考えたことなどを話した。

その後、長女と1時間ほど話し合いを行い、頭を整理したが、そのなかで長女が話していた不動産業者が強引に進めている気がする、という点は確かにそのとおりであり冷静さを欠いていたと反省した。

そこで、次女および次女の夫に包み隠さず相談することにした。次女の夫は金融機関で勤務しており、人脈も広いことから取引のある不動産コンサルタントを紹介してもらうことになった。

不動産コンサルタントへ相談

不動産コンサルタントの真田は相談者である松田香織と面談を行った。相談者の松田氏から今までの経緯について説明を受けた。また、松田氏の承継に対する思いや悩み、故人であるご主人の思いについても聴取することとした。整理すると以下のとおりである。

・相続に対して漠然とした大きな不安を持っている ・不動産については亡き夫の遺志もあり可能であれば残したいと思う ・一方で、娘2人に対しては平等に配分をしてあげたいとも思う ・長女はおそらく今後も独身であり将来の生活のサポートをしたい ・不動産については老朽化が進んできており、将来的な不安を感じている ・いまの建物は夫主導で建築したものであり、建築にあたっては関係者の調整など苦労をしていたのを近くで見ていた ・亡き夫は極力「松田」姓を残していきたいと望んでいた

真田は相談者の夫の思いには配慮したいものの、対策に大きな労力をかけることに不安を感じており、最も簡便な不動産売却という手段に傾いていることが悩みを大きくしている原因であると認識した。

最後に、買付証明書の写しを受領して打合せを終え、近日中に対策を整理のうえ説明に伺うことを約束した。

不動産コンサルと税理士が出した「解決手段」

真田は、所属する税理士の里見と打ち合わせを行った。

依頼者の抱える悩みを総合的に解決する手段として、松田家の資産管理会社を設立することを軸とすることに。

また、法定相続人は長女および次女であるが、長女の相続を考えると(このままであれば)法定相続人は次女であることから、自ずと次女一家に資産が承継されていく。したがって「松田」の名前が消えてしまう。したがって、資産管理会社の社名に「松田」を残す方針を立てた。

資産管理会社の設立および建物の法人化により以下の点はクリアできそうである。

・納税資金の確保≒不動産を残すこと ・長女を社員とすることによる将来的な収入の安定 ・松田姓を(社名に)残すこと……ex)株式会社松田 など

残す課題として、老朽化の問題があったが調査の結果、定例の修繕のみで当面は利用可能であることが判明しその旨説明をすることにした。また、将来的な建替えに備えて資産管理会社内で内部留保することも事業計画に織り込んだ。

「買付証明書」の発行元の正体

真田と里見は依頼者である松田香織宅へ訪問した。

資産管理会社を設立することで多くの課題が解消できることを説明した。また法人名に「松田」を残すことで、ご主人の思いも繋いでいく提案を行った。建物についても適切な維持管理がなされてきていることからこのまま暫くは使えることを伝えた。

最後に、真田から売却について重要なことを説明した。真田が当該不動産を評価したところ対象不動産の価格は8億円であり、不動産業者が提示した5億円はかなり相場よりも低い水準であることがわかった。

昨今、対象不動産の存する最寄り駅の周辺では、再開発組合が設立されるなど、今後発展していく傾向を示しており将来的な利便性向上(≒不動産価格の上昇)を睨んで積極的に不動産購入する不動産業者が増えており、結果として不動産価格が徐々に上昇してきている。

また、当面その傾向は続きそうであり転売を目的とした売買も盛んにおこなわれていることが判明した。

セミナーを開催した不動産会社もその点に目を付けており、周辺にチラシをまき不動産オーナーから安く購入することを狙っていたことが窺える。

さらに、買主として買付証明書を発行していた会社は真田が調べた結果、実はセミナーを開催した不動産業者と同一グループであり、苦労して買付証明書を取得したというのは「まったくのデマ」であることが推測された。

依頼者は、ずっと感じていた違和感の正体が判明し安堵した一方で、不動産の知識に乏しい高齢者を狙い、あたかもいい条件であるように誤認をさせるような営業手法に憤りを覚えた。

また、長女が買付証明書を見かけなければ、場合によってはそのまま売却をしていた可能性もあったことから、日ごろから家族と情報を共有しておくことや、専門家の意見を聞くことの重要性を感じた。

家族へ相談、理解を得る

今回の一件をふまえて、真田からの助言もあり松田香織は自分1人で抱え込まずに家族と相談をしながら対策を進めていくことを決めた。会議には、長女、次女、次女の夫、そのほかに真田と里見が加わった。

香織から、相続の不安に付け込まれ、危うく不動産を売却することであったこと。たまたま長女が書類を見かけて冷静になれたこと。真田らから相続対策の提案などを受けて、客観的かつ冷静に進めることを決めたこと。年齢的にも、1人で対処していくことは難しいので娘2人にも協力を仰ぎたいこと、などを説明した。

その後、真田と里見から承継について策定した内容を説明した。

おおむね2時間にわたり、資産管理会社を設立して「松田」姓を法人名として残すこと。建物については法人化し、将来の修繕や建替え、相続税納税資金にかかる費用に充てるため計画的に内部留保していくこと。

不動産は1つであり、相続によりわけることは困難(共有の場合、親族内で最も揉めやすい要因となるため)であることから、法人化からの給与にて平等になるように支払いを行うこと。

現状において納税資金は不足する可能性があるが、個人から建物分の相続資産が減少する点や、無償返還の届出により土地評価も一定額引き下がること、小規模宅地等の特例の適用もできることなどを説明し、香織氏の資産の増加を抑制していく方向性を示し、参加者の理解を得た。

不明点がないか確認したところ、株主についてはどのように承継していくべきかとの質問が長女からあった。株については当初は香織氏にすべて持ってもらうこと、かつ代表者としても事業にあたってもらうことを説明した。

その後、株式も相続財産となることから長期的な承継を勘案して、どこかのタイミングで次女一族の誰かに渡していく方向性であることを伝えた。もしかしたら長女は、次女一族に多く資産が承継されることに不満を感じているのかもしれないと真田は思った。

悪徳不動産会社へ「お断り」連絡

不動産会社に対しては不動産を売却しないことに決めたと伝えた。

担当からは、しつこく売却しない理由を聞かれたため、真田にも同席をしてもらい、そもそも売却するなど一言も発言していない、勝手に買付を取得してきたのはそちらであり、こちらはなんらの拘束も負っていないことを淡々と説明した。

担当からは、せっかく買付を取得してきたのに後悔してもしらないからな、などの捨て台詞をいくつか吐かれたが、そもそもグループ会社の買付証明書であることを知っていることは隠しながら適当に流しておいた。

しかし、今後しつこい営業をしてきたときの対抗手段として念のため会議の内容は録音しておいた。

長女の真意

いよいよ法人の設立に入り、家族で話し合い社名を定め建物の所有を移した。法人化にともない、金融機関からの資金調達や法人口座の開設、賃借人や管理会社への通知、火災保険などの名義変更など諸々対応に時間を要したが無事にすべてを完了させた。

ここまでの過程においては長女にも多くのところで協力してもらった。先日の会議のとおり香織は長女が承継する資産が少なくなることに内心申し訳ない気持ちを感じていた。思い切って先日長女が株の承継について確認をした真意を聞いてみた。

長女としては、本来第一子として承継の中心として取り組まなければいけないが、子供を作らなかったことに負い目を感じていたため、せめてサポートする立場になろうと考えていたとのことであった。質問をしたのは自分の考えと承継方針に相違がないか確認をするためとのことであった。

まとめ:70代の相続対策は、家族・専門家に「必ず」相談する

・70代の承継においては1人で抱え込まず家族の協力を仰ぐこと ・相続の不安を仰ぐような営業もあり、信頼できる人物のサポートを得ること ・判断や意思能力に低下がみられるケースもあり即断即決せず、ほかの意見を聞いて焦らず冷静に判断すること ・相続に向けては家族への共有を行い方向性については家族内で協議をしていくこと ・特に不動産の売買などにおいては業者との知識差が大きく、だまされるリスクが大きいことをあらかじめ念頭にいれておくこと ・後々の「言ったor言ってない」にも備えるため、大事な面談などはきちんと記録を残しておくこと ・あるいは大事な面談の際には必ず家族も同席するように事前に取り決めをしておくこと

以上のポイントを押さえることが重要である。

小俣 年穂

ティー・コンサル株式会社

代表取締役

<保有資格>

不動産鑑定士

一級ファイナンシャル・プランニング技能士

宅地建物取引士

(※画像はイメージです/PIXTA)