多種多様な販売形態の登場により、構造や文脈が複雑化し、より多くのユーザーを楽しませるようになってきたデジタルゲーム。本連載「ゲームの元ネタを巡る旅」では、そんなゲームの下地になった作品・伝承・神話・出来事などを追いかけ、多角的な視点からゲームを掘り下げようという企画だ。企画の性質上、ゲームのストーリーや設定に関するネタバレが登場する可能性があるので、その点はご了承願いたい。

参考:【画像】にじみ出る『Bloodborne』の世界観

 第2回は『Bloodborne』から「クトゥルフ神話」を考えていく。

■『Bloodborne』のゲーム概要

 本作は2015年3月26日に発売したPlayStation4専用のアクションRPGだ。フロム・ソフトウェアが開発し、ソニーコンピュータエンタテイメントが販売を手掛けている。

 『Bloodborne』はフロム・ソフトウェアが連綿と作ってきた『Demon's Souls』から続く高難易度3Dアクションの系譜であり、隅から隅までプレイヤーの心をへし折る仕掛けが満載である。「ソウルライク」というジャンルが出来上がるほど完成され尽くしたゲーム体験は本作からも窺えるので、未プレイという方はぜひとも遊んでみてほしい。

 今回は、そんな『Bloodborne』の元ネタである「クトゥルフ神話」を掘り下げる。あらゆるフィクションに登場する旧支配者たちの名状しがたき声に耳をそばたて、恐怖に打ち震えるがよい。

■「クトルゥフ神話」とは?

 1920年代以降、アメリカの怪奇小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが書いた一連の小説を体系化した創作神話を指す。彼が作り出した設定を共有し、影響下にある別の作家が同じキーワードが登場する物語を発表し続けたことで、全体を「クトゥルフ神話」と呼ぶことになった。もちろん、神話と言っても、20世紀にアメリカで誕生したことが確定しているので、北欧神話やアステカ神話といったものとは一線を画している。

 ラヴクラフトが手掛けた初期のクトゥルフ神話作品は、太古の昔に地上を支配していた旧支配者(グレート・オールドワン)と呼ばれる異形の怪物たちが復活し、現代人は彼らの叡智に触れて発狂したり、為す術もなくただ逃げ惑ったりするという展開が目立つ。

 基本的にこの展開を多くのフォロワー作品が踏襲しているが、のちにブライアン・ラムレイが旧支配者と戦う小説を発表しているし、大量に作られているTRPGシナリオ「クトゥルフの呼び声」でも大体の場合は戦闘イベントが発生するので、近年では必ずしもその限りではない(『Bloodborne』もアクションRPGなので、旧支配者に類する「上位者」とのバトルが何度も発生する)。

 だが、重要なのはバトルの有無ではなく、多くの作家やクリエイターがラヴクラフトの考え出した概念を共有し、自らの作品に敷衍(ふえん)して融合させていった点にある。翻訳家にしてクトゥルフ神話研究家としても有名な森瀬繚氏は、これらクトゥルフ神話の特徴を、シェアード・ワールドを文字って「シェアード・ワード」と呼んでいる。

 たとえば、ラヴクラフトは自身の作品によく「アーカム」という架空の土地を登場させるが、この「時が止まった町」とも称される怪しい土地のイメージを借りて『バットマン』シリーズにも「アーカム・アサイラム」という精神病院が登場する。

 ほかにも、ニャルラトホテプ、銀の鍵、ミスカトニック大学など、名前を見ればすぐに「ああ、クトゥルフ神話をモチーフにしているんだな」という、ある種の符牒としてすら機能しているほど、クトゥルフ神話はあらゆるフィクションに溶け込んでいる。現代で言うところの「SCP財団」なども、明確にひとりの作家から出発しているわけではないものの、流行の仕方や消費のされ方としては似ている部分もあるだろう。

■『Bloodborne』が考えるオリジナルの「クトゥルフ神話

 と、先ほど森瀬繚氏がクトゥルフ神話を「シェアード・ワード」と呼んだことについて引用させていただいたが、実は『Bloodborne』は、明確にクトゥルフ神話を下地にしておきながら、そのシェアード・ワードという点を無視している。

 たとえば、『Bloodborne』には「アメンドーズ」というボスが立ちはだかる。彼らは遥か宇宙から飛来してきた人類を超越せし存在で、古都ヤーナムにあるビルゲンワースや医療教会という作中の学術組織が彼らを研究しており、挙句の果てには人類との交配という禁忌にも手を染めていたことがわかるわけだが、これらはすべてラヴクラフトたちが考え出した設定やシナリオを借りているのだ(『ダンウィッチの怪』などの有名な作品にいくつか触れれば、どこの部分を切り取ってきたかがすぐにわかることだろう)。

 とはいえ、フロム・ソフトウェアは地名・重要な概念・旧支配者などの名前をすべてオリジナルのものに変えている。「名状しがたい」だとか「SAN値」といったゲームに登場させるとかなり美味しいフレーズすら一切排除するという徹底ぶりだ。

 この「言い換え」こそが『Bloodborne』のシナリオの本質だと筆者は考える。

 特にアメンドーズは良い例だろう。透明になってワープしたり、何本もの触腕で叩いて攻撃してきたり、目からビームを出してきたりする。アクションRPGのボスとしてはオーソドックスな特徴があるが、このボスモンスターがクトゥルフ神話旧支配者で誰に相当するかと言われると、ちょっと思い当たらない。

 結局、既存のクトゥルフ神話から「これは借りる」「これは借りない」と取捨選択するのは簡単だが、それではゲーム的な納得感と齟齬が生じる。バトルや探索の面白さから逆算して、クトゥルフ神話の常識は後から加えていったと取るのが正しいと思われる。

 雰囲気だけを借りてあとは言い換える……というのは、なんとも難しいことをしているように見えるが、実はこれが最適解だったのだろう。『Bloodborne』は(ラヴクラフトたちへのリスペクトは十分に感じられるが)オリジナルであることを徹底したからこそ、いまでも愛される名作になったのではないだろうか。

(文=各務都心)

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