いまから50年あまり前、アメリカのアポロ計画で、地球人6組12人が月面を歩き、帰還しました。

そして、次に月を歩くのは、アメリカのアルテミス計画に参加する宇宙飛行士で、日本人もそこに加わるということが発表されましたな。

ところで、前回月を歩いた人たちは、その後どーなったのでしょうか。なんとなーく気になったので調べてみましたよ。

最近、月をめぐる話がしばしば話題になりますな。まずはこの連載の第276回でもお伝えした日本初の月着陸機「SLIM」の成功は明るいニュースでした。そして、その時、実は日本は5番目で、インドや中国がすでに着陸に成功し、中国は月探査車やサンプルリターンまで成功したってな話もあったのでした。また、民間の着陸機も成功したり、韓国も月周回機を運用したり。話題に事欠きませんな。

また、有人宇宙旅行も、国際宇宙ステーション(ISS)にスペースXなどが頻繁に宇宙飛行士を届け、複数の民間会社やロシアなどのサービスですでに民間人が大勢軌道上に行き、日本人の実業家の前澤さんらも宇宙旅行を楽しんだことも記憶に新しいことでございます。

ただ、月面着陸+有人宇宙旅行となると、とたんにハードルが高くなります。

なにしろ最後に月面着陸した人間は、ハリソン・シュミット博士とユージン・サーナン飛行士ですが、これが52年前の1972年12月なのでございます。アメリカのアポロ17号によるものですな。で、シュミット博士は現在88歳でご存命ですが、サーナン飛行士は2017年に亡くなっています。それほど前のことなのですな。

まあ、アポロ17号を含むアポロ計画は、パワー国家アメリカが、旧ソ連との対抗上、ものすごいリソースを突っ込んでのプロジェクトだったわけで、また、すでにやったことをもう一度といってもモチベーションがわかないのもわかるわけです。

さてさて、そんなわけで50年たったのですが、その間、月着陸にかかわった宇宙飛行士達は、人類で月に立った、わずか12人の人であり続けたわけです。が、50年ですから、人生はひとめぐりするくらいですね。で、彼らはその後どうなったんでしょうかね。ちょっと興味を持ったので調べてみました。
アポロ11号(1969年7月)
ニール・アームストロング(2012年没)

史上初めて月面に一歩を刻んだ人です。それゆえちょっと長くなります。

まず、月面に降り立ったときの言葉「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」との言葉で有名な人ですな。

着陸したのは世界標準時で1969年7月20日20時17分43秒。日本だと+9時間なので、1969年7月21日5時17分43秒ですな。早朝だったので眠い目をこすりながら中継を見守った人も多かったとのことです。

もうちょっと書くと、彼が月面にいたのは2時間31分で、移動距離が180mでした。一方で、最後のアポロ17号では22時間5分で、月面車をつかって35kmの移動をしています。

さて、国民的英雄になったニール・アームストロングですが、海軍のテストパイロットとして世界最速機X-15などの操縦もしています。ちょっと前の映画、トム・クルーズの「トップ・ガン マーベリック」みた……ネタバレになりますな。宇宙飛行士になってからはアポロの前のジェミニ計画で宇宙に行っており、ベテランとしてアポロ計画に参加したわけです。

そして、アポロ11号の仕事を終えると、彼は宇宙飛行士を引退し、航空宇宙工学の大学教授になりますが、博士号も修士号をもっていなかったため、後に修士号を取得します。スペースシャトルの爆発事故の事故調査に関わったりもしました。

その後は、実業界に転じ、様々な会社の経営に参画し、72歳でリタイア。その後82歳で亡くなっています。有名すぎて床屋で切った毛を、床屋が販売したりしてトラブルになったりもしたそうでございます。全般に騒がれることをよしとしない生涯だったようですな。
○エドウィン・E・オルドリン(存命94歳)

通称バズ・オルドリン(後に法的に正式名)として知られる彼は、アポロ11号の副操縦士で2番目に月を歩いた人です。

彼は、人類初の月面歩行者になりたかったそうですが、宇宙船の構造と先輩で格上あるアームストロングを立てねばならないということで2番目になったそうですが、後にそれは悔しかったといっています。アームストロングとは対照的な人物ですね。

現在は自分のホームページでアポロのことを顕彰するなど、やっぱり目立ちたがり屋なのかもしれませぬ。会ったことないですが。彼のホームページには、多数の本を書いたってなことが書かれています。

アポロ後は、アメリカ空軍のパイロット学校の司令官になりますが、ほどなく予算削減にあい、空軍を数年後に退役しています。その後は有名なことによる騒ぎもあり鬱病になったらしいです。その後、大学の航空宇宙工学に参画し、宇宙探査の研究を行いました。2015年には国際宇宙大学の学長になるなど、名誉職的な仕事も多くして現在に至ります。

なんか長くなったので、以降簡単にいきますね。
アポロ12号(1969年11月)
ピート・コンラッド(1999年没)

アポロ20号でも宇宙に行く予定だったのですが、アポロ計画17号で終了になります。その後宇宙ステーションスカイラブ2号の機長として宇宙飛行士としてのキャリアを終了。

その後ATC社で働いたあと、航空機メーカーのマクダネル・ダグラス(マクドネル・ダクラス)社に勤務。スペースシャトルの後継を目指したDC-Xのテストパイロットなどもしました。またビジネスジェット機で49時間の連続飛行の世界記録を達成するなどパイロットとしての生涯を送ります。亡くなったのは69歳のことでした。

なお、彼はアポロ12号の他の2人のパイロットとともに、大阪で行われた万博にゲスト参加します。アメリカ館に展示された「月の石」は彼らが持ち帰ったものです。
アランビーン(2018年没)

アポロ12号後は、スカイラブ3号の乗組員となります。その後リタイアし、芸術家として絵画の製作に没頭していました。
アポロ13号(1970年4月)

飛行中の事故で、月に着陸できず、それどころか宇宙飛行士の命もあぶないような状況から地球帰還に成功し、映画にもなりましたな。船長のジム・ラベルはアポロ計画きってのベテランでしたが、月面着陸はかないませんでした。フレッド・ヘイズも同様でした。

ここまでトントン拍子にきていたアポロ計画ですが、ここでブレーキがかかり、次まで少し間があくことになります。
アポロ14号(1971年2月)
アランシェパード(1998年没)

アポロ13号に乗る予定が、中耳炎でキャンセルされ、結果として月着陸ができたという人です。またアメリカ最初の有人計画マーキュリー計画で宇宙を飛んだ人でもあります。

宇宙飛行士室長になり、その後国連総会の代表にもなり、さらに少将に昇進し1974年に退役。

その後はいくつかの企業の経営に参画し、成功して富豪になります。また、ろうあ学校で博士号を取得しています。彼の娘のローラシェパードもブルー・オリジン社の民間宇宙船で宇宙飛行をしているそうです。
○エドガー・ミッチェル(2016年没)

1972年に退役し、UFOや超常現象、特に精神的な現象など傾倒することになります。
アポロ15号(1971年7月)
デイヴィッド・スコット(存命91歳)

1975年に退役し、民間人としてNASAのドライデン飛行研究センターの所長に就任し、1977年NASAを退職。その後も宇宙関係の技術開発の仕事に関わり、その後テレビや映画のコンサルタントや著書執筆などを行ったとのことです。
○ジェームズ・アーウィン(1991年没)

退役後、キリスト教牧師となり、生涯をノアの箱船の探索に捧げたそうです。
アポロ16号(1972年4月)
○ジョン・ヤング(2018年没)

アポロ終了後、1981年スペースシャトル1号機、1983年スペースシャトル9号機の船長も務め、NASAに42年間勤務し、74歳で引退してます。
チャールズ・デューク(存命88歳)

1976年までNASAに所属し、空軍で司令官などを務めたあと1986年に退職。その後、実業界で活動していました。
アポロ17号(1972年12月)
ユージン・サーナン(2017年没)

1976年に海軍を退役、民間企業の経営を行うほか、テレビ番組や映画の製作に宇宙飛行士経験者として関わったりもしていました。彼のキャッチコピーは「最後に月を歩いた人間」で、亡くなるまでそうだったことになります。アルテミス計画でようやくアップデートされるのでしょうね。

○ハリソン・シュミット(存命88歳)

1975年NASAを退職し、ニューメキシコ州から、共和党候補としてアメリカ上院議員選挙に出馬。当選し1期勤め、科学者かつ宇宙飛行士として、科学技術・宇宙委員会で活躍したとのことです。が2期目は、落選。その後、コンサルタントとして活動していたとのことです。また、NASAの非常勤の職や、大学の非常勤もしているとのことです。

ということでざっと調べてみたのですが、一部スピリチュアル系な世界に行った方もいらっしゃりますが、大学や企業経営、NASA関係の仕事など、おおむね栄光にふさわしいキャリアだったようでございますな。

そして、なんというか思ったのは、宇宙飛行士に選抜されるだけに心身が頑丈なためでしょうし、経済的に窮することもないこともあるのでしょうが、「長生きの人が多いな」という印象です。

では。

東明六郎 しののめろくろう 科学系キュレーター。 あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。 この著者の記事一覧はこちら
(東明六郎)

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