世界的にも高い評価を受ける黒沢清監督にとって、アジア全域版アカデミー賞「アジア・フィルム・アワード」(AFA)は思い入れの深い場所だ。2008年に公開された「トウキョウソナタ」は、第3回AFAで作品賞と脚本賞を受賞。第15回では「スパイの妻 劇場版」が作品賞を受賞している。そして、2024年に開催された「第17回アジア・フィルム・アワード」では、日本人初となる審査委員長を務め上げた。

【フォトギャラリー】「第17回アジア・フィルム・アワード」授賞式の様子

映画.comは、香港で行われた授賞式の前日(3月9日)、黒沢監督にインタビュー(https://youtu.be/aaRi1kQfsss)を敢行。AFAの思い出、香港、今年の新作などについて語ってもらった。(取材・文/徐昊辰)

――アジア・フィルム・アワードの審査委員長を務めることになりましたが、率直なお気持ちを教えていただけますか?

大変光栄だなと思っています。いきなり依頼が来たものですから、喜んで引き受けました。ここだけの話ですが、引き受けた最大の理由が「香港に行きたかった」からです。香港が本当に大好きで、ここ何年かは行けていませんでした。香港の美味しいものが食べられる、街をぶらぶら歩き回れる――そんなことを考えただけで、すぐにお引き受けしました。

――実際、香港に来てみていかがでしたか?

変わったところもありますが、佐敦(ジョーダン)や油麻地(ヤウマテイ)は全然変わっていないので、ほっとしています。(取材時点では)香港島方面に行けていなくて、ちょっと残念ですが……ただ本当に物価は高いですね。円安の影響もあると思いますが、昔は(食べ物が)すごく安くて美味しかった。美味しいことに変わりはないのですが、こんな高くなったとは、ちょっとびっくりしています。

――アジア・フィルム・アワードとは、かなり深い縁がありますよね。「トウキョウソナタ」は第3回の作品賞&脚本賞、「スパイの妻 劇場版」は第15回の作品賞を受賞しています。

スパイの妻 劇場版」の時は、本当にコロナの真っ只中でしたよね。その時は釜山に滞在していて、自分の部屋からオンラインで参加しています。受賞時に何かコメントを言ったと思いますが、(そのような状況だったので)1ミリも楽しくなかったです(笑)。

トウキョウソナタ」は、第3回開催時でした。アジア・フィルム・アワードが始まったばかりの頃。あの時は、とても楽しかったです。確かに会場はまだ湾仔(ワンチャイ)の方で、すごく豪華でした。よく覚えていますが「壇上に立って何かコメントをする時は、全部英語でやってくれ。どうしても無理なら、日本語でもいいが、できたら英語でやってくれ」と言われました。僕はあの時もとても緊張していて、一生懸命英語のスピーチを準備しました。あの時は受賞結果も事前に知らなかったので、脚本賞をいきなりいただいて、準備してきたスピーチを英語で話しました。これで終わったと安心していたら、今度作品賞も頂いた。準備した英語スピーチは全部話したので、ごまかしながら何とか四苦八苦(笑)。英語に関しての"一番焦った"という非常に強い記憶として残っています。

――今回のAFA期間中には「トウキョウソナタ」のトーク付き上映も行われました。1時間にも及ぶ非常に濃厚なトークでした。

司会の方が本当に詳しくて、「トウキョウソナタ」に関係ないことも、色々質問されました。とても楽しかったのですが、見に来たお客さんが「この内容についてこられるのか?」とちょっと不安になりました。

――2008年に劇場公開された「トウキョウソナタ」が、2024年の香港で上映されました。観客との交流はいかがでしたか?

トウキョウソナタ」は、元々香港の会社が僕に持ちかけてくれた企画です。ある意味、香港とは最初から縁があった作品でした。ただ正直なところ、僕の作品がどれだけ香港の観客たちに受け入れられているのか、僕の作品をどのように見てくれているのか、少し心配でした。例えば、僕の一部のホラー映画が好きなファンは、「トウキョウソナタ」を含めたホラーではない作品は好きなのだろうかと勝手に不安になっていましたが、(上映会には)多くの若い人たちもいましたし、「トウキョウソナタ」以外にも色々作品を見てくれていた。熱心な若い映画ファンが、僕の映画を気に入っていてくれていることに大変驚きましたし、とても嬉しかったです。

――アジア・フィルム・アワードは、アジアの映画人が集まる場です。改めて、ここ10年間のアジア映画は、世界中で一気に注目されるようになりました。この現象に関してはどう思いますか?

アジアといっても、本当に多様ですよね。香港や中国、日本や韓国に限らず、インドもアジアですし、イランもアジアです。色々な国があり、文化も言葉も全部違います。ある意味"西洋"とは少し違いますよね。非常に大きくて、しかも1つにまとめることができない。西洋の外側にものすごく大きく広がっているというか、映画の可能性がどんどん広がっている印象はあります。まぁ、映画はすでに西洋もアジアも関係なく、とても流動的ですから。映画表現がますます豊かになっているという素晴らしいことだと理解しています。

――確かに、いまの映画界は非常に流動的ですね。国同士というより、作家同士の交流も多く、国籍関係なく、映画を作っています。西洋は以前からこの傾向が続いていますが、最近のアジアでは共同製作が増えた印象です。黒沢監督は、以前「一九〇五」という幻の企画がありました。今後、もしチャンスがあれば、海外との共同製作に挑戦したいと思っていますか?

もちろん、チャンスがあれば作りたいですね。「一九〇五」は本当にやりたかったんですが……まさに香港と日本でやることができればいいなと思いました。日本映画はたくさん作られていますが、ご存知のようにあまりお金がない。映画には資金が回ってこない国なので、資金面も含めて、色々なアジアの国と一緒になることで、誰も見たことのないような映画を作ってみたいなと思います。

――今年は、新作が3本もあります。偶然でしょうか?

たまたまです。何年も前からやろうとして、なかなかできなかった企画が昨年できたことで、重なっちゃったんですね。

――しかも、3作品の方向性が異なっています。フランスが舞台の日仏合作映画(「蛇の道」)、中編の日本映画(「Chime」)、長編の日本映画(「Cloud クラウド」)。ひとりの監督が1年でこれらを発表することは、本当に奇跡だと思っています。

いやいや、まさか同じ年に3本をやるとは思わなかったんです。大変でしたけど、やればできますね。脚本もだいぶ前からあったんです。思えば昔の監督は年間5本撮ったりする人もいましたよね。今は1本1本をすごく大切にしている。撮り終わったら、ちゃんと宣伝したり、映画祭に行ったり、1本の作品にものすごく時間をかけるという風潮です。それはそれで素晴らしいんですが、昔の監督は1本を撮ったら、すぐに次を撮っていましたよね。

――最後の質問ですが、今後何か挑戦したいテーマがございますか?

具体的にやりたい作品はたくさんあります。ただ、去年は撮り過ぎたので、次の作品は少しゆっくり考えてみたいなと思います。時代劇を撮ってみたいですね。「スパイの妻」も現代劇ではないですが、もっと前の……いわゆるチャンバラとか入れていた、日本のコスチュームプレイですね。そういう伝統がありますので、ああいう時代劇に一度挑戦してみたいとは思っています。

黒沢清監督