最新作『インフィニティ・プール』が公開中のカナダの鬼才、ブランドンクローネンバーグ。父親はご存知、敬意を込めて“変態”と称されるデヴィッドクローネンバーグだ。偉大な父を持った宿命か、“クローネンバーグの息子”という冠詞を必ずと言っていいほど付けてられてきたブランドンだが、『アンチヴァイラル』(12)、『ポゼッサー』(20)、そして本作と作品を重ねるごとに、彼ならではの世界観をアップデートさせ、着実にファンを獲得し続けている。

【写真を見る】環境破壊が進んだ結果、人類が痛みを失うなどの進化を遂げた近未来を描く『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』

とはいえ、両者の作品を観ているとその節々に共通点を見いだしては、「やっぱり親子だな~」と感慨深くなってしまうもの。奇しくも、『インフィニティ・プール』公開と同じタイミングで、デヴィッドが手掛けた『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』(22)のBlu-ray&DVDもリリースされたばかり。そこで双方の作品を見比べながら、通じ合う部分、微妙にベクトルの異なるところなどをピックアップし、それぞれのおもしろさを確認していきたい。

テクノロジーや医療、人間の深層心理をベースにした世界観

セレブが感染したウイルスを採取し売買する近未来サスペンス『アンチヴァイラル』、他人の意識に侵入して操作する工作員の危険なミッションを描く『ポゼッサー』と、特殊な設定が好奇心をそそるブランドン作品。『インフィニティ・プール』では、殺人など重罪を犯したとしても、多額の資金を支払うことで自身のクローンを生成し、刑罰を代わりに受けてもらうことができる高級リゾート地が舞台になっている。このリゾートはどこかの孤島にあり、観光客は敷地外に出ることを禁止されている。一歩外に出るとそこの住人は貧しい暮らしをしていて、犯罪率は高く、警察は強権的だ。セレブたちがバカンスを楽しんでいる様子との対比が印象的に目に入ってくる。

一方の『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は、地球の環境破壊が進んだ結果、人類は痛みを失い、プラスチックを食べるなど様々な進化を遂げた近未来が舞台。冒頭から、ある母親がプラスチックを食べる息子に嫌悪感を示して殺害するほか、進化した人類を監視する極秘の政府機関も登場するなど、人類の進化に社会がまだ適応できていないことが描かれていた。

両作ともテクノロジーや医療、人間の深層心理などがベースになっていて、劇中の人々や世界が抱える問題も示唆。どちらかというと、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』が引いた視点で物語を見守っているのに対し、『インフィニティ・プール』は痛烈でシニカル。刑法から解き放たれたことで人々のモラルが剥ぎ取られ、善意の仮面に隠していた傲慢で横暴、暴力的な部分が暴かれていく。

また、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』には人間の体を切り開く“サーク解剖モジュール”や食事など生活面のサポートをしてくれる“ライフ・フォーム・ウェア”といったガジェットが登場。昆虫やサナギのような生物的なデザインで、クリエイターの嗜好や愛嬌も感じられる。それとは逆に『インフィニティ・プール』に映る機械や道具はとにかく無機質。意味ありげにクローズアップされる工場のパイプラインに始まり、流れ作業のように行われるクローンの生成シーンには感情がこもっておらず、登場人物だけでなく観ている側の不安も煽られてしまう。

■創作に思い悩む主人公

どちらの作品の主人公もアーティストという共通点があり、共に創作に対する不安を抱えているところも興味深い。『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』の主人公、ソール・テンサー(ヴィゴ・モーテンセン)は“加速進化症候群”を抱え、新しい臓器を体内で生成し続けることができる。この臓器をパートナーのカプリース(レア・セドゥ)による公開手術で切除するパフォーマンスが人気を博しているのだが、その生成ペースが落ちていることを気にしていた。

インフィニティ・プール』のジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)の場合はかなり深刻。小説家で件のリゾートにはインスピレーションを求めてやって来たのだが、過去に出版できたのは一冊だけで、それも出版社を経営する妻の父親の力添えがあってのもの。批評家からの評価も散々で、執筆を続ける自信も喪失してしまっている。そんなジェームズの前に現れるのが、彼のファンを名乗るガビ(ミア・ゴス)だ。初めて出会ったファンの存在に色めき立つジェームズをリゾート地の外にあるビーチに誘うのだが、それが悪夢の始まりになってしまう。

初めてのクローン生成とそれに刑が試行されるのを見守る経験をしたジェームズを、ガビは同じようにクローンに刑の身代わりになってもらっては自由奔放に振る舞うセレブたちのグループに招き入れる。抑えていた欲望が解放され楽しい時間を過ごすジェームズだったが、元々の精神的な弱さ、臆病さが表面化し、ガビから激しくなじられ、ありとあらゆる汚い言葉を投げかけられることに。

ソールカプリースが互いを支え、高め合っている関係性なのに対し、ジェームズにとってのガビはアメとムチを使い分ける軍隊のスパルタ教官のような苛烈さ。演じるアレクサンダー・スカルスガルドとミア・ゴスによる体当たりの怪演もあって、トラウマ級に精神的に追い込まれる感覚を追体験させられる。

■より過激なものを追い求める人間の性質

本来、人はグロテスクなものは避ける傾向にあると思うが、何度も目にすることでしだいに慣れていき、より刺激のあるものを求めてしまう。人類が痛みを失った『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』ではそれが顕著で、ソールたちが行う公開手術や、目と口を縫い付け全身にいくつもの耳を移植した“イヤーマン”のダンスパフォーマンスにも熱狂するほか、観客自身もナイフで体を切りつけ合いながら悦に浸っている。一方で、イヤーマンのパフォーマンスについて“過激なだけで中身がない”とも劇中で示唆。それでも大勢を集客することにソールらが一家言ありそうな姿勢を見せており、アートの在り方を問いかけているとも受け止められる。

インフィニティ・プール』ではクローンに死刑が行われる有り様を本人も見届けなければならない。自分そっくりなクローンが柱に縛り付けられ、腹部をナイフで何度も刺される光景を当初は怯えながら見ていたジェームズだが、だんだんと目が離せなくなっていく。ナイフが刺さるたび大量の血があふれ、地面に溜まっていくなか、取り憑かれたように凝視するジェームズの姿からは、残酷なものを求めてしまう人間の矛盾した性質を感じさせる。

こうして『インフィニティ・プール』と『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』と比較してみて感じるのは、それぞれのアプローチで倫理的なテーマに挑戦するクローネンバーグ父子のクリエイティブに対する真摯さ。時に反発を受けることも恐れず、描きたい作品を撮り続けるところに大勢が惹かれるのだろう。これからも2人が生みだす刺激的な世界を楽しみにしたい。

文/平尾嘉浩

ブランドンとデヴィッド。クローネンバーグ父子が描く世界観を比較してみる(『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』)/[c] 2022 SPF (CRIMES) PRODUCTIONS INC. AND ARGONAUTS CRIMES PRODUCTIONS S.A. [c] Serendipity Point Films 2021