文=松原孝臣 撮影=積紫乃

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「アイスショーは勝負の世界です」

 町田樹は、アイスショーの将来を案じ、そして自身、格闘してきた人でもある。

「大学院に進学して以降2年間メディア取材を断っていました。それを解禁したときの最初のインタビューで何を言ったか。『アイスショーは勝負の世界です』と言ったのです」

 2014年に引退し、翌春、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学。修士課程を修了し博士後期課程に進んだ2017年のインタビューだ。

「勝負の世界」と言った背景には、アイスショーに対する課題意識があった。

「2015年くらいまでのアイスショーというのは、もちろんエンタメ的要素もあったかもしれないですが、実際は競技会との差別化が全然図られていなかったと思います。そもそもプロスケーターやアイスショー業界というのはスケート業界の中だけをみていたのではないか。しかし、それではダメだと当時の私は思っていたわけです。

 まずは競技会との差別化を図る。そして真のライバルはスケート業界ではなく、アート&エンターテインメント業界全般なのだと。例えばミュージカル界やバレエ界などと張り合えるような質の作品と実演を提供していかないと本当にアイスショーはダメになっていくと思っていたし、私はアイスショーをそういう世界にしたいと思いました。アイスショーも勝負の世界だと言って、全方向に対して勝負を仕掛けていったわけですね」

 その体現が町田自身の数々のプログラムであった。例えば「勝負の世界」とインタビューで話した2017年の「プリンスアイスワールド」では『ドン・キホーテ ガラ 2017』を演じた。オーケストラのチューニング音が響いた後、無音の中、赤い幕の向こうから登場すると3回転ルッツを跳んでスタート位置に。その始まりから創造性豊かな作品は3部構成という今までにない試みによる物語性もあり、場内は拍手と歓声で熱気に包まれた。『ドン・キホーテ ガラ 2017』に限らず、2019年にプロスケーターからの引退を発表するまでに数々の異彩を放つ作品を世に放ち、のちのちまで記憶されるほど強い印象を残した。

「例えば『ボレロ』は約8分にも及ぶ作品。あれは舞台裏ではそれなりに色々とドラマがあったわけです。前例がないし一人でそれだけの時間を独占してしまうという点で事前の交渉が必要だったのです。最初は『え?』みたいな感じでした。でも主旨を伝え、信頼してくれてからは『大いに好きにやってください』ということで、『プリンスアイスワールド』は私に、勝負の場を提供してくれていたわけです。

 アイスショーの水準を自分自身の演技によって高めようと思い、作品作りと実演に取り組んでいました。加えて私は研究者なので、いろいろな芸術の作品を観たり分析をしたりしています。他のジャンルとのコラボレーションが非常に難しいと言いましたが、とはいえ、やり方次第ではブレークスルーを起こすことができるわけです。そのブレークスルーの起こし方を日夜探求して、その研究の成果を自分の作品で実証してきたつもりです。研究者としての努力や知見と、四半世紀をかけて培ってきたスケーターとしての能力を最大限使って2015年から4年間プロとしてアイスショーに出演していましたけれども、そういう気持ちで勝負していましたね」

 それらの試みは、アイスショーの持つ可能性や意義を知るからでもあるだろう。

 町田は言う。

「まずは活動資金を自分の力で稼げるというのが大きいと思いますね。私も選手の頃はアイスショーのギャランティーがなければおそらく競技活動を継続できていませんでした。自分の能力でちゃんとお金を稼いで、そのお金でもってフィギュアスケート活動ができるという意味では非常に大事な場だと思います。ただそれがかなうのはごく一部の上位スケーターだけだという現実はあります。

 もう1つは、アイスショーは非常にインスピレーションを得られます。競技会でしのぎを削るような、生きるか死ぬかの勝負で戦っていく舞台も刺激的かもしれないですが、それとは異なる刺激を得ることができます。優れたプロや他分野のアーティストと一緒に舞台に立つ機会もありますからね。私もかつてそうした人たちをみて、自身のスケート技術はもちろんのこと、芸術性や表現も学ばせていただきましたので、スケーター育成の上で非常に大きな意味を持っているのではないかと思います。

 そもそもトップフィギュアスケートプロダクトを見る機会はなかなかありません。例えば世界選手権やオリンピックやグランプリシリーズなど、上位の国際イベントは世界巡業制ですから、日本にまれにしか来ないわけです。これがリーグスポーツの場合、定期的にゲームが開催されるので、より見る機会があるわけですけれども、フィギュアスケートのような個人スポーツはそうではありません。そのような中で、フィギュア業界ではトップパフォーマンスを見ることができる機会がアイスショーだと思います。現状ではショーは供給過多なので今の状況には当てはまらないと思うのですが、元来は、毎年恒常的に国内外のトップスケーターのパフォーマンスを提供するためのショーという意味合いが大きかったのではないでしょうか」

 それらの言葉はアイスショーが失われてはならない大切な場であることを伝えている。

たくさんの成長の余地がある

 今、町田は「プリンスアイスワールド」の公式アンバサダーとして携わっている。4月27~29日、5月3~5日には横浜公演が行われる。

「昨年ミュージカル界から菅野こうめいさんという演出家を招聘して、ミュージカルフィギュアスケートのコラボレーションでショーを制作しています。昨シーズンは『ブロードウェイクラシックス』と題して主に往年の古典的ミュージカル作品を氷上に体現していくことを試みたのですが、今シーズンに関しては『ブロードウェイロックス』ということで、ロック音楽が基調となっています。

 私もまだどんな演目がかかるのか分からない状態でこのインタビューに答えていますが、昨年のクラシックスよりもチャレンジングな試みをどんどん取り入れていってくださるということを、菅野さんをはじめ制作陣からお聞きしています。プリンスアイスワールドのキャストのメンバーは、いわば『スケーティングマスター』と言えます。なぜならば、シングル、アイスダンス、シンクロナイズドスケーティングといった全てのスケーティング能力を備え、それらを十全にショーの演出に取り入れているからです。そうした世界的に見ても稀有なキャストメンバーと共に、菅野さんがいかにフィギュアスケートの新たな魅力を引き出すのか、今から非常に楽しみです」

 新たな公演について触れたあと、こう語った。

「私の役割は主に経営的なマネジメントだったり、プロモーションイベントなど、演目以外の様々な物事をどのようにするかという戦略などを主催者のブルーミューズの皆さんと一緒に考えて、それを形にしているということですね。加えて私個人としては、テレビ局との交渉を行っています。もちろん舞台芸術はライブで見るのが一番ですが、テレビで放送されることでやはりマスに届いていくと思いますので、テレビ局との交渉は非常に大事です。

 このような形でアイスショーに裏方として携わらせていただいていますが、プリンスアイスワールド1つとってみても、まだまだ改革できる部分がたくさんあると感じています。アイスショーの世界には課題はいろいろありますが、一方で裏を返せばたくさん成長の余地があるということです。プリンスアイスワールド公式アンバサダーとしては同アイスショーにしか携われませんけれども、アンバサダーとしてあるいは研究者として、いかにアイスショーの分野をより一層振興できるか、ということを現場で実際に働きながら理論と実践の両面で考えていきたいと思っています」

 

町田樹(まちだたつき)スポーツ科学研究者、元フィギュアスケーター。2014年ソチ五輪5位、同年世界選手権銀メダル。同年12月に引退後、プロフィギュアスケーターとして活躍。2020年10月、國學院大學人間開発学部助教となり2024年4月、准教授に昇任。研究活動と並行して、テレビ番組制作、解説、コラム執筆など幅広く活動する。著書に『アーティスティックスポーツ研究序説』(白水社)『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と溪谷社)。4月27日には世界的バレエダンサーである上野水香、高岸直樹とともに「Pas de Toris――バレエとフィギュアに捧げる舞踊組曲」に出演、振付・演出も手がける。

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