文=松原孝臣 撮影=積紫乃

JBpressですべての写真や図表を見る

アイスショーにとって厳しい時代

 数々のスターの存在によって成立し広がりを見せてきたアイスショーだが、今後、スターが生まれる確率は下がっていくだろうと町田樹は言う。そうなると、考えられる方向は定まってくる。

「私がかなり前から言っていることは、スターに頼らない経営というのが1つ求められること。スターで観客を集めるのも、もちろん大事です。とりわけ荒川静香さん(フレンズ・オン・アイス)、高橋大輔さん(氷艶/滑走屋)、浅田真央さん(サンクスツアー/ビヨンド)、羽生結弦さん(アイス・ストーリー/リプレイ)は、それぞれ個性的な取り組みを自身のアイスショーに結実させ、ファンダムのみならず、アイスショーの一般の方々への普及にも貢献しています。だからこそ100年単位で物事を測る人文研究者としての私が考えるのは、こうしたスタースケーターたちが引退した「後」のアイスショーの世界なのです。

 すでにアメリカやヨーロッパでは、ジョン・カリーからミッシェル・クワン、カート・ブラウニングなどに至るスターたちが去って、『ポストスター』の時代に入り、アイスショーは激減しているわけです。だからこそ今後はなおさら作品だったり、カンパニー全体にファンや顧客がつくようにしていくこと。フィギュアスケート以外のアート&エンターテインメント市場をみてみると、スタービジネスというものはありますけれども、圧倒的に作品というもののブランドで売っているのが多いですね。

 ミュージカルでもバレエでも、誰が主演するのかも大事ですけれども、どんな作品なのかということも出演者と同等かそれ以上に重視されます。そういう作品のブランド力で勝負していくようなアイスショーが出てきてほしいですね。ただ、それだけではたして抜本的に産業のパワーを取り戻せるかというと、ちょっと難しいと思っています。アイスショーにとっては本当に厳しい時代になりました」

 アイスショーでは、他のジャンルとの交流も近年では見受けられる。それを成功させるのは簡単ではないという。

「複数のアイスショーで外部の舞踊界や演劇界から演出家を招聘して、コラボレーションによる新しいアイスショーの形式を模索する試みがなされています。挑戦していれば化学反応が起こることもあるわけですから、ぜひそういうアート&エンターテインメント界との交流を続けてほしいと思います。しかし一方で外部の他ジャンルのアーティストとのコラボレーションは、必ずしもうまくいくわけではないということを1つ意識しておかなければいけないことです。

 なぜなら、フィギュアスケートというフォーム自体が舞台芸術の分野においては非常に特殊であるからです。バレエジャズ、タンゴ、ミュージカル、本当にいろいろな分野のアーティストがご協力くださっていますけれども、「滑る」という身体運動を実践している方は極めて稀です。フロアで上演する舞台芸術ジャンルのアーティスト同士であれば、比較的容易に身体感覚を共有できると思いますが、氷の上で滑ることを基盤としている舞台芸術は他にほぼないため、フロアで踊る分野の方々とフィギュアスケ―ターの協働は難航するケースがあることも確かです」

必要なのは競技会との差別化

 だからこそ、フィギュアスケートに軸足を置く人材の育成が重要だと言う。

「私はスケートの優れた作り手がもっと現れなければいけないと思っていますし、振付家という意味での人材育成がさらに促進されなければならないと思います。個々のプログラムを創作するだけでなく、ショー全体を総合的に演出できるような人材が、これからより一層求められるようになるでしょう。すでに十何年以上、本当にコアなファンはついてきてくれていると思うので実に目が肥えているはずなんです。チケット価格がかなり高騰しているだけに、少しでもクオリティが落ちた時点で顧客が離れてしまう恐れがあります。そうした肥えた目による鑑賞にも耐え得る質のショーを創作することのできる人材を、スケート業界の中から輩出していかなければなりません」

 そして町田は同時に、スケーターの育成も訴える。

「今までは競技会で成功した人を招聘していましたが、やはりこれからは見出して育てるということも必要だと思うのです。しかも日本だけではなくて、世界中から有望なショースケーターを見出し、育てることに試みることも大事だと考えています。

 競技会とアイスショーは同じフィギュアスケートですけれども、両者は互いに差別化する必要があります。実際問題として、競技会の方が競技的に面白いわけです。4回転ジャンプをものすごい跳んでいて、限界を突き詰めるようなパフォーマンスで、勝負というエンターテイメント性もありますよね。そうした競技の世界で成功した人を招聘してくるだけではなく、やはりアイスショーの舞台だからこそ見ることができるようなショースケーターを育てていくことが、この分野の課題だと思います。

 昨今、個人スケーターの演技を入れ替わり立ち替わり展開していく定番型のアイスショーだけでなく、アニメのアダプテーションや、演劇やミュージカルとのフュージョンなど、色々な趣向を凝らしたショーが誕生してきています。そうした多様なショーを通じて、舞台人としてのスケーターが次々に育ってくるなら、ショーの未来も随分違ってくるのではないかと期待しています」

 アイスショーの今後を真摯にみつめる視線と提言。そこには、アイスショーの意義を理解し、そしていち早く課題を感じ取り、発展のために自ら実践してきた時間も込められている。(続く)

 

町田樹(まちだたつき)スポーツ科学研究者、元フィギュアスケーター。2014年ソチ五輪5位、同年世界選手権銀メダル。同年12月に引退後、プロフィギュアスケーターとして活躍。2020年10月、國學院大學人間開発学部助教となり2024年4月、准教授に昇任。研究活動と並行して、テレビ番組制作、解説、コラム執筆など幅広く活動する。著書に『アーティスティックスポーツ研究序説』(白水社)『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と溪谷社)。4月27日には世界的バレエダンサーである上野水香、高岸直樹とともに「Pas de Toris――バレエとフィギュアに捧げる舞踊組曲」に出演、振付・演出も手がける。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  世界選手権初優勝の宇野昌磨、コーチとの信頼関係が生んだ渾身の「ボレロ」

[関連記事]

宇野昌磨、北京五輪までの4年間で得たものと、変わらないもの

「1人1人を輝かせたい」樋口美穂子コーチの新クラブ「LYS」に込めた思い