雅で感性豊かな平安貴族たちに目移ろい。男性貴族を演じる俳優陣の華やかさにもうっとりしてしまう。



光る君へ』より © NHK



 大石静の脚本による今年の大河ドラマ『光る君へ』(NHK総合、毎週日曜日よる8時放送)でひときわ輝いて演じるのが、藤原実資藤原公任である。それぞれ、秋山竜次と町田啓太が演じるが、ちょっとした疑問が浮かぶ。


 イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、実資と公任のどちらが、平安イケメンであり、“リアル光源氏”なのか、徹底分析する。


◆ライバルのどちらがイケメンか



 日頃からイケメンについてばかり考えている筆者の視点で『光る君へ』を見ていると、どうしても気になってしまうことがある。それは、藤原道長のライバルとなるふたりの平安貴族、そのどちらがイケメンなのかということ。


 かたやライバルにして良き友でもある藤原公任町田啓太)。かたやライバルにして最大の批判者(理解者?)であった藤原実資(秋山竜次)。


 令和の価値観なら話は早い。それぞれ演じる俳優をひと目見て、イケメンなのは町田だとすぐ軍配はあがるからだ。


 翻って、じゃあ当時の価値観なら? 平安時代の様子を描いた絵巻を眺めてみる。男性貴族が揃いも揃ってふっくらして、鋭い目つきが特徴的であることがわかる。


 この単純なビジュアル判断ならば、平安イケメンは、秋山ということになるのだろうか……。


◆平安的美意識の鑑



 絵巻の男性貴族たちには他にも共通点がある。みんな肌が白いことだ。『源氏物語』の作者である紫式部の日記『紫式部日記』には、男性貴族も白粉で化粧することが身だしなみの常として描写されている。


 あるいは紫式部による54帖の『源氏物語』でもっとも分厚い「若菜」の巻下に記述がある通り、白粉は顔にベタッと厚く塗るのではなく、薄く透明感ある白さが風雅であったよう。


 となると、地黒な肌そのままの秋山扮する実資は、透明感の観点からするとちょっと美意識が違うかもしれない。一方、公任を演じる町田は申し分なく白い。透明感あるその白さは、平安の美意識の鑑ではなかったか。


◆「真白」という役名
 時代は下って、鎌倉時代に成立した『平家物語』から、名高い「敦盛の最期」を引用しておきたい。「顔に薄化粧をしてお歯黒をつけた、わが子小次郎ぐらいの年配にあたる十六、七の美少年である」(中山義秀訳)とあり、男性貴族の美しさが白さに結実していることがわかる。


 中学、高校の古文の授業でも頻出するこの箇所を読むたび、それはそれは美しかったんだろうなと思いながら、現代なら誰似だっただろうかと、敦盛に町田啓太を重ねてみることがある。町田は単に肌の白さだけでなく、白さを象徴する俳優でもあるからだ。


 2016年のドラマ『スミカスミレ 45歳若返った女』(テレビ朝日)で町田が演じたのが、真白(ましろ)勇征という大学生。「真白」という役名が象徴する美しい響きが、そのまま公任役の通奏低音になっていると筆者は解釈している。


◆内面世界も豊かな公任



 どうも役柄そっちのけで、単なる町田君びいきになってきた。一度、深呼吸。ビジュアルの議論から今度は内面的な部分へ注力してみる。『光る君へ』第7回、妻の桐子(中島亜梨沙)にぐちぐち愚痴る実資を秋山が愛嬌たっぷり演じる。


 桐子は「くどい」といって日記に書いたらどうかとしきりに促す。実資は『小右記』という日記を残している。「この世をば……」ではじまる藤原道長の有名な「望月」の歌は、実は道長の日記『御堂関白記』ではなく、この『小右記』に記述がある。


 宴席で披露された同歌に対しての唱和を求めた道長に対して、実資はうまくかわしている。博識でありながらも知識をひけらかさない実直な性格については、『紫式部日記』でも高評価である。


 でも博識というなら、公任は折り紙つきだ。趣深い歌風で知られる名歌人だった公任は、漢詩、管弦、和歌(「三船の才」)に優れた人。関白の息子という身分だけでなく教養も桁外れだった公任が、モテたのなんのって。


 こうなると俄然、公任びきいまで始まってしまうのだが、今でいえばベストヒット歌謡アルバムみたいな『和漢朗詠集』を編纂した公任が、竜笛を吹く場面で町田は、指先まで雅な美しさをめぐらしている。透明感ある白さの外面だけでなく、内面世界も豊かな公任にやっぱりイケメン軍配をあげるべきかしら。


◆光源氏的な振る舞い
 第3回、女性たちからの恋文を読み上げながら辛辣な批評を下す公任のプレイボーイぶりがリアル光源氏だとネット上では囁かれた。公任を筆頭に、道長、藤原斉信(金田哲)、藤原行成(渡辺大知)による“平安のF4”が集まり、女性に関する談義を繰り広げる様は、『源氏物語』にも同じような場面がある。


 「帚木」の巻に有名な「雨夜の品定め」としてあり、男性貴族たちが好き勝手に下世話な会話で盛り上がる。そんな他の貴族を横目に光源氏は横になって、あまり熱心に話には入らない。むしろ率先して批評していた公任は対照的で、光源氏的な振る舞いとはいえないことになる。


 ただし談義前の公任は、床に寝そべるという光源氏的体勢をとっている。『源氏物語』には「柔らかい白い着物を重ねた上に、袴は着けずに直衣だけをおおうように掛けて、からだを横にしている源氏は平生よりもまた美しくて」(与謝野晶子訳)とあり、光源氏と公任の寝そべりの美しさは共通している。


◆リアル光源氏を決める



 一方、SNS上をパトロールしていると、秋山こそが光源氏だとする意見もあった。でもこれまた平安絵巻の男性貴族像からのビジュアル的判断なので、やっぱり安直かなと思う。ここで最初の問いをどちらがリアル光源氏なのかと修正しておく。でもこの問いになると筆者は途端に公任びいきの勢いをゆるめてしまう。


 問題は公任の出世にあるからだ。花山天皇時代までは順調に昇進し、正四位まで位階が上がるが、その後、道長にあっという間に追い抜かれ、政治の中心から外れることになる。


 対して天皇の子として生まれた光源氏は初まりからすでに従四位。39歳のときには、退位した天皇に等しい待遇の准太政天皇になる。


 実資はどうかといえば、一条天皇時代に参議になり、最終的には右大臣まで上がる。何とか表舞台にカムバックして、大納言まで上がった公任だが、政治の面ではイケてなかったのか。


 いやでも待てよ。『源氏物語』の「桐壺」の巻には、光源氏の美しさについて、「源氏の美貌を、世間の人はいいあらわすために光君といった」とあり、これは、やっぱり町田フィルターを通した公任を描写する記述としても成立する気がする。


 かといって町田君のビジュアルを見て、すぐに光源氏だと即断するのはやっぱり慎むべきだしなぁ。うーむ。リアル光源氏を決めるのは、そんなに容易ではないらしい。


<文/加賀谷健>


【加賀谷健】音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu



『光る君へ』より ©︎NHK