アマゾンをはじめとするビッグテック企業が提供するサービスは、今や私たちの日常に深く浸透している。一方、その影響力の大きさゆえにビッグテック企業に対する反発「テックラッシュ」も巻き起こっている。そうした逆風に対して、アマゾンの一員として立ち向かってきたのが、元アマゾンジャパン顧問・渉外本部長の渡辺弘美氏だ。前編に続き、書籍『テックラッシュ戦記 Amazonロビイストが日本を動かした方法』(中央公論新社)を出版した同氏に、アマゾンが展開してきたロビイングの実例や、ロビイストの視点から見た日本の問題点について話を聞いた。

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【前編】アマゾンはこうして省庁を動かした 前例なき「置き配」を実現した交渉術とは
■【後編】「日本のユニコーン企業を潰す気ですか」業界結束で法案止めたアマゾンの戦術(今回)

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ロビイングの末に広がった「金融機関のクラウド利用」

──前編では、日本社会に「置き配」を浸透させるために行った一連のロビイングについてお聞きしました。ロビイングのアクションが、他の業界にインパクトをもたらした事例はありますか。

渡辺弘美氏(以下敬称略) 金融機関のクラウド利用を推進した例があります。アマゾンは2006年からAWS(アマゾンウェブサービス)と呼ばれるクラウドサービスを提供しており、日本国内では2011年ごろから大手企業の導入が増えていました。しかし、金融機関では一部ネット系銀行が試験的にAWSを使用するくらいで、クラウドサービスの導入をちゅうちょする金融機関がほとんどでした。

 その理由として挙げられるのが、クラウド利用に関するルールが十分に整備されていなかったことです。例えば、金融庁の監督指針で想定されている「外部委託」とは、金融機関が自社で保有する情報システムの一部を特定の企業に委託する、というものです。この形態では、金融機関がセキュリティー確保のために外部委託先の企業に立ち入りを行い、システムの強制的な監査を行うことも考えられます。

 しかし、金融機関がクラウドサービスを使用するからといって、クラウド事業者が自社のデータセンターに立ち入りを認めることはあり得ません。そもそも、データセンターの場所すら開示しないことが一般的です。

 このように、世の中になかった新技術や新サービスを広めるためには、実際の商品サービスと既存の法制度の間にある「想定していないギャップ」を明らかにして、白紙の状態からルールを形成する必要があります。

──どのようにロビイングを行ったのでしょうか。

渡辺 私は、業界団体を通じて規制改革という形で行政刷新会議(当時の民主党政権が設置していた内閣府の組織)に働き掛け、金融機関のクラウド利用に関するルール整備を進めるための提案を出してもらいました。その後、金融庁から「クラウドサービスの管理、監督方法の検討を行います」という回答を得たことで、具体的なルールの整備が動き出します。

 金融機関が守るべき具体的な安全対策基準は、金融情報システムセンター(FISC)に委ねられていました。そのため、FISCに掛け合って研究会を作ってもらい、そこでクラウド利用のルールを作ることになりました。

──金融庁に動いてもらうことで、スムーズにレールが敷かれたわけですね。

渡辺 しかし、大変だったのはここからです。FISCはクラウドサービスの利用経験がないため、提示される論点は全て金融機関が自社で物理的なシステムを保有し、運用することを前提とされていたためです。FISC側に従来の安全対策基準とは考え方が異なることを理解してもらうため、私はアマゾン技術者のサポートを受けながら積極的に発言を行い、ルールの整備に関わりました。

 最終的には、データの所在に関しては「適用される法令が特定できる範囲で所在地域を把握できればよい」、クラウド事業者の監査については「立ち入り監査の代わりに、第三者監査のリポート活用が考えられる」といった内容で合意に至ることができました。

 2年半をかけたロビイングの末、今では多くの金融機関がクラウドサービスを活用するようになっています。

未来のユニコーンを潰しかねない新法案と対峙

──著書『テックラッシュ戦記』では、アマゾンメルカリヤフー(現・LINEヤフー)、楽天と協議会を立ち上げ、新法案に対する意見提出をした例も紹介されています。当時、どのような法案に対して議論を進めていたのでしょうか。

渡辺 2019年11月、消費者庁から「デジタルプラットフォーム」(DPF)のビジネスに対して、消費者保護の観点から「売り手の本人確認」などを義務付けるという議論が起こりました。

 当時、BtoCの取引において、ある消費者トラブルが問題視されていたのです。それは、中国の出品者がショッピングモールサイト上での出品登録時に偽造された本人確認書類を使用し、出品登録を終えた後、勝手に住所や氏名を書き換えた上で偽造品を販売していた、というものでした。こうした背景から、消費者庁は売り手の本人確認や売り手の身元情報開示をより厳しくする政策を検討していました。

 しかし、その政策には問題点がありました。それは、ショッピングモールのようなBtoCのサイトだけでなく、フリマアプリをはじめとするCtoCのサイトについても売り手の情報を買い手に開示することが検討されていた点です。

 CtoCの取引で売り手の情報を安易に開示することは、買い手から売り手への脅迫といった別問題にも発展しかねず、フリマアプリの拡大に寄与してきた「匿名配送」といった仕組みが崩壊する危険性もありました。ここで私が危惧したのは、CtoCのビジネスモデルを壊すだけでなく、日本から生まれようとしている未来のユニコーン企業をつぶすことにもなりかねない、ということです。

──経済界や消費者にとっても困る結果になりかねませんね。ここではどのようなアクションを起こしたのでしょうか。

渡辺 メルカリヤフー(現LINEヤフー)、楽天の公共政策チームの方々に連絡を取り、情報交換と議論を重ねました。議論の過程では、業界側が問題解決に取り組む姿勢を明確にするために新しい業界団体「オンラインマーケットプレイス協議会(JOMC)」を立ち上げました。

 業界団体を立ち上げたことで、必要な時にスピード感を持って他社と相談できる関係性をつくることができたと考えています。実際に、メルカリなどの内資系企業にも、つながりを持つ国会議員に働き掛けるよう依頼しました。アマゾンのような外資系企業よりも、内資系企業から「日本のユニコーン企業をつぶす気ですか」と言ってもらったほうが効果的だと考えたからです。

 一方で私は、政府の検討会に出席し、CtoCの取引における売り主の特定は慎重にすべき、という意見提出を行いました。こうした働き掛けが奏功して、2021年1月に開かれた政府との検討会では、新たな規制の対象はBtoCの取引に限定されることが決まっています。

 ロビイングを行う上では、同業他社との連携を求められるケースもあります。そうした場合に、スピード感を持って腹を割って話をできる関係性をつくることが重要だと、改めて認識する機会になりました。

「与えられたルール」の中だけで勝負してはいけない

──ロビイストとして日本の政府や省庁と対峙してきた立場から見ると、「日本企業が克服すべき弱点」とは、どのような点でしょうか。

渡辺 多くの日本企業が「与えられたルール」や「固定観念」の中で勝負をしている点です。「ルールはいくらでも変えられる」という発想を持つと、これまでにない商品やサービスを生み出しやすくなります。経営戦略の中にロビイングを組み込むことで、企業の可能性はもっと広がるはずです。

 グローバルに展開する企業であれば、なおさらロビイングが鍵を握るでしょう。成功を収めているテック企業はグローバルな視点に立ち、他国のルールを変えるための努力を惜しみません。

──日本企業もロビイングを経営戦略の重要事項に位置付け、ビジネスの一部としてルールメイキングも怠ってはならない、ということですね。

渡辺 さらに言えば、大企業だけでなくスタートアップや消費者団体、NGOの声をもっと政府に届けることが健全な社会をつくる上で重要だと考えています。

 今、霞が関で働いている官僚の多くは官邸や与党からの注文をこなすことに忙殺され、一つ一つの政策を熟考する余力がありません。議論が煮詰まらないうちに規制ができることもあります。時代遅れになった規制を補正することにも手が回っていません。

 このように、官僚が作った規制のアップデートが追いついておらず、「現実と規制とのギャップ」が広がってしまっているのです。時代や顧客の要請に合わせて絶えずプロダクトに磨きをかけている民間企業からすると、あり得ない事態が起こっています。

 特にテック分野においては、「現実と規制とのギャップ」が拡大することは、国際競争力の低下に直結します。多様な意見が政府に届く仕組み、時代に合わせて自律的にルールが更新されていく仕組みを考えることが、日本全体の競争力を高めることにつながるはずです。

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元アマゾンジャパン顧問・渉外本部長、アナリーゼ 代表 渡辺弘美氏(撮影:木賣美紀)