愛子さまが4月、日本赤十字社で嘱託職員として勤務を開始された。評論家の八幡和郎さんは「今後の課題は、公務と仕事とのバランス、そしてご結婚だ。結婚後も本人のみ皇族として留まることになれば、結婚相手も変わってくる」という――。

■一方的な称賛か、攻撃するかの皇室報道への疑問

天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが、3月に学習院大学を卒業し、日本赤十字社に就職され、青少年・ボランティア課に配属された。

これを機会に、愛子さまのこれまでを振り返るとともに、ご本人にとって、また皇族としてのこれからを論じてみたい。

愛子さまについては、以前は批判的な報道もあったが、ここ数年は国民的人気を背景に、ただひたすらに褒め称える報道が目立つ。私はそのことが、愛子さまが皇族としてのあるべき姿や女性としての幸福についてお考えになるうえで、多様な助言を得られる機会を失わせてきたと思う。

逆に悠仁さまのように、高校生に対するとは思えない虐めに近い報道があふれているのもよくない。敬意を保ちつつ、つねに賛否両論が出されるのが皇室に対する健全な報道姿勢だと思う。

■「世論」の手のひら返しに翻弄される皇室

その両方を経験されたのが、小室眞子さんで、小室圭さんとの結婚から半年ほどたつころまではいまの愛子さまと同じように絶賛の嵐だったが、突然の手のひら返しに遭い、なにをしても、さらには、まったくの憶測に基づいて難癖を付けられているのは気の毒だ。「世論」という空気のきまぐれに戸惑っていることだろう。

私は逆に、小室氏との結婚に対して婚約発表直後から疑問を呈し、「余計なこと言うな」と言われた。その後、眞子さんが皇室との親戚づきあいを遠慮され、一時金の支給を辞退されたのだから立派にけじめを付けられたと評価したら、「秋篠宮家の代弁者」などと言われている。

愛子さまはご両親の深い愛情につつまれ、学習院挙げての支援のもとで大事にされ、成長されてきた。

ただ、学習院初等科2年だった2010年には、いじめが原因という不登校騒ぎがあり、東宮大夫の野村一成氏が「学習院初等科の男子児童が他の児童に乱暴していることが原因であるということが判明」と発表する騒ぎもあった。

■不登校への理解が進むきっかけに

その後も、天皇陛下(現上皇陛下)がご退位の意向表明をされた2016年、奈良や京都にご両親と旅行されたのちにご欠席が多くなったこともあった。

この間、学校側も雅子さまが宿泊を伴う位学校行事に同行されたりすることを認めるなど、最大限の配慮をされた。

このことが報道された際は厳しい批判もあったが、不登校について個々の生徒に合わせた丁寧な対応をすべきだという考え方が社会的に理解されるきっかけになった。学業は外国語を含む文科系の科目に秀でられていたとされている。

進学については、東京大学だとか上智大学とかいう憶測もあった中、学習院大学文学部を選ばれた。それは、敬愛されるお父上が格別に愛着をお持ちだということもあったようだ。

そして、実り豊かな学園生活を送られるはずが、新型コロナ禍のために、最初の1年間は秋のオリエンテーションに参加されただけで、リモート講義しか受けられなかった。

■陛下が登校を促し、背中を押される

2年目は、都内の各大学では対面講義が原則であるがリモートでも単位取得は可能となったが(どういう場合にリモート講義を選択できるかは大学ごとに違った)、愛子さまは、3年目の最後の何回かを除いてリモート講義のみを選ばれた。

これについて天皇陛下は、2022年のお誕生日の記者会見で、次のように語られた。

「愛子は、一昨年大学生になりましたが、新型コロナウイルス感染症の影響により、授業にはオンラインでの出席が続いています。2年生になり、演習の授業での発表があったり、課題の提出などで忙しい毎日ですが、大学での勉学に一生懸命に取り組んでいます。

私自身の大学生活を振り返ってみますと、気が付けばもう40年くらいも前になりますが、大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であったように思います。そういう意味でも、愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになると良いなとは思いますが、たとえどのような環境にあっても、実り多い学生生活を送ることができればと願っています」

■友人たちとお忍びで学園祭を見学

愛子さまが登校されず、その他の外出を控えられたことについて、「ご両親への感染を避けるための親孝行」という報道もあったが、あまり常識的な称賛とはいえなかった。

むしろ、陛下は愛子さまが外の世界に踏み出されることを願われていることが記者会見の発言でも窺えたし、なんとか大学などに行く機会をつくろうと、2022年の秋には愛子さまを単独で連れて学習院を訪問されるなど、背中を押されていたのであるから、国民も登校されるよう促すべきでなかったか。

そうした積み重ねがあって、4年生になった愛子さまは、通学されるようになったものの、少人数の講義などが主で、大教室の講義とか、サークル活動などに参加されたことはなかったようだ。ただ、最後の秋の学園祭を友人たちとお忍びながら見学されたことは良き思い出となっただろう。

また、公務はご両親とご一緒に登場されることはあるが、単独公務は、まだされていない。眞子さんは16歳、清子さまや佳子さまは19歳から開始されているから、だいぶ遅れている。学業優先だから当然という応援もある一方、それは他の女性皇族も同じだという批判もある。

■自分が納得いくまで努力するタイプ

また、女性皇族は20歳の誕生日の前月に記者会見を行う習慣だが、学業多忙を理由に2021年11月の予定を翌年3月まで延期された。会見の内容はさすがに準備万端で立派なものであったが、皇族は何事も決められた時に余裕を持ってするべきだという意見もあった。

愛子さまは文学部の日本語日本文学科に在籍され、「中世の和歌」を卒論のテーマに選ばれた。指導教官の中野貴文教授も、レポート提出が最終日の午後11時59分に届いたとか、ご自分でも「返事が遅い」と自己診断されていたと紹介している(朝日新聞デジタル2024年3月20日記事)ように、身だしなみなどについても、時間をかけても納得いくまで努力される。今回の就職をめぐる宮内記者会への文書回答も、2度にわたって延期されたと報道されている。

また、皇族の習慣である伊勢神宮神武天皇陵、武蔵御陵への報告参拝はしばらく見送られており、伊勢神宮神武天皇陵には今年3月に大学卒業の報告という形で参拝された。これが初めてのお一人での地方訪問となった。

大学卒業後の進路については、公務に専念、大学院進学、海外留学という選択もあったが、日本赤十字社に就職されることになり、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せられた。その要点を紹介しよう。

■「国民と苦楽を共にしながら務めを果たす」

「皇室の役目の基本は国民と苦楽を共にしながら務めを果たすことであり、それは困難な道を歩まれている方々に心を寄せることでもあると認識」

ボランティア活動を始め、福祉活動全般に徐々に興味を抱くようになった」

「大学では福祉に関する授業を履修し、大学卒業後は社会に出て、福祉関係の仕事に就きたいという思いを抱いた」

日本赤十字社からの進講を受け、社会に直接的に貢献できる日赤の活動に魅力を感じ、両親に相談し、背中を押されて、日赤側にも快諾いただき、本年4月より勤務させていただく」

「日赤では嘱託職員としてボランティアに関する業務を始め、赤十字の活動に幅広く触れ、新たなことにも挑戦しつつ、様々な経験ができれば嬉しい」

■愛子さまを子ども扱いしたような週刊誌報道も

日本赤十字社は昭憲皇太后が格別に力を入れており、国際的な活動も支援している。現在は皇后陛下が名誉総裁に就かれているので、その下で働かれることになる。

社長の清家篤氏は「皇位継承に関する有識者会議」の座長として、①皇嗣殿下と悠仁さまの皇位継承は現在の順序通りとする②皇族女子が結婚後も希望されれば本人のみ皇族としての身分を保持できる③旧宮家の男子が皇族の養子となることを認める、という報告書を政府に提出するなど、皇室の将来像づくりにも関わっており、愛子さまの職場の上司としてふさわしい。

『女性自身』は、愛子さまが4月1日の初出勤から1週間休まれなかったので、「愛子さま、雅子さまゆずりモーレツ皆勤賞」「愛子さま日赤ご就職初週から5日連続出社!20時まで残業のご精勤ぶりに宮内庁内でも驚愕の声」という記事を載せているが、新入社員が普通に出社したことを「凄い」と褒めるのは、むしろ愛子さまを子ども扱いした報道姿勢ではないだろうか。

愛子さまに限らないが、女性皇族が普通のことをしただけで安直に絶賛する報道は、かえって成年女性に対する敬意に欠けていると思う。世間知らずで保護されるべき存在とするのも同様だ。

しかも、日本赤十字社は「残業」報道についてJ-CASTニュースの取材に明確に否定している。周囲は自然体で見守るべきだ。

■職場の超厳重警備をいつまで続けるか

今後の課題は、公務と日本赤十字での仕事とのバランスである。皇族の数が足らないうえに単独公務開始が遅れていることもあるので、公務優先と思う人もいるだろうし、愛子さまが望まれるなら日本赤十字社での仕事を優先で良いという意見もあろう。

また、愛子さまが日本赤十字社という大きな組織の本社(東京都港区)で勤務されると、警備と業務のバランスが難しい。これまでの皇族は、小規模の施設で働いておられたり、かつて日本赤十字社で働かれていた三笠宮家の瑶子さまもSPを付ける以上の警備はしなかった。

ところが、関係者によると、愛子さまの場合は厳重警備のため、最初の1週間、通用門の一部閉鎖、夜間の裏口の閉鎖、宅配業者などの立ち入り禁止、勤務されている部署への一般人立ち入り禁止などが実施され、現場では戸惑いがあるようだ。その後、宅配便の扱いなどは少し緩和されたようだが、いまのままの状態は続けられず、バランスをどこで取るか苦慮しそうだ。

現状では、同じ部署の同僚との接触に留まっているそうだが、せめて、他の職員も気軽に声をかけられるようにしないと、愛子さまが気の毒だ。

■難問は結婚相手をどうやって選ぶか

そして、もうひとつの難問がご結婚。いま進められている皇位継承問題の検討では、上記の有識者会議の提案が認められ、愛子さまが皇位を継承する可能性は想定外の事態がない限りはなくなる一方、ご希望なら、結婚後も皇族として留まられることになる。

結びつきが普通の家族以上に強いご両親の両陛下と愛子さまにとっては嬉しいことかもしれないが、結婚相手を制約するのも事実である。

また、中学・高校が女子校で、大学でも一般的なキャンパスライフを送れなかったので、愛子さまが幸福になっていただける男性をみつけるためには、相当、周囲の工夫が必要になる。海外への旅行なども含めて、遠慮せずに経験を広げてほしい。

■「お互いが笑顔になれる人」と出会ってほしい

こうした指摘は、悠仁さまのお妃選びについて書いた記事と共通することが多い。有識者会議の提案通り、結婚後も皇族として残られるならば、経済的な負担は心配せずにすみ、相手が資産家でなくてもよくなるのは、選択の幅を広げる。

私は、外交官といった官僚ならば安定していて、勤務地や住まいなどで適切な処遇をしやすいため、皇族の夫として好ましい選択肢のひとつだと考えている。

雅子さまにとっても、よくご存じの世界だし、たとえば、君主国への赴任のような形で、皇室外交で大きな役割を果たす準備をすることもできるのではないか。

愛子さまが異性の友人と交流される機会を増やし、名家名門の子弟にこだわることなく、愛子さまが望まれる「一緒にいてお互いが笑顔になれるような」人で、置かれた特殊な立場を理解し、尊重してくれる男性を見つけられることを願っている。

----------

八幡 和郎(やわた・かずお)
歴史家、評論家
1951年滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

----------

上皇ご夫妻にあいさつをするため、仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2024年4月11日午後、東京都港区[代表撮影] - 写真=時事通信フォト