イスラエル軍の軍事侵攻により、パレスチナ自治区ガザでは3万人以上の住民が犠牲になった。同志社大学大学院の内藤正典教授は「この虐殺が、世界中に20億人もいるムスリムにジハードの戦士となるきっかけを与えている」という。同志社大学大学院の三牧聖子准教授との共著『自壊する欧米 ガザ危機が問うダブルスタンダード』(集英社)より一部を紹介する――。

■国境を越えて残酷なテロ事件が発生

2023年12月2日、パリで観光客を刺殺するテロ事件が起きた。殺害されたのはドイツの観光客で、他に二人が刺された。容疑者はイスラム過激組織「イスラム国」に忠誠を誓っていたとされるフランス国籍の男で、AFP通信は精神的に問題を抱えていたと報じた。

翌日、今度はフィリピンのミンダナオのマラウィ市にあるミンダナオ州立大学で、カトリックのミサが爆弾テロに見舞われ、4人が死亡、40人以上が負傷するという大惨事が起きた。

フィリピン南部のこの地域はムスリムの多い地域で、過去には、イスラム組織とフィリピン政府軍との間で長いこと戦闘が続いた。最近では、「イスラム国」系の組織と政府軍が2017年に激しく衝突している。今後も散発的に同様の事件が起きるだろう。

■全世界のムスリムに怒りが共有された

今回のガザ攻撃の原因を作ったのはハマスである。イスラエルを攻撃し、一般市民へのテロ攻撃を行なったために、イスラエルは圧倒的な力で報復し、ハマスというよりもガザを壊滅させようとしている。

だが、世界のムスリムはガザの惨状に激高した。子ども、赤ちゃん、女性の犠牲者が激増し、それが映像で世界に流れたことにより、怒りは全世界のムスリムに共有された。

そしてこの怒りが、ムスリム共同体が存続の危機にあるという認識に転換されると、イスラムの敵との戦い、すなわちジハードに乗り出すことが求められる。

■次のジハードの戦士はどこで暴走するのか

ジハードの定めはコーラン(クルアーン)にあるから、神(アッラー)の命令である。ただし、ジハードというのは、本来信仰を正しくするための努力が原義であるから、なにも敵に爆弾を投げたり、銃を撃ったりすることだけがジハードではない。以前なら、アルカイダの犯行だとか、イスラム国の犯行だとか、暴力は特定の組織と結びつけられるのが常であった。

だが、これからはそれが通用しなくなる。

組織が先にあって、何かをしようというのではなく、ガザという、世界中のムスリムにとって途方もない惨事が目の前にあるので、今や20億人もいるムスリムの99.9%は行動に出ないとしても、0.1%の誰かが、どこで、ジハードの戦士となって暴力に訴えるか、およそ見当もつかない。0.1%だとしてもざっと200万人に達する。

ハマスは、単に「イスラム抵抗運動」の意味だから、少しその思想を学べば、あちこちから「イスラム抵抗運動」を名乗る組織や個人が現れても、なんの不思議もない。現在そういう人間がイスラエルに入れる可能性はまずないから、敵と戦うと言っても、イスラエルを支持する国に対するテロ攻撃の形をとるだろう。パリやフィリピンでのように、あちこちで散発的にテロが繰り返される可能性が高い。

■欧米社会で暴力が日常化するかもしれない

一方、ヨーロッパで起きている事件に注目すべき変化が見られる。2024年1月、オランダで反イスラム運動の活動家がコーランを焼くデモンストレーションをしようとした。

この種の焼却や破棄はすでにスウェーデンやデンマークでも起きていて、イスラム教徒との間に深刻な断絶を生んできた。表現の自由を理由に、ヨーロッパではイスラムの聖典に対する冒涜は罪にならないことが多い。むしろ、ムスリムの抗議から活動家を守るために警察が出動するのが常である。

ところが、1月のアムステルダムでのデモンストレーションでは、激怒したイスラム教徒の若者が警察のバリケードを破って活動家に襲いかかった。すぐに警官に引き離されたが、私が恐れるのは、この種の暴力的応答が日常化することである。

特に、ガザ問題で人権や自由に関する欧米のダブルスタンダードが、あからさまに示されているから、イスラム教徒の側も、欧米社会の諸価値に対して、あからさまに拒否する行動に出るだろう。イスラム教徒が何を命に代えても守ろうとするのか? 極端なことを言えば、それは子どもや女性の命と神の言葉を記した聖典コーランなのである。欧米諸国の人間が理解しようがしまいが、これは変わらない。

■イスラム圏諸国は早く手を打つ必要がある

暴力を拡散させないためには、イスラム世界の国が一刻も早く何らかの手を打って、イスラエルの攻撃を抑止しなければならない。昔なら、アラブの連帯と言われて、こういう危機の際に乗り出すのは同じ民族のアラブ諸国だった。だが、アラブ諸国がパレスチナのために戦争したのも、イスラエルの同盟国を懲らしめるために石油戦略を発動したのも、50年前が最後である。民族主義による連帯の時代は終わった。

今、イスラエルとその同盟国に対して何らかの措置を講じるべきは、イスラム圏の諸国である。もちろん、アラブ諸国もイスラム圏に含まれるのだが、パレスチナのために動く気があるなら、半世紀も事態を放置しなかっただろう。

他のイスラム諸国も似たようなものだったのだが、状況は変わってきた。2000年代以降、トルコで民主的なプロセスの中で再イスラム化が進んできたのと同じように、アジアでも、マレーシアやインドネシアのように、民主主義の枠の中でイスラムの価値を重視する国が少しずつ増えていった。

■トルコがイスラエル批判に動いた理由

ガザの衝突が始まって以来、トルコのエルドアン大統領は舌鋒鋭くイスラエルのネタニヤフ首相を攻撃している。ムスリム世界でもっとも明確にガザの惨状を人道危機と主張し、打開のために、負傷者や重傷者をエジプト経由でトルコに連れてきて治療を受けさせている。

2024年の1月、オランダのハーグにある国際司法裁判所では、イスラエルによるジェノサイドが審理された。提訴したのは南アフリカである。この提訴については本書の対談と三牧氏による終章で詳しく取り上げている。トルコ、マレーシア、インドネシアなどはいずれも、南アフリカの提訴を支持した。イスラエルの側に立った国で目立ったのはドイツだった。

イスラム圏諸国は動かないわけにはいかない。国内のムスリムが、「口先だけで何もしないじゃないか」という批判を自国の政府に向けるからである。

■人権を説いてきた欧米のダブルスタンダード

もちろん、イスラム教徒からの攻撃のリスクがもっとも高いのはヨーロッパとアメリカである。パレスチナ支援のデモさえ認めないというから、ムスリムから見ると「イスラムの敵」として立ち現れたことになる。

常日頃、言論の自由、表現の自由をうたい、人権を説いてきた欧米諸国のダブルスタンダードは世界に深刻な影響をもたらす。イスラエル国家の非道を批判することと反ユダヤ主義の区別もできない状況は極めて危険だ。

2023年12月4日に報じられたのだが、パレスチナでの犠牲者が多いことを問われて、米上院、共和党のリンゼー・グラム議員はCNNのインタビュー番組の中でこう述べた。

「パールハーバーの後、米軍の攻撃で東京が壊滅しようと、東京で何人死のうと、誰が気にしたというのだ?」

彼は同じことをベルリンの破壊と死者についても言っている。実に不愉快だが、戦争を止めようとしない欧米諸国の本音が垣間見える発言である。

■イスラエル建国以来、初の「本土襲撃」

アメリカは第二次世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争といくつも戦争をしてきた。どれをとっても、ベルリンと東京を灰燼(かいじん)に帰して得たほどのものは得ていない。そして、湾岸戦争以降は、身内の兵士と「敵側」民間人の犠牲者の数を気にするようになった。

今回、イスラエルは建国以来、初めて大規模に「本土」が襲われ、多大の被害を受けた。そのため、総力で敵をねじ伏せ、そのためにパレスチナ人が何人死のうと知ったことではないという姿勢である。これは、アメリカにとっての「パールハーバー」か「9.11」なのであって、だからこそ、グラムの発言に至るのである。

だが、ドイツやフランスは、少しずつスタンスを変えてきている。相変わらず、イスラエルの自衛権は擁護するものの、桁外れの犠牲者がパレスチナ市民(ガザのみならずヨルダン川西岸でも)に出ていることは容認できないという姿勢も見せている。これは、アメリカのブリンケン国務長官の発言にも表れていて、ガザ北部での惨状をガザ南部で見たくないという趣旨の発言をしている。

■「ガザ難民」はヨーロッパへ流出しない

どこかでイスラエルは軌道修正するだろうか?

そうあってほしいのだが、あそこまで繰り返し、人質全員の解放とハマスの殲滅をセットで言い続けたネタニヤフは、もう後には引けない。しかし、ネタニヤフはガザの住民のみならずパレスチナの住民全員を敵にしているから「目標」は達成できない。

それにもかかわらず、欧米諸国がイスラエルに断固とした姿勢を取らないもう一つの理由は、ガザからは難民が流出しないからである。閉じ込められていて、流出できないし、本人たちも、もはやガザを離れるつもりはない。

ここがシリアやリビアの内戦と大きな違いである。大規模に難民が流出すると、欧米諸国の政権は難民の到来によって治安が悪化し、野党から批判されるのを恐れる。だから、嫌々でも何らかの対応を迫られる。ガザに関しては難民流出の心配をする必要がないのである。

■ヨーロッパ諸国で再覚醒したムスリムたち

反面、欧米諸国はテロのリスクを甘く見ている。イラク戦争やアフガニスタン侵攻では、イスラム世界での戦争に加担し、多くの市民を犠牲にした。ヨーロッパ諸国では、ムスリムに対する差別と蔑視は、レイシズムにあたるとはみなされず、容認されてきた。

ここで一つ書いておかなければならないのは、ムスリムの側もヨーロッパに移民してから1970年代までは、宗教色は薄く、世俗的な生活をしていたことである。その後、1980年代以降になって、イスラム世界のイスラム復興の流れと軌を一にして、ヨーロッパでもムスリムとしての再覚醒が始まる。

再覚醒=reawakeningという言葉を使ったのは、もともとムスリムではあった彼らが、確信して信仰を捨てて無神論者にならない限り、何かのきっかけで再度敬虔なムスリムに戻ることは珍しくないからだ。

この傾向は、ムスリム移民がいるすべてのヨーロッパ諸国に共通する。ヨーロッパ社会での差別、パレスチナでの惨状も、再覚醒の十分な動機となるのである。そのことを私は1990年代のヨーロッパ各国での調査から明らかにして、『アッラーのヨーロッパ 移民とイスラム復興』(東京大学出版会、1996年)に書いた。

つまり、1990年代以来、もはや全体では2500万人を超えるヨーロッパ諸国のムスリムは、現在、再覚醒による先鋭化、ジハードに乗り出す契機を十分に得ているのである。

■ガザから暴力の連鎖を広げてはいけない

私は、もちろん人道的な観点からイスラエルによるガザでの虐殺を容認しないが、それとは別に、この虐殺が多くのムスリムにジハードの戦士となるきっかけを与えていることの危険性を指摘したい。

ジハードの原義は、信仰を正すための努力だが、パレスチナでここまでムスリム同胞が存続の危機に瀕している場合、その敵(イスラエルだけでなく、イスラエルの自衛権を支持している国々)と戦うことも含まれる。その結果、暴走したジハードの戦士が、欧米諸国が言うイスラム主義のテロリストとなることも考えられよう。

つまり、もとよりあってはならないことだし、一切、テロに走ることを肯定しないが、それが起きうることも「知らなかった」とは言えないのである。2015年1月のパリでのシャルリー・エブド襲撃事件、11月の同時多発テロ、2016年3月ブリュッセルでのテロ、12月のベルリンでのテロ……。

なぜそこで、なぜその時に起きたのかを合理的に説明することなどできない。しかし、各国の治安当局、諜報当局が、何も予想していなかったというのは、言い古されたたとえだが、左手がやっていることを右手は知らなかったと主張するようなものである。

今回の人道に対するあからさまなダブルスタンダードによって、このリスクは各段に上がったと言わざるをえない。そして、欧米諸国に暮らすムスリムは、今後、イスラムに従って生きる自由を公然と求めるだろう。人権、自由、民主主義のすべてにわたって欺瞞(ぎまん)に満ちたダブルスタンダードを使い続けた欧米諸国に対して、その価値観に追従する必要はないと多くのムスリムが得心したからである。

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内藤 正典(ないとう・まさのり)
同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授
1956年、東京生まれ。一橋大学教授を経て2010年から現職。ヨーロッパにおけるムスリム移民研究、現代イスラム地域研究。著書に『イスラームからヨーロッパをみる』(岩波新書)『となりのイスラム』(ミシマ社)などがある。

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2023年10月25日、ガザ市でのイスラエルによる空爆後、破壊された地域の瓦礫の中から拾い上げた負傷した赤ん坊を運ぶパレスチナ人男性 - 写真=EPA/時事通信フォト