五等分の花嫁」の春場ねぎが、ラブコメだった前作とは打って変わって戦隊アクションに挑んだ意欲作「戦隊大失格」。「TIGER & BUNNY」のさとうけいいち監督と「アークナイツ」シリーズの制作会社Yostar Picturesタッグでテレビアニメ化され、4月7日よりTBS系全国28局ネットにて放送中だ。

【写真を見る】ドラゴンキーパーと怪人との死闘…全部が茶番だった!?

一癖も二癖もあるキャラクターや驚きにあふれたストーリーテリング、それを“劇場版レベル”のハイクオリティで描いているのが魅力の本作。今回は本作の注目ポイントを紹介しながら、戦隊ヒーローと怪人の善と悪の価値観がひっくり返っているという、映画ファンにも馴染み深い“アンチヒーローもの”の魅力に迫り、「戦隊大失格」に込められた数々の要素を掘り下げていきたい。

■「TIGER & BUNNY」のオマージュも!さとう監督が構築した新たな世界

毎週末に地上へ侵攻する怪人たちと竜神戦隊ドラゴンキーパーの戦いがテレビ放送され、市民たちは固唾を飲んで戦いの行く末を見守っていた。しかしこの戦い、実はすべて茶番。悪の組織の幹部はすでに全滅しており、ドラゴンキーパーとの取引で生き残った戦闘員たちが毎週勝てない戦いを強いられていたのだった。この敗れ続ける人生を変えようと、やさぐれ戦闘員D(声:小林裕介)は、世間に知られるヒーロー像とかけ離れたドラゴンキーパーをぶっ潰すために立ち上がる。

正義の味方たるヒーローたちの、「テレビ中継という形で毎週苦戦しながらも敵を倒す姿が放送される」という“表”の状況は、現実でも日曜朝に放送されている子ども向けヒーロー作品とよく似たフォーマットが使われている。しかし、そうした善悪の戦いにおいて、人々の希望として映る、「世のため、人のために戦うヒーローたち」の“裏”の顔はどうなっているのか?

本作のさとう監督は、これまでいくつかのヒーロー作品の制作に関わってきた人物であり、いわゆる“スーパーヒーローもの”が主流であるアメリカンコミックスの作品にも精通している。なかでも2011年に放送されたテレビアニメ「TIGER & BUNNY」では、複数のヒーローたちが企業に雇われ広告を背負いながら、治安維持活動をする様子をエンタテインメント番組として放送して、その活動結果がヒーローの順位づけにづながるという世界観を構築。落ちこぼれヒーローであるワイルドタイガーを主人公に、企業主導の社会におけるヒーローの姿を描いていた。

そうした、ヒーローものの従来から存在する視点を理解し、角度を変えて描く試みをしてきたさとう監督が、「戦隊大失格」をどう料理して魅せるのかが本作の大きな見どころになると言えるだろう。また、ヒーロー活動がエンタテインメントとして様々なメディアに放送されているという点は、「戦隊大失格」と「TIGER & BUNNY」の共通する要素。太田真一郎によるナレーションや、第1話Aパートの終わりで「CMだ!」とフリを入れて実際にCMに入る演出など、さとう監督自らがセルフパロディ的な魅せ方をしているのも見逃せない。

Yostar Picturesが生みだす、ハイクオリティな映像美

そんな本作を“劇場版クオリティ”でテレビアニメ化したのは、新進気鋭のアニメスタジオであるYostar Pictures。テレビアニメとしては珍しいシネマスコープサイズ(=おもに映画作品で使用される横長な画角)で制作した「アークナイツ」シリーズや、同社の取締役を務める斉藤健吾監督がSNSで「ゴルフアニメを作りたい」と投稿したことがきっかけで制作が進んでいる「空色ユーティリティ」など、自由な制作体制で注目を集めている。

戦隊大失格」でもその既存のやり方にとらわれない挑戦的なスタイルが活かされており、Yostar Picturesが誇る美麗な作画や、3DCG技術を用いたスタイリッシュな演出で、独自の世界観を表現。原作の特徴の一つである、キャラクター名や技名で使用される独特のフォントも、原作ファンが驚くほどに完全再現している。

そして音楽を担当しているのは、「TIGER & BUNNY」や『GANTZ:O』(15)などさとう監督との黄金タッグで知られる池頼広だ。アニメ作品だけでなくテレビドラマ「相棒」や「女王の教室」、「探偵はBARにいる」シリーズなど数多くの作品を手掛けており、昨年には『ハケンアニメ!』(22)で第46回日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞している。

池による劇伴は、第1話の冒頭から魅力が炸裂している。ドラゴンキーパーたちの紹介する際には「TIGER & BUNNY」のオマージュも感じる雄大な音楽が流れるが、その後の怪人との決戦では、戦隊が怪人を追い込む展開であるはずなのに、ピンチの場面のような音楽にいつの間にか変わっていく。さとう監督による角度を変えて描く試みが音楽にも盛り込まれており、音楽だけでも“アンチヒーローもの”の構図のおもしろさが把握できるようになっているのだ。こうした作画や音楽、演出などのハイクオリティな仕上がりは、映画ファンにも感じてほしいポイントであり、原作ファンも新鮮な気持ちで楽しめることだろう。

■日本の作品ではあまり描かれなかった“アンチヒーローもの”の魅力

ここからは、「戦隊大失格」で描かれる“アンチヒーローもの”の魅力に迫っていきたい。ドラゴンキーパーのリーダーであるレッドキーパー(声:中村悠一)をはじめ、本作に登場するヒーローは人々の思う正義の姿からかけ離れて、傲慢でエゴイスティックな性格であり、力と権力、大きな資本力を持ち、“正義”という概念からは遠く離れた存在となっている。この歪んだ“正義”に対し、いわゆる敵(=ヴィラン)が立ち向かう構図は、日本の特撮やアニメなどではこれまであまり描かれることがなかった。

一方、アメリカンコミックスやそれをもとにした映画、ドラマシリーズでは、わりと早い時期から、「特殊能力を持つスーパーヒーローは本当に正義の存在なのか?」を問う物語がいくつか描かれている。その代表とも言えるのが、ザック・スナイダー監督による映画や、HBOのドラマシリーズでも知られる「ウォッチメン」だろう。原作を手掛けたアラン・ムーアは、1980年代まで子ども向けだと言われていたアメリカンコミックスに文学的な要素を取り入れることで、物語性を向上させ、大人も楽しむことができるメディアへと変化させた人物の一人。

歴史が改編された1980年代後半のアメリカを舞台にした「ウォッチメン」は、東西冷戦という当時の社会情勢のもと、政府に管理されたヒーローが登場する。そして、そこに隠された大きな陰謀を暴こうと行動するのは、非合法活動をしているとレッテルを貼られた元ヒーロー。強大な力を持つヒーローが脅威となるなかで、小さき存在が一人乗り出す状況は、「戦隊大失格」の主人公である戦闘員Dの行動と共通している要素だと言えるだろう。

そして、近年注目されたスーパーヒーローとその敵対者の立場が逆転した物語と言えば、ドラマシリーズ「ザ・ボーイズ」(Amazon Prime Videoにて配信中)もある。巨大企業に雇用されたスーパーヒーローたちが、超人的な能力を駆使してアメリカの平和を守っているとされ、ヒーローたちはエンタテインメントのポップアイコンとして憧れの存在として描かれる世界。その裏にはアメリカ政府や他国がヒーローを特殊兵器として恐れ、ヒーローたちも自分たちが特別な存在として扱われていることを認識して傍若無人に過ごしている。

ザ・ボーイズ」において最凶の存在として描かれるヒーローのホームランダーは、大きな力を持つが精神的に不安定で、かつ力に溺れ傲慢な存在となっている。その強大な力に挑むのは、ヒーローに隠された間違いを世に知らしめたい、小さき者である普通の人間たち。信頼できない相手に振るわれる大きな力への不安を、“スーパーヒーロー”という存在に置き換え、正義の在り方を問う形式は「ザ・ボーイズ」も「戦隊大失格」も似た要素を持っている。

■日本のヒーローものを踏まえた、善悪の逆転劇の真意

敵側である人間が、ヒーローに立ち向かう要素を持つ作品は、映画化もされた「スーサイド・スクワッド」やマーベルコミックスの「サンダーボルツ」など、かつてはヴィランとして活動していた者が集められ、ヒーローでは行えない“汚れ仕事”をこなすという作品が多数登場している。また、「ヴェノム」や「デッドプール」といったヒーロー的な倫理感を持たないキャラクターの作品も多い。ヒーローたちの正義の考え方が逆転したり、正義の在り方で対立したりする作品もあり、そうした“正義の在り方”にその時々で疑問を呈し、新たな価値観を提示、模索する役割として、“アンチヒーローもの”はアメリカンコミックスのなかで一つのジャンルとしてしっかりと息づいている。

一方で、日本のヒーロー作品では、いわゆる悪役的なヒーローが活躍する“アンチヒーローもの”は存在しても、ヒーロー作品の描き方の構造をひっくり返し、批評的にヒーローものを描いた作品はあまり多くない。「戦隊大失格」は、ある種のメタ的なストーリー展開をしたヒーローものとしても素直に楽しむことができるが、そこに“アンチヒーローもの”という視点を追加することによって、さらにもう一歩踏み込んだ形で作品を楽しむことができるかもしれない。

日本のヒーローもののフォーマットを踏まえながら描かれる、善悪の逆転劇の真意。そこに想いを馳せて、より深く「戦隊大失格」に込められた要素を読み解いてみてほしい。

文/石井誠

「戦隊大失格」に込められた数々の要素を深堀り!/[c]春場ねぎ・講談社/「戦隊大失格」製作委員会