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「わかりました」はセーフで、「わかりました。」はアウト。若者向けにチャット上で文末に句点を打つと「冷たい」「怖い」と威圧感を与え、ハラスメントになると話題だ。「マルハラ」と呼ぶ。おや? 待てよ。句点は一昔前まで、むしろ“正義”だったはず。昭和、平成世代の「。」偏愛歴を振り返ると――。

「マルハラ」が注目され始めたのは、今年2月。産経新聞の報道が契機だ。《文末の句点に恐怖心…若者が感じる「マルハラスメント」 SNS時代の対処法は》と題し、メール世代の中高年とSNS世代の若者との語感のギャップを指摘した。朝日新聞毎日新聞の1面コラムでも紹介されている。

歌人の俵万智さんも、次のようにXで反応していた。
<優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語>

◾詩歌にも採用 元祖は鉄幹?

現代詩歌はいまや、効果的な作法としての句読点が定着している。岡野弘彦さんの歌集『バグダッド燃ゆ』は2006年の発表当時、「歌中に句読点がついているから目を見張る」(英文学者の外山滋比古さん)と話題になった。

例えば、こんな一首。
<キリストか、アッラーか知らず。人間をほろぼす神を 我うべなはず>

岡野さんが師事した民俗学者で歌人の折口信夫(釈迢空)も、あえて句読点を採用した一人だ。いわく、「自身の呼吸や、思想の休止点を示す」ため、と歌集で明かしている。

嚆矢(こうし)はおそらく、与謝野鉄幹だろう。明治29年(1896年)に刊行した詩歌集『東西南北』に登場する。

<花ひとつ、緑の葉より、萌え出でぬ。 恋しりそむる、人に見せばや。>

句読点は一首になんと、五つも文節ごとにちりばめられている。旧来の詩歌からアップデートした「新体詩」とも呼ばれる詩型だ。その旗手だった鉄幹の挑戦心が透ける。

つまり、明治から平成にかけた詩壇において、「。」は斬新で、ナウかったわけである。

◾ワンパターン化で丸かぶり未遂事件

コピーライティングにおいても、句読点は“正解”だ。政界でもワンパターン化した結果、2年前にキャッチフレーズの「丸かぶり未遂事件」が起きた。

2022年の参議院選挙を見据えて岸田文雄首相が率いる自民党が打ち出したのは、「決断と実行。」。田中角栄政権(1972年)当時の「決断と実行」に「。」を打ち、“いまっぽさ”を演出した。

一方で日本維新の会が用意していたフレーズは「決断。そして実行。」。「。」まで酷似した「丸かぶり」(党関係者)ぶり。結局、発表直前に「改革。そして成長。」と作り替えられた。やはり、句点は譲れなかった。

◾コピーの神様」に起源

こうした「テンマルコピー」ブームの火付け役は、糸井重里さんだろう。1980年代西武百貨店の広告で連打した。
<じぶん、新発見。>
<不思議、大好き。>
<おいしい生活。>

ジブリ映画でもおなじみだ。
<カッコイイとは、こういうことさ。>(紅の豚
生きろ。>(もののけ姫

その糸井さんにも「元祖」がいるらしい。「コピーの神様」と呼ばれる土屋耕一さん。糸井さんは自身のウェブサイトでこう明かしている。
<「渇きに。」っていうのがあって。「丸打つかぁ!」って若いときに思って、自然に僕は真似をするようになったんです。>

君に、胸キュン。」(YMO)、「モーニング娘。」、「君の名は。」(新海誠監督の映画)、「りんたろー。」(EXIT)と句点の系譜は続く。

やはり、「。」は“正義”だ。だから、自信をもって、打つ。

(文:笹川賢一)