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4月12日穴水町の避難所でお見舞いをされた天皇陛下と雅子さま /(C)JMPA

全壊した建物、半ば崩れている家屋……地震の爪痕がそのまま残された石川県穴水町商店街。

町長からの説明を受けながら、真剣な表情で視察されていた天皇陛下と雅子さまが目を留められたのが、営業中の美容室「しらふじ」だった。店の中に人の姿があることに気づいた両陛下は、予定にはなかったが、町長に確認をとり、美容室に歩み寄られた――。

皇室担当記者はこう語る。

4月12日、天皇皇后両陛下は能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県穴水町能登町を訪問されました。石川県への慰問は3月22日輪島市珠洲市に続き、2度目です。同一県での被災地連続ご訪問は、’95年、阪神・淡路大震災後の2月と3月に兵庫県を連続で訪問されて以来、29年ぶりとなりました」

前回同様、ヘリコプターマイクロバスを乗り継いで移動されるハードスケジュールとなった。

能登半島地震の被害は広範囲に及びます。1日だけのお見舞いでは足りないとお考えだったのでしょう。実は3月22日のお見舞いでは、避難所付近の住民たちでも、両陛下のご訪問を知らなかった人が多かったのです。両陛下としては“もっと多くの被災地の住民たちを励ましたい”というお気持ちも抱かれていたと思います」(前出・皇室担当記者)

予定外の美容室へのお立ち寄りも、そうしたお気持ちの表れだったのかもしれない。

雅子さまは美容室のオーナー・宮下由里重さん(49)に「大変でしたね。大丈夫でしたか? いつからお店を営業されているのですか?」などと声をかけられたという。

お店に『女性自身』も置いてくれている宮下さんは、本誌の取材に次のように話してくれた。

「雅子さまの声はおやさしくて、本当に心配してくださっている気持ちが伝わってきました。ご質問には、『2月から水が通ったので、2月から営業しています』と、お答えしました。雅子さまのお姿は雑誌やテレビでも拝見しています。でも実際にお会いすると、やっぱり写真や映像とは全然違いますね。お声をかけていただいたことで、元気になりましたし、力を与えていただいたように感じました」

■両陛下が守られる「一視同仁」の思想

やさしく声をかけられたり、笑顔をお見せになったりと、穴水町能登町の被災者たちに復興への希望を与えられた雅子さま。

新田栄子さん(84)も、そのうちの1人だった。

穴水駅の前で、マイクロバスに乗っている両陛下をお迎えしました。雅子さまはやさしいお顔で、やっぱり元気が出ます」

実は新田さんは、天皇陛下にお会いするのは“60年ぶりぐらい”なのだという。

穴水町の婦人会で、皇居に勤労奉仕に行ったとき、皆さまがご会釈くださいました。

昭和天皇と香淳皇后、上皇ご夫妻、そして陛下とお会いできてうれしかったです。当時の陛下は5~?6歳でいらしたと思います。だから私にとっては“再会”になります」

現地滞在時間は約8時間。天皇陛下と雅子さまの全身全霊をかけてのご激励となったが、実は前例のない“三連続ご訪問”も検討されているというのだ。

宮内庁関係者はこう語る。

「これまで両陛下が慰問されたのは、輪島市珠洲市穴水町能登町の4カ所。しかし能登半島にはほかにも甚大な被害を受けている地域があります。たとえば、両陛下が新婚時代に宿泊された七尾市の家屋損壊は約1万3千棟と、輪島市と同程度の被害が出ています。また津波被害も受けた志賀町も、5千棟以上の家屋が損壊しているのです」

皇室が重んじている思想の1つに「一視同仁」がある。誰をも差別せず、すべての人を平等に見て一様に仁愛をほどこすべき、というものだ。

「皇室の原則であり、天皇陛下と雅子さまも徹底されています。またそれ以上に、両陛下は現地視察により、復興が短期間ではなしえないことを痛感されているのです。被災地で涙を流す高齢者とふれあわれた雅子さまも、『1人でも多くの被災者を励ましたいのです』と、陛下へ熱心に訴えられているそうです。

4月23日には園遊会、6月には英国ご訪問など重要なお務めが控えていますが、その間を縫っての3度目の石川県ご慰問となるでしょう」(前出・宮内庁関係者)

宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、

「被災地のお見舞いに行かれるかどうかの基準はなく、天皇皇后両陛下のお気持ちで決まります。今回に限らず、被災直後のお見舞いは、現地の負担を軽減するために日帰りが前提ですから、滞在時間には制約があります。

そのため回数を増やし、より多くの地域を訪問したいと両陛下はお考えなのでしょう。石川県に3回目のお見舞いに行かれる可能性は高いと思っています」

1人でも多くの被災者に元気を与えるため、雅子さまはいまもなお、能登地方にまなざしを向けられている。