現役時代、年収が高かったという人は老後も余裕に感じるかもしれません。しかしながら、多くの退職金を受け取っていたり、現役時代にコツコツ貯めた資産があったりしても、無策で老後を迎えれば「老後破産」に陥る可能性があります。本記事では、田中正幸さん(仮名)の事例とともに、年金生活の思わぬ落とし穴について、FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が解説します。

倹約家なのに…たった10年で“約4,000万円”を使い果たす

田中正幸さん(仮名)は、40年以上ものあいだ大手メーカーにて勤務し、60歳で退職しました。毎月の給与は70万円を超え、ボーナスも含め年収1,000万円超、退職金も2,000万円受け取り、リタイア時の資産は4,000万円を上回るほどでした。

田中さんはサラリーマン時代から堅実な生活を送り、年収が高くても質素な生活を続け、将来のために貯金もし、退職金と合わせて4,000万円以上の資産を準備していました。

そして、60歳で定年となり、継続雇用を選ぶこともできましたが、会社務めが嫌になっていた田中さんは「資産も十分にあるし……これまでのように暮らしていけばこれ以上働く必要はないだろう」と考え、年金を繰り上げて受給することにし、60歳でリタイア生活を迎えることにしました。

こうしてセカンドライフを始めるつもりだった田中さんでしたが、その目論見は大きく外れることになります。

長女の離婚を機に転がり落ちるように…

2人の子供達の結婚資金や、住宅購入資金の援助を行い合計で2,000万円を渡していましたが、その後長女は夫婦仲が悪化してしまい離婚することに。当初住宅ローンの支払いを続けるはずだった元夫でしたが、離婚後に態度が一変しローンの支払いと養育費が滞り、音信不通となってしまったのでした。出産をきっかけに退職していた長女は収入もなく、養育費の支払いもない状態でローンを返済していかなければなりません。

田中さんは当初自宅を売却してローンを返済し実家に戻るよう話をしたのですが、孫の有名私立小学校の入学も決定しており、実家に帰ると通学が大変になってしまうという理由で、田中さんがローンを毎月10万円分肩代わりして支払うことに。

こんな予想外の支出に加え、預金残高が少なくなってくると毎月の家計の収支が大幅な赤字となっていることを如実に実感するようになっていきました。

このような生活を続けた結果、70歳になった際には、60歳の時点で4,000万円を上回っていたはずの預金資産が底をついてしまうことになりました。

きっかけは長女の離婚だが…

きっかけとなったのは長女の離婚と、長女が暮らす住宅のローンまでも自分で肩代わりして払っていたことでしょう。

しかしながら、さらに根本的な原因を考えてみると、田中さんが老後の家計の収支をしっかり考えないままに、子供たちへ無理な援助をしてしまったことにあります。

現役のころの年収は1,000万円を超え、資産が4,000万円以上もあり油断していた田中さんでしたが、毎月どの程度の支出があり、年金だけだと収支面でどの程度不足するのか、そして現時点で資産にはどの程度ゆとりを持てているのか、知らないままだったのです。

非情に無計画な年金の繰上げ受給

特に、無計画なまま年金を繰上げ受給してしまったことが問題です。本来、公的年金は65歳から受け取ることができるものですが、最短で60歳まで年金を受給する時期を繰り上げることができ、反対に75歳まで繰り下げることもできます。

その場合、1ヵ月繰り上げると0.5%減額(昭和37年4月1日以降生まれの方は0.4%)となり、5年(60ヵ月)繰り上げた田中さんの受給額は、30%減額になりました。

田中さんは60歳に繰り上げて受給していたため、本来ならば約200万円を受け取ることができたところを、繰り上げによる30%の減額によって計140万円、月額にして12万円に満たない程度しか受け取ることができなくなってしまったのです。

妻の良子さんは長年パート勤めでしたが、子供達の就職を期に退職。田中さんが退職した際は無職で2年近くのあいだ収入はなく、良子さんも同様に年金を繰り上げて受給していました。

そのため、毎月の生活費が27万円程度なのに対して受給額が12万円程度ですので、退職直後は毎月15万円が不足しており、良子さんが年金を受給開始したあとも毎月10万円が不足しているような状態です。

「資産があるから」

「毎月そんなにお金も使っていないし……」

そう思っていましたが、人生100年時代といわれる昨今において4,000万円の資産があっても、夫婦2人で100歳まで生きれば資産は底をついてしまうような状況だったのです。

しかし、「お金がある」と思い込んでいたために当初子供達に支援をし過ぎてしまい、70歳を過ぎたころには資産がほとんど底を突いてしまうという状態に陥ったのでした。

老後資金4,000万円の理想的な使い方

老後の準備をするうえで重要なのは、どの程度ならば支出をしても大丈夫か数字で見通しをつけておくことです。

現役時代に収入が高く、預金資産が豊富にあったとしても、お子さんへの援助など大きなお金を出す場面は多々あります。その際に、どの程度までお金を出してあげることができるか判断しなければなりません。

そういった場面で判断材料として活用するためにも、支出可能な金額がどの程度かを具体的な数字で算出しておく必要があるでしょう。

田中さんの事例を振り返ってみると、子供達2人に多額の住宅購入資金や結婚資金を援助したり、お孫さん可愛さに引っ越しをさせたくないからとローンを肩代わりしてあげたりしていました。

しかしながら、そもそも自分達の生活だけでも毎月赤字だったという状況に加えて、長女のローンを肩代わりして支払ってあげるというのは無理な判断であったといえるでしょう。

一生のスパンで収支を見える化し、資産が底を突いてしまわないように管理できていれば、このような無理な判断はしなかったかもしれません。

また、4,000万円も資産があったのですから、運用しながら取り崩していくことも考えることができました。

預金資産4,000万円のうち3,000万円を運用に回したという想定で計算してみると、どうでしょうか。仮に年利3%という安定的な利回りでも、しっかり運用できていれば、毎月10万円ずつ取り崩していって、100歳を超えても資産が残る計算になります。

重要なのは、老後について長期のスパンで計画を立て、家計管理を行い収支を見える化することでしょう。そのうえでお金を最大限有効に使えるように運用しながら、資産寿命を延ばすことを考えていれば、ある程度まで子供達の支援をしてあげつつ、自分たちが生活するためのお金も確保することができたのではないでしょうか。

実は4,000万円あっても足りなかった

田中さんは、現役のころに高収入で多くの退職金を受け取っていたにもかかわらず、リタイア後の生活費について具体的な計画が立てられていなかったことや、毎月の収支を見える化できていなかったために、家計の状況を冷静に把握できたころには老後破産寸前という状態に陥っていました。

老後の収支について早期に計画しておけば、資産寿命を延ばしたり、完全に退職せずとも無理のない範囲で働いて収入を得ていくことも可能でした。

2019年に発表し「老後2,000万円問題」の発端になった『金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における金融サービスのあり方」』によると、高齢夫婦2人の平均的な支出は月額で約26万5,000円という結果が出ています。

それに対して夫が会社員、妻が専業主婦だった場合のモデルケースでの年金収入が約21万5,000円となっております、平均的なモデルケースで試算すると毎月約5万円が不足すると計算され、65歳から100歳近くまでのあいだに2,000万円近くが必要になるとされています。

田中さんの場合は公的年金を繰り上げて受給していたため、夫婦2人の受給額を合計しても17万円程度しかなく、上記の報告書のモデルケースを計算例にすると毎月10万円の不足×40年分で合計4,800万円が必要という計算になり、実は4,000万円あってもなにもしないと足りなかったということがわかるでしょう。

無計画のまま老後を過ごしていた場合、子供達にお金を援助してあげるどころか自分達の生活費さえ不足してしまうような状況だったのです。

このように、資産があり、決して贅沢をしているわけでもないのだから「老後には十分余裕がある」と思えても、しっかり計画を立てておかないと老後破産に陥る可能性は十分にあります。

反対に、しっかり家計を見える化し、運用の計画を立てておくことでそこまで資産が無くても、支出をコントロールしながら相応にゆとりを持った老後を送ることも可能です。

小川 洋平

FP相談ネット

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(※写真はイメージです/PIXTA)