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 カナダ国立研究機構 産業研究支援プログラムの「NRC IRAP(The National Research Council of Canada Industrial Research Assistance Program)」は、カナダ中小企業がイノベーションを強化しアイデアを市場に投入できるように、必要なアドバイス、関係構築そして資金支援を提供している。各分野の技術に精通した専門職による個別サポートから、日本の企業や研究機関を含めた海外の組織との共同研究開発や事業提携を促進する形での海外展開支援に至るまで、幅広く活動するNRC IRAPについて、担当副理事長を務めるデイビッド・リスク(David Lisk)氏に詳しく話を伺った。

毎年、9000社を超えるイノベーティブなカナダ中小企業を支援

 カナダ国立研究機構(NRC: National Research Council Canada)は、産業界が新製品を市場に投入することを支援する研究組織として1916年に設立され、100年以上の歴史がある。NRCは、カナダ全土に24カ所の研究拠点と14の研究センターを保有し、4000人を超える職員を抱えている。ライフサイエンスからエンジニアリング、建築材料、ワクチン開発など幅広い分野をカバーしており、最近は人工知能を含むデジタル技術や自動車、航空宇宙技術に焦点を当てている。大規模な研究設備を持ち、化合物の研究開発から半導体チップの製造、風洞実験まで行うことができ、中には世界に1つか2つしかない特別な施設も所有している。そして、そのいくつかの研究設備を日本企業も利用しているとのことだ。

 NRCの産業研究支援プログラム(IRAP: Industrial Research Assistance Program)はカナダ中小企業の成長と経済的発展に資する技術的・科学的アドバイスを提供するために設立され、その歴史は1947年までさかのぼる。1960年代からNRC IRAPは、企業内の研究開発を支援するための資金を提供し、イノベーションへの投資を促している。大きな発展を遂げており、今やカナダ全土に設置された106カ所のオフィスが、産業技術アドバイザー(ITA:Industrial Technology Advisor)と呼ばれる269名の専門家によるネットワークでつながっている。

「ITAは企業のリーダーや現場スタッフと直接関わりながらサポートを行うため、最低でも20年以上の実務経験と技術的なバックグラウンドが必要とされます。私自身も35年以上ICT業界で半導体製造やハードウェア、システム開発、運用ビジネスなどに携わってきた経験をもとに、2009から2012年の間にオンタリオ地域でITAを務めていました」(リスク氏)

 NRC IRAPのもうひとつの際立った特徴は公募型ではなく招待制を取っていることだ。対象となる企業にITAが訪問して面接を行い、ディスカッションを重ねてプログラムに参加できるかどうかを判断する。昨年度は、9,000社以上が何らかの支援を受け、そのうち3,486社に総予算4億8,940万カナダドルの資金が提供された。

 主たる投資対象分野としてはICTが約40%、次に製造業が20%、その他は航空宇宙、農業、ライフサイエンスクリーンテックなどがある。ICTは非常に広範囲にわたる分野であり、ここ数年は農業関連企業がテクノロジーに投資している。カナダでは人工知能の研究が盛んなことからAI産業も強く、ディープラーニングの活用も相まって、すべての産業へと広がっているという。

重要なパートナー国として在日事務所を開設し海外進出で相互連携をはかる

 NRC IRAPが現在のような活動になった背景についてリスク氏は以下のように説明する。

「企業と国の組織が協力して研究開発プロジェクトを実施するのは非常に有益ですが、必ずしも大きな成功にはつながるわけではありません。変化する市場に対応する必要もあります。NRC IRAPも2012年に企業が市場を理解するための国際プログラムを立ち上げ、グローバルに活躍できるよう支援するなど、時代にあわせたサポートを行ってきました。例えば、ヨーロッパの資金支援機関が主導的に設立したEureka Network(ユーレカ・ネットワーク)という国際ネットワーク組織は、参加国のみならず、関係国を含めた企業間の国際連携づくりを推進していますが、NRCはそのメンバーです」(リスク氏)

 日本は2018年にNRCの重要パートナー国に選ばれ、2019年に在日事務所を開設した。その在日事務所を通じて、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)やJST(科学技術振興機構)、JETRO(日本貿易振興機構)などの政府機関と協力し、日本とカナダ企業が共同出資する機会を創出している。その結果、日本企業と協力してイノベーションを推進するカナダ中小企業への資金支援は40件以上に上る。また、NRCの研究センターは、産業技術総合研究所(AIST)、理化学研究所、株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)など日本の研究所や大学とも連携しており、現在進行中のプロジェクトは10件以上あるという。

カナダと日本企業の間には共同イノベーションを行う非常に大きな機会があると考えています」とリスク氏は言う。「日本のスタートアップ業界はちょっとしたルネッサンス期を迎え、再構築されつつありますが、半世紀前の日本のベンチャーが今や多くの大きな多国籍企業に変貌をとげていることを忘れてはいけないでしょう。両国のスタートアップには、自分たちで国際的なつながりや売上げを確保することができないと考える企業がたくさんあります。同時に、イノベーションを生み出すことが難しいと考えている日本の多国籍企業の中には、有益な独自技術を持つ革新的なスタートアップと提携することで、彼らの技術を自社のバリュー・チェーンに統合することに興味を持つところがあります。我々が主に取り組んでいることのひとつは、問題を抱える日本の大企業と、その問題解決を手助けできるカナダのスタートアップを結びつけることです。そして、NRCの研究者が両社の協力を支援する役割を担うこともあります。しかし、そうなるには、良きパートナーとしての評判を長い時間をかけて高め続けることが必要です。NRC IRAPは、この点について成功していると思います。

 欧州においては、先程述べたように、企業間の関係づくりと国際協力のために資金支援を行うEureka Networkをテコにして国際連携を進めています。日本に向けては、マッチメイキングと資金調達を組み合わせることで、日本とカナダの企業がテーマや課題に応じて連携できるよう、日本政府とパートナーシップを構築したいと考えています。その結果、日本企業が北米市場への参入機会を得られる一方で、カナダにとっては、ヨーロッパだけでなくアジアへの参入機会が生まれ、アジア市場において有望な販路を確保するというニーズにも応えられる可能性があります」(リスク氏)

 リスク氏は「カナダには『one and done』という表現があり、一度だけ行えばそれでおしまいという意味ですが、イノベーションにおいては、『1回で終わり』ではなく進み続けるしかないという意味があります。起業家は『創られる』のではなく『生まれる』ものであり、リスクを取って他の人とは違う何かをする起業家精神を育むことが大切だと考えています」と語る。

 起業家を支援するためにカナダは、イノベーションのリスクを軽減するためのセーフティネットを設けている。1980年代以降、カナダの人々は起業家精神をさらに高めることを目指し始め、1990年代には、ベンチャー・キャピタルの取り組みに対する政府の支援によって、この精神が一気に高まった。政府は、直接的な支援だけでなく、アメリカからベンチャー・キャピタルの専門知識を導入したり、他方、エンジェル・ネットワークや富裕層がプロジェクトに資金を提供することで、会社の立ち上げが進んだ。

 その結果、カナダは起業しやすい国のひとつになり、法人設立書類なども比較的短時間で準備できる体制が整っている。また、固定資産を所有していなくても融資を受けられ、企業内の知的財産が融資の担保として認められている。連邦政府も地域の開発機関や中央の組織を通じて、全国各地のインキュベーターアクセラレーターに資金を提供しており、大学はスタートアップを学内で成長させ、スピンアウトするのを支援している。カナダ全体で、ビジネスへのアプローチ、資本へのアクセス、トレーニングや教育の利用可能性を進化させるエコシステムが構築されてきており、起業を実現できる道が築かれていることがわかる。

知的財産関連の開発から資金調達までさまざまなサポートをワンストップで提供

 知的財産に関してもさまざまなサポートが行われている。近年、カナダでは先端技術の開発に取り組む企業へのサイバーアタックが増えてきているが、NRC IRAPに関連する企業もその攻撃対象に多く含まれている。透明性を確保するための重要な手段として、政府による企業への資金提供はウェブサイトを通じて積極的に公開することが義務づけられているが、不正行為を企てる者にとっては企業が特定しやすくなり、サイバー脅威のリスクが高まることになる。そこで、NRC IRAPは資金提供を受ける企業にサイバーセキュリティのトレーニングを義務づけた。さらにカナダ政府は2021年に、企業の知的財産戦略への理解と戦略の構築をサポートするようNRC IRAPに要請した。これを受けてNRC IRAPは、企業が自らを守るだけでなく、イノベーションによってビジネス目標を達成するための知的財産戦略に関する支援を行っている。

「私たちは3年ほどかけてプログラムを検討し、まずはカナダ全土の知的財産権の専門家が相談窓口になるよう連携を進め、次に知的財産戦略の立案を支援しました。さらに戦略を実行に移す段階では、一緒に話し合って製品やサービスにできることを理解して問題を把握し、顧客を見つけられるところまでサポートしています。しかし、企業にあわせた方法をカスタマイズするには多額の資金が必要になるため、カナダのビジネス開発銀行は知的財産を担保にした融資を可能にしました」(リスク氏)

 このようにカナダには知的財産エコシステムが築かれ、知財教育が受けられる機会や専門家や組織のサポートがあり、起業家であることに関わらず誰もが利用できる。

 また、カナダ政府はオンライン知的財産マーケットプレイスを立ち上げ、自分の所有する知的財産を投稿したり、ライセンスを購入したりできるようにしている。カナダには技術革新で起業する約5万社のスタートアップがあり、カナダ政府はそのうち2万社が登録されたデータベースを構築している。もうひとつ試験的な取り組みとして、「イノベーション・アセット・コレクティブ(IAC: The Innovation Asset Collective)」と呼ばれる非営利団体が所有する特許の集合体を構築している。ほぼクリーンテック分野に限定されているが、非常に安価で知的財産のライセンスを受けることができる。

 NRCは組織内に知財専門家を置き、毎年多くの特許化を促進している。一方、カナダ企業のビジネスを支援するためにNRC IRAPは、IPアシストと呼ばれるプログラムを企業に提供し、知的財産に関わるアドバイスや戦略立案と実行をサポートする知的財産専門家との関係づくりを支援している。このように、カナダ政府はさまざまなプログラムを通じて、知的財産に関するアドバイスや連携、信頼性の高いサービスをより多くの人々に提供している。

 カナダ全体がここまでスタートアップの支援に力を入れる理由は「カナダの長期的な繁栄はまだ存在していない新しい企業と結びつくことにあるという、非常に強い信念があるからだ」とDavid Lisk 氏は話す。イノベーションを基盤として競争力を高めることは、国民の繁栄にとって不可欠であり、非常に重要なスキルセットであると考えられ、これからも引き続きこの取り組みを強化していくという。

起業しやすい国・カナダが生んだイノベーション支援プログラム「NRC IRAP」から、起業家の活躍をグローバルで支援するヒントを学ぶ