■「聴衆に楽しんでもらうことが第一」

 ニューヨークにあるメトロポリタンオペラ(以下MET)の総裁、ピーター・ゲルブ(以下G)の信条だ。ゲルブ氏はオペラの敷居を下げる試みとして、最新の公演の映像を映画館で上映する「ライブビューイング」を2006年に開始。世界各国で上映されている。

 そのMET が最近、特にコロナ後、公演の中身を大きく変えて話題になっている。

 かつてMETといえば、有名なスター歌手を揃え、人気演目を豪華な演出で上演するのが定番だった。昨今のオペラ界は「演出」が重要になっており、時代設定を変えるのは当たり前、時に奇抜な舞台が評価されたりするのだが、そのような傾向が苦手なファンの、いわば最後の砦がMETだったのだ。

 だがコロナ禍は、より幅広い客層を意識した、冒険的なオペラハウスへとMETを変えた。今のMETでは新作オペラもよく上演されるし、定番の演目を現代に置き換えることも盛んだ。「お客様に、新しいオペラの体験をしてほしいのです」(G)。

 とはいえ、「奇をてらう」演出はMETには向かない。METが演出家に要求するのは「今の聴衆にとって意味があるものになるように、ストーリーをきちんと伝えること」(G)。時代が現代になったりするのは、あくまでその結果なのである。だからMETの「置き換え」演出は面白いし、ストーリーを今の感覚で理解できる。今シーズン新演出された《カルメン》は、現代アメリカの産業都市の物語になっていたが、物語も人物像もとてもリアルに迫ってきた。カルメンを歌ったアクメトチナは圧倒的な実力の持ち主だったが、20代の若手。「若い世代に才能がある歌手が出てきている幸運な時代」(G)の今、新世代のスターの積極的な起用も使命なのである。

 この3月、久しぶりにMETを訪れ、ヴェルディの《運命の力》(新演出)、グノーの《ロメオとジュリエット》を観劇し、METの新路線の充実を肌で感じることができた。
 

■現代に舞台を変えて物語のリアル化に成功した《運命の力》

【動画】METライブビューイング《運命の力》予告編


 

 《運命の力》は、18世紀のスペインを舞台にした愛と復讐の物語。音楽は素晴らしく、有名な〈序曲〉をはじめ情熱的なアリアや二重唱が目白押しだ。だが「身分違い」の障害に苦しむ恋人たち、仇討ちが「名誉」という世界観、贖罪のために世を捨てるヒロインなど、時代劇的な要素がてんこ盛りで、今となっては理解しがたいストーリーであるのは確か。上演されにくい演目(METでは30年ぶりの新演出)なのもうなずける。

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

 ポーランドの演出家トレリンスキは、時代を20世紀から現代にかけて設定。冒頭で娘の恋人の銃が暴発して死んでしまう侯爵を独裁者のような将軍にし、彼の死で戦争が始まる設定にした。大道具は絶えず回り続ける回転舞台で、「運命が迫っている」(G)ことを暗示する。回転舞台のおかげで物語は緊張感を持って進み、場面の間には映像も挟まれて情報を補うので、退屈することがない。トレリンスキはウクライナ戦争を間近で体験しており、戦争のリアルが並行する。最後はこの世の終わりのような情景の中で離れ離れになっていた恋人たちが再会するが、悲劇が待ち受ける。 元々の「18世紀スペイン」の設定だといかにも大時代的に感じられてしまうのだが、ウクライナやガザでの戦時下の今、「こういうこともあり得るかもしれない」と思ってしまった。戦争ではあらゆる非現実的なことが起こりうる。演出のおかげで、この物語のテーマが肌で理解できた。

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

 歌手陣も強力。ヒロインのレオノーラを歌ったノルウェーソプラノリーゼ・ダーヴィドセンは「あらゆる場面で聴きたい稀有な歌手」(ニューヨークタイムズ)と絶賛される実力の持ち主。愛と誠意に満ちた健気なヒロインを、力強さと繊細さを併せ持つ煌めく声で、共感をもって歌い上げた。世を捨てる決意をしたレオノーラが修道士たちを従えて歌う〈天使のなかの聖処女〉は、まさに天上の音楽。悲惨な物語に光が差した。

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

 レオノーラの恋人アルヴァーロを歌ったブライアンジェイドは、強く伸びやかな声、悲痛さを帯びた音色と豊かな感情表現で悲劇に巻き込まれる青年を熱演し、父の復讐のために恋人たちを追う侯爵の息子ドン・カルロを演じたイゴール・ゴロヴァテンコは、声量と輝かしさに加えて美しいレガート、品格のある歌いぶりで、理想的なヴェルディバリトン。2曲ある2人の二重唱では、パワフルな「声」の悦楽に浸ることができた。3人ともまだ30代から40代初めで、これからのオペラ界を担う逸材。MET音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンの、柔軟で色彩に富み、歌心あふれるサポートも絶妙だった。「今」だからこそ生まれた、理想的な《運命の力》である。

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera

《運命の力》  ©Karen Almond/Metropolitan Opera


 

■「世界最高の恋人たち」がカリスマ性を見せつけた《ロメオとジュリエット》

 

 《ロメオとジュリエット》は、シェイクスピアの有名な恋物語を下敷きにしたフランスの作曲家グノーオペライタリアのヴェローナを舞台に、敵同士の家に生まれた若者2人が運命的な恋に落ちる悲劇だ。原作では2人の死で両家が和解へと踏み出す教訓的な幕切れとなるが、オペラはより2人の恋にフォーカス。2人はストーリーの節目節目で合計4曲もの二重唱を歌い、2人の死で幕が降りる。バルコニーの上下で恋人たちが愛を告白し合う有名なシーンで歌われる二重唱〈ロメオ、どうしてあなたはロメオなの?〉、冒頭でジュリエットが歌う〈私は夢に生きたい〉、ジュリエットに恋したロメオが歌う〈ああ、太陽よ昇れ〉など、甘く情熱的な旋律が目白押し。どこまでも「愛」が主役の、ロマンティックオペラの王道のような作品だ。

《ロメオとジュリエット》  ©Marty Sohl/Metropolitan Opera

ロメオとジュリエット》  ©Marty Sohl/Metropolitan Opera

 METで上演されているプロダクションは、ブロードウェイでも活躍するバートレット・シャーの演出によるもの。壮麗ながら暗い街並みが舞台を囲み、中央のスペースが場面に応じて広場になったり屋敷になったりする。雰囲気はクラシカルだが、年代や場所は特定しない。衣装も時代には縛られないながらクラシックで、素材に工夫があり、贅沢だ。

《ロメオとジュリエット》  ©Marty Sohl/Metropolitan Opera

ロメオとジュリエット》  ©Marty Sohl/Metropolitan Opera

 今回は何より、ジュリエット役のネイディーン・シエラ、ロメオ役のベンジャマン・ベルナイムが圧倒的だった。2人ともまだ30代、欧米では人気スターだが、日本での知名度はこれから。が、「世界最高のロメオとジュリエット」(G)の言葉はほんとうだった。ベルナイムはフランス人だが、実はフランスオペラで主役を張れる世界的なフランステノールはとても少なく、筆者は今回が大劇場での初体験。優れたフランス人歌手がフランス物を歌うとかくも優雅でエレガントなのか!と驚倒した。フランス語のわからない筆者ですらわかったように聞こえてしまうほど、言葉が明瞭なのだ。加えて声のカラー、ニュアンスが実に豊富。それが約4000席の大劇場の隅々にまで届くのには震え上がった。佇まいもメランコリックで、フランスらしさが漂う。

《ロメオとジュリエット》  ©Marty Sohl/Metropolitan Opera

ロメオとジュリエット》  ©Marty Sohl/Metropolitan Opera

 ジュリエット役のシエラはアメリカ人だが、明るく艶がありフレッシュな声と豊かな表情にあふれた演技で、初々しいジュリエットを熱演。2人ともスタイルが良く、喜びや悲しみを声だけでなく全身で表現し、観客を惹きつけるカリスマ性がある。体格の良い歌手が棒立ちで歌っているイメージがあったかつての「オペラ」とは別世界だ。

 オペラは確実に変わっている。その空気を肌で感じられた、METの2日間だった。

 2作は「ライブビューイング」として映画館で公開される。幕間には歌手や演出家、指揮者のインタビューもあり、舞台のリアルの裏側がわかる。ぜひ、オペラの「今」を感じていただきたい。
 

取材・文=加藤浩子(音楽評論家)

メトロポリタンオペラ《運命の力》《ロメオとジュリエット》