第96回アカデミー賞において、作品賞と脚本賞にノミネートされた『パスト ライブス/再会』が公開中だ。12歳でソウルからカナダに家族で移住したナヨンは、24歳の時に初恋の相手ヘソン(ユ・テオ)とオンラインで再会する。それから12年後、36歳になったナヨンは英語名のノラ(グレタ・リー)を名乗り、アメリカ人の夫アーサー(ジョン・マガロ)とニューヨークで暮らしている。ノラは、ニューヨークへやってきたヘソンと、24年ぶりに再会する。監督・脚本のセリーヌ・ソンと、主演のリーはオンライン取材で、この映画が結んださまざまな縁(イニョン)、そしてラストシーンの解釈について語ってくれた。

【写真を見る】ラストシーンの解釈も明らかに!セリーヌ・ソン監督とグレタ・リーへのインタビューで『パスト ライブス/再会』の核心に迫る

※以降、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。

■「脚本を読んで、この感覚を知ってる、と直感的に思いました」(リー)

ソン監督がニューヨークのバーで実際に経験した状況が、映画冒頭そしてクライマックスのシーンとして再現されている。その個人的な思い出が物語の起点となったという。

ニューヨークに遊びにきた幼い頃の初恋の相手と、一緒に暮らしている夫の間に座っていたとき、この3人が過ごしてきた人生を再現する必要性がぎゅっと詰まっているように感じました。この2人の男性は私という人間、私自身、私が生きてきた歴史の鍵をそれぞれ握っていますが、彼らはお互いにその鍵が私のアイデンティティや自身にとってどのようなものなのかを知る術はありません。そこから私の主観(サブジェクト)を脚本という物質(オブジェクト)に、さらに対象(オブジェクト)へと転化させていきましたが、この個人的な経験から生まれた物語が、観客の皆さんにとっても個人的な物語になりつつあることをとてもうれしく思います。主観的(サブジェクト)なものが客観的(オブジェクト)なものへ変わり、そして観客の主観的な物語に戻るというおもしろい循環が行われています」

ソン監督は、ノラ役を演じたリーに対し、『実在の人物や感情を再現するのではなく、一緒にノラをつくりあげてください』とお願いしたという。一方、脚本を受け取ったリーは、「韓国語で演じるの?」と少し困惑したと語る。

韓国語で演技をするつもりはなかったので…。エージェントから脚本を受け取って、セリーヌのことも知らなかったけれど、一気に読んでしまいました。いままで読んだことのない脚本でした。私はロサンゼルスで生まれた韓国系アメリカ人で、セリーヌやノラの移民体験とは違うけれど、この感覚を知ってる、と直感的に思いました。脚本を読んでいるときに電気が走るような感じがして、それはいま、映画を観た観客のみなさんが味わっている感覚と同じで、まるでSFのようです。この感覚こそ、私たちがこの映画に夢みたものです。移民でもなく、世界中の人々がこの映画を観て『この気持ちに覚えがある』と言ってくれることを。私たちは出会ってすぐに信頼関係で結ばれました。2人の共同作業で、正確に、明確に、セリーヌの真似をするとかではなく、ノラという女性を作り上げることができました。まさに、一生に一度の経験でした」

■「2つの世界を行き来しているような感覚」(リー)

初めてリーと対面した時の印象をソン監督は、「恋に落ちるような感覚としか言いようがないのですが、グレタには私がノラに求めていた魂がありました。グレタには燃えるような魂が宿っていて、ノラを演じるためにはその炎が必要でした」と告白する。ソン監督は、ノラをめぐる2人の男性、ヘソンを演じたテオ、アーサーを演じたマガロとも有機的な役作りを設定してくれたそうだ。

「私たちは、ノラとヘソンのように別々の国(アメリカと韓国)に住んでいたので、まずZoomで撮影を開始したので、短い準備期間でも幼なじみのような現実的なつながりを築くことができました。そして、彼が撮影のためにアメリカに来た時に、映画の中の再会のようなお互いが肉体的に存在していることを確かめるという経験をしました。そして、ジョンとは、機能的で成熟した結婚生活を送っているという役作りをしました。2人の関係が信頼に基づき信憑性があり、本当の愛が構築されていれば、アーサーはこの物語のヴィラン(悪役)ではないとわかっていただけるでしょう。そしてセリーヌは、ヘソンとアーサーが映画のなかで実際に会う瞬間まで、2人を別々にしておきました。あのシーンは本当にすばらしく、ベストショットだと思います。このショットが2人に、そして私(ノラ)にどんな感情をもたらすのか、体で感じることができました」

「また、それぞれの言語を話すには言葉だけでなく、身体的な変化も必要なのです。セリーヌは、私とテオのシーンでは韓国語、ジョンとのシーンでは英語で演出し、私もノラのように2つの世界を行き来しているような感覚を味わいました。2人の男性に挟まれ、まるで2つの世界の入り口に立っているような、文化や時空を飛び越えているような、そんな瞬間でした。それは、2人の素晴らしい俳優と、2つの異なる世界を作り上げられたからこそ実現できたことです」

■「まだ恋を知らない時にこの映画を観るのと、たくさんの恋を経験したのちに観るのとで、感じ方は変わるでしょう」(ソン監督)

『パスト ライブス/再会』は、サンダンス映画祭やベルリン映画祭で上映されたのち、北米で劇場公開された。ソン監督やリーのもとには、様々な観客から感想が寄せられたという。その多くが、リーが言うような『この感情を知っている』というもの。

「とても若い女性から、『私はまだ恋に落ちたことはないけれど、あなたの映画を観て、これからの人生に希望が湧いてわくわくし、いつか恋をしてみたいと思いました』と言われました。このような反応はまったく想定していませんでした」とリーが言い、「まだ恋を知らない16歳の時にこの映画を観るのと、60歳になってたくさんの恋を経験したのちに観るのと、感じ方は変わるでしょうし、変わるべきだと思います」とソン監督は語る。

初恋の相手との再会は、過去を懐かしむものではなく、未来へ進むためのイニシエーションだとソン監督は考えているようだ。

「私たちは、いつも子ども時代を手放すよう求められているような気がします。だって、大人たちのドラマはいつも、大人たちがお互いに対して子どものように振る舞うことから始まるものだから。ノラとヘソンは、お互いの目には12歳のように映っているけれど、実際は40歳近いという矛盾があります。この矛盾がこの物語の核心でした。太平洋を横断する移民の話でなくても、誰にでも思い当たる節があるでしょう。例えば、私は35歳だけど、母親といると急にティーンエイジャーに戻ったような気分になることがあります。つまり、それは生きること、人間であることの自然な感覚の一部なんだと思います」

■「ノラの足取りが、過去へは向かっていないと表すタイムラインのように撮りました」(ソン監督)

夜明け前、空港へ向かうヘソンを見送るノラ。そして無言でノラを受け止めるアーサー。この数分間のシーンで三者三様の複雑な思いが交差し、その想いが観客にまで伝わる名シーンだ。このラストに関し、ソン監督は演出意図についてこう解説している。

「あのシーンは、彼女の足取りは過去へは向かっていないと表すタイムラインのように撮りました。車はノラの過去に向かいますが、彼女は振り返り、自分の現在と未来がある場所に向かって歩き出します。そして、彼もこの街を去ることによって、なにかを終わらせることができるのです。左から右へ、右から現在へ、そして未来へと。だから、彼が自分で去っていくシーンで終わる必要があったのです。車は走り去るけれど、私たちはここにとどまる。彼は、ニューヨークを訪れた1人の観光客に戻り、去っていきます。私たちは彼らのストーリーの一部を垣間見たに過ぎないのです」

取材・文/平井伊都子

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