平成のドラマを見ているとしばしば描かれるのが“すれ違い”。コラムニストの小林久乃さんによると、平成ドラマには、SNSもスマホもない時代だからこそ、「繋がらない、すれ違う美しさが平成ドラマには潜んでいる」と言います。普通の昭和生まれにとっては懐かしい、平成生まれにとっては新文化の「平成ドラマ」の数々。小林さんによる著書『ベスト・オブ・平成ドラマ!』(青春出版社)から一部抜粋し、平成ドラマの魅力や楽しみ方をお伝えします。

“すれ違い” こそトレンディ

現代を映すテレビドラマと、通信機器の進化は常に関わりがある。登場人物たちがすれ違い、繋がることで、大きな愛や新たな展開をもたらすからだ。わたしの記憶の限りだと、黒電話から始まった通信が、今や日本国内の普及率が約80%(インテージ「マルチデバイス調査」より)となったスマートフォンまで、たったの数十年でとみに進化を遂げている。主人公たちがスマホの画面で会話をしあう光景も、今や一般的なものになった…のだが、ただここでわたしは声を大にして言いたいことがある。 「繋がらない、すれ違う美しさが平成ドラマには潜んでいる」 好きな人に会いに行こうとアポなしで訪問(浮気現場に鉢合わせという修羅場も多々)、男女お互いが会いたいと、お互いが不在の自宅を行き来する。何ならファクスを送信する。待ち合わせ時間に遅れる。主人公が走る、泣く。 令和を生き抜く若者たちには到底知ることのない青春が、平成には存在していた。そんな様子を過去作で見るのも、新しい愛の世界へ踏み入る第一歩だ。そんなドラマの背景を通信機器の進化と共に振り返ろうではないか。

1993年に『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ系列)が放送された。タイトルを読んだ時点で迷子になる世代もあると思うが、ポケベルとはバブル期に開発された通信機器で『ポケットベル』の略語である。無線通信で、小さな画面に数字のみが表示される。電話番号や、数字を駆使した言葉が画面に現れると、受け取った側はさあ大変。相手に連絡をするため、公衆電話を探して、テレホンカードを財布から取り出して、やっと繋がる時代だった。正味、連絡が取れるまでにかかった時間は30分間くらいであろうか。もどかしい。ややこしい。そう思う人もいるだろうが、これが1990年代には最速の交信手段だった。

ポケベルが鳴らなくて』は通信機器開発の話ではなく、女性社員とその上司による不倫物語。思うように会うことのできない二人を繋ぐのは、ポケベルだったというオチである。内容を俯瞰で見ても、やはり不倫は不倫なので、解せない。ただ作品の主演女優、裕木奈江がべらぼうに可愛らしかったので、視聴する価値はあった。さらに、同タイトルの曲が主題歌となり、これもドラマ同様の話題作になった。

さて。決して作品そのものを揶揄するつもりはないが、年々、不倫行為そのものが普通になっているのも、身近な通信手段が瞬く間に便利になっているせいでは? と疑っている。その恋のファンファーレを高らかに鳴らしたのは、ポケベルだ。製造停止となっているので、もうお目にかかることはないとは思うが、この機器のもたらした、男女の惨憺たる有り様は計り知ることができない。

コロナ禍での再放送で話題になった”すれ違い”ドラマは…

そしてすれ違いに皆が騒然とした作品といえば『愛していると言ってくれ』(1995年TBS系列)だ。少し流れから離れてしまうのだが、訴えたいすれ違い案件は、2020年のパンデミック中に起きた。皆の記憶にもあると思うが、あのときは一斉にエンタメ制作が止まってしまうことになった。スタートしたばかりの連続ドラマも収録は中止。でも地上波各局が放送を止められるわけがなく、(あくまで予想だけど)苦肉の策として、過去作が放送された。ここにラブストーリーの『愛していると言ってくれ』があった。 榊晃次(豊川悦司)は聴覚障害を持つ画家、恋のお相手は女優の卵である水野紘子(常盤貴子)。超絶色男の彼氏の耳が聞こえないというだけで、すれ違う原因の王手は出たようなもの。バイト生活の紘子には携帯電話も買えず、買ったところでメール機能もない時代だった。そこで会いたい時はひたすら相手の帰りをお互いの家で待つのである。ああ、何たるもどかしさよ!

この再放送に昭和生まれは歓喜したけれど、若手にとっては初めましての作品だ。でも他に見るものがなければ……と見ると、そこに描かれているのは自分たちの知らなかった同世代の若者の日常。面白味に浸る部分もありつつ、彼らにはこんな疑問がわく。 「なんでLINEしないんですかね」 「あの耳が聞こえない人、めちゃくちゃ格好いいけれど誰ですか?」 「自分の家の前で待っているとか、不審者でマジありえない」

これが友人の20代の部下たちによる意見だったそう。繋がらない美しさを彼らはいつか知ってくれるのだろうか。

平成の”港区女子”を描いたドラマでは電話が大活躍

続けて、長引く緊急事態宣言により、わたしたちに巡ってきた再放送は『やまとなでしこ』(2000年・フジテレビ系列)。松嶋菜々子演じる、客室乗務員の神野桜子が玉の輿を目指して、セレブ男たちの間を渡り歩く。桜子は令和でいう、港区女子だ。自分の結婚相手にふさわしいのは将来有望な人徳者だけであると、周囲にも標榜して、ひたすら合コンに参加する。ターゲットが決まったときの決め台詞はこうだ。 「今夜はたった一人の運命の人に巡り会えたような気がする」

ただ巡り会った王子様は金持ちではなく、実家の魚屋を手伝う中原欧助(堤真一)。桜子にとって、本物の愛は見つかるのか…というジリジリを楽しむラブストーリー。

ただ前出の友人部下たちの意見はこうだ。 「アポを取るのに、いきなり電話をするのは、どうなんですかね」

放送当時はガラケー全盛期。何か約束をするのなら、まずは電話をすることが普通だった。ドラマでも桜子は男たちに電話をかけまくっている。そうか、若手には電話で会話をするというセオリーが消えている。一説では社内の電話を取ることができない若手もいるらしい。確かに飲食店へ予約の電話をすると、謙譲語、尊敬語、丁寧語のミックスアルバイトさんたちに対応されることがある。「声が聞きたい」という愛情ゆえの欲望が、彼らにはない。「顔が見たい」とビデオ通話で直接顔を見る。すれ違うという風景は皆無だ。 一連からドラマと通信機器の関係性は密接であり、特にラブストーリーには事欠かせないツールである。聞けば最近の10~20代にとって、LINEでさえも「おじさん、おばさんたちがやるから合わせているだけ」。ではどうやって連絡を取るのか言えば、InstagramやTikTokのメッセージ機能を使うらしい。わたしもひたすら押しまくっている、LINEのスタンプや絵文字でさえも過去の産物。そんな状況にこれから制作陣が、どこまで対応できるのか。若者とドラマのすれ違いとは、恒久なり。

小林 久乃 作家、ライター

(※写真はイメージです/PIXTA)