元NFLのスター選手で俳優のO・J・シンプソンが4月10日前立腺がんのため76歳で逝去しました。「O・J・シンプソン事件」として知られる、元妻とその友人の殺害容疑を巡って争われた裁判は「世紀の裁判」と呼ばれ、全米が固唾(かたず)を飲んで見守りました。

【画像】生前のO.J.シンプソン

●がんのため死去

 家族はシンプソンのX(Twitter)アカウントへの投稿で、「4月10日、私たちの父オレンタール・ジェームス・シンプソンが、がんとの闘病の末に亡くなりました。彼は子どもたちと孫たちに囲まれていました。この過渡期において、家族のプライバシーと恩寵を尊重してくださるよう願っております。シンプソン家」と訃報を伝えました。

 また、プロフットボール殿堂は4月11日、シンプソンが2カ月前に前立腺がんと診断を受け、化学療法を受けていたと述べました。シンプソンは後述の事件前の1985年プロフットボールの殿堂入りを果たしています。

●全米の注目の的だった「O・J・シンプソン事件」

 NFLのスーパースターであったシンプソンの人生が一転し、世界中から注目を浴びることになったのは1994年のこと。6月13日、シンプソンの元妻ニコールブラウンカリフォルニア州ロサンゼルスのブレントウッドにある自宅の前で、友人であったロナルドゴールドマンとともに血だらけの刺殺体で発見されたことから始まりました。

 警察から事件を知らされイリノイ州シカゴからすぐにブレントウッドヘ駆け付けたシンプソンは、飛行機から降りた直後に手錠をはめられることに。一度は釈放されたものの16日には第一級殺人罪で逮捕令状が。このとき警察とカーチェイスを繰り広げ、全米が生中継にくぎ付けとなる中の逮捕劇となりました。

●人種間の摩擦を憂慮、弁護サイドは「ドリームチーム」を結成

 殺害された2人は白人で、黒人のシンプソンが被告となったこの裁判には人種問題の観点からも多分に取り沙汰されることに。シンプソンに有利な結果となれば白人側から「スーパースターだから」と非難され、不利な結果となれば黒人側から「人種差別」と非難されることを予想し、誰から見ても中立と納得できる結果が求められました。判事には黒人でも白人でもないと日系アメリカ人のランス・イトーが選出。また、弁護側は黒人の多い地域からの陪審員選出を要求するなどして、12人中9人の陪審員が黒人に。人種問題がかつてないほど重要な要素となった裁判となりました。

 弁護側も検察側も超一流の人材が出そろい、「世紀の裁判」と呼ばれたこの裁判は、判事によってTV中継が認められ全米が見守ることになります。検察側はシンプソンが離婚前にニコールへ暴力を振るっていたことや離婚後にも執着を見せていたこと、被害者2人の血が付いた手袋の片方が事件現場で、もう一方がシンプソンの自宅で見つかったことなどを証拠として有罪を主張。

 一方、弁護側はシンプソンにはすでに交際相手がいたことや、発見されたという手袋をシンプソンが法廷ではめてみたところサイズが小さすぎて入らなかったことなどを挙げ、全面無罪を主張しました。

 約11カ月におよんだ裁判ののち、1995年10月にシンプソンへ無罪判決が下りました。しかし刑事裁判では無罪を勝ち取ったものの、その後ロナルドゴールドマンの遺族らによる民事裁判では有罪となり、賠償命令が下されることに。また裁判により多額の借金を背負うこととなり、2007年にはラスベガスで拳銃を所持した強盗事件で逮捕され、約9年間服役しています。

●息子のものとされるInstagramのコメント欄は荒れ気味に

 シンプソンは2番目の妻だったニコールとの間にシドニージャスティンという2人の子どもを授かっていました。シンプソンにとって末っ子となるジャスティンは、ニコールが殺害された当時まだ5歳でした。

 ジャスティンのものとされるInstagramアカウントでは、2022年2月にInstagramでパートナーとの間に子どもを授かり、あと数カ月で誕生する予定であることを報告。これが最新投稿であるため、父親の訃報が流れたのちコメント欄には「お悔やみを申し上げます。ジャスティンとご家族に神のご加護と祝福がありますように」「お父さんのこと、残念です」「今日はあなたとシドニーのことを考えていました」などとお悔やみのコメントが書き込まれました。

 しかし、母親の殺害容疑が父親にかけられた複雑な家庭環境から、「彼の母親を殺した犯人にお悔やみをいう人々はいったいどういうつもりなんだよ?」といった辛らつなコメントも寄せられ、また、これらのコメントへ「だって彼の父親なんだから。どうしろっていうんだ」「ジャスティンは父親がやったこととは何の関係もないんだよ」などと反論も書き込まれ、さまざまな声が寄せられています。

 死去を伝えるメディアのSNS投稿にも、追悼の他に「最後には本当のことを言い残したのだろうか」と複雑な思いを訴えるコメントが数多く寄せられ、明暗併せ持つ故人の生涯を象徴するようでした。

プロフットボール殿堂も追悼記事を掲載