JR茅ケ崎駅神奈川県茅ヶ崎市)では、サザンオールスターズの「希望の轍」(1990年発表)が発車メロディになっている。どのような経緯で採用されたのか。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・藤澤志穂子さんの新著『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)から紹介する――。

■一枚岩になりにくかった新旧茅ヶ崎の街と駅

茅ヶ崎は海岸沿いの街であり、湘南サウンドのイメージが強い。代表格は「サザンオールスターズ」だろうか。リーダー桑田佳祐さんの出身地で1978(昭和53)年のデビュー曲「勝手にシンドバッド」は鮮烈で、歌詞に茅ヶ崎が歌われるからか。

サザンオールスターズは2000(平成12)年8月に、海岸にほど近い茅ヶ崎公園野球場で初の凱旋コンサートを開催、これを機に駅の発車メロディの企画が持ち上がった。所属事務所も快諾したといい、翌年3月に、地元商工会議所が駅前で「どの曲がふさわしいか」のアンケートを実施。約1万人が寄せた回答中のトップが「希望の轍」だった。ライブで必ず演奏される、明日への希望を感じさせる定番曲だ。

茅ヶ崎商工会議所JR東日本横浜支社に実現の要望書を提出。だが、この企画は頓挫する。関係者の話を総合すると、当時はまだ駅のメロディが普及しておらず、楽曲の使用は、視聴覚に障害を持つ乗降客の妨げになりかねない等、JR側が実施に二の足を踏んだことが理由らしい。

サザンオールスターズのメロディ導入には、実は反対意見もあったと聞く。茅ヶ崎市は約25万人が住む東京のベッドタウンで、古くから住む住民もいれば、新しく移ってきた人たちも多く、市民の意見は一枚岩にはなりにくい側面がある。

■「加山雄三さんの曲の方がふさわしい」という声もあった

茅ヶ崎サザンオールスターズに限らず、土地にゆかりを持つ音楽家を多く輩出している。シニア層にとって、湘南サウンドの代表格は加山雄三さんである。「駅メロには、サザンより、加山さんの曲の方がふさわしい」といった声もあったようだ。

歴史を遡れば、作曲家では山田耕筰(1886~1965)が一時期、居住していたほか、中村八大(1931~1992)、平尾昌晃(1937~2017)、歌手の尾崎紀世彦1943~2012)、ミュージシャンの加瀬邦彦(1941~2015)、喜多嶋修さん、若手ではBEFIRSTのSOTAさん、SuchmosのYONCEさんなど錚々たる顔ぶれが並ぶ。

駅メロの企画が再び日の目を見たのは2013(平成25)年。サザンオールスターズが5年ぶりに活動を再開、8月に再び茅ヶ崎公園野球場で凱旋コンサートを開催し、桑田さんに市民栄誉賞が贈られた。

商工会議所は再び署名活動を始め、約1万人分を集め要望書をJRに提出。2014(平成26)年10月に実現した。東海道線の上り線でイントロ、下り線でサビの部分が流れている。

メロディはサザンオールスターズ自身が監修。「(1990年発表の)レコードバージョンではなく、ライブで原由子さんが弾くバージョンをベースにしています」と、実現に尽力した石井政輝さん。茅ヶ崎で高糖度のミニトマトを育てる農家の16代目だ。「桑田さんは自分のラジオ番組で茅ヶ崎についてよく語っている。『地元愛』は物凄く強いはずです」。

■「あやかり商売」と「そっとしておいてあげたい」気持ち

JR茅ケ崎駅南口を出ると、商店街「サザン通り」があり、縁結びのチタン製のモニュメント「サザンC」がある海岸「サザンビーチちがさき」まで2kmほどのそぞろ歩きになる。

ここからは、サザンの曲に登場する烏帽子岩と江の島が臨め、サーファーも集う。途中には桑田さんが通った市立茅ヶ崎小学校があり、洋菓子店「エトアール」はサザンにあやかった名前のサブレなどを販売。桑田夫妻が結婚指輪を購入した時計店「時宝堂」では、二人の指輪のレプリカをペンダントにして販売、海岸のモニュメントにあやかったチタン製だという。

その先には「茶山(さざん)」という名の深蒸し茶を売る「茶商 小林園」。桑田夫妻に贈呈し、折り返し原由子さんからお礼のハガキが届いたという。向かいの「サザン神社」は商店街の協力で古い店舗を改装、結婚を報告するファンが詣でており、運営を支援する小林園では、楽器をあしらった、参拝記念のご朱印状まで制作した。

一般的に地方の商店街が寂れていくのはどの地域にもありがちな課題である。駅前やロードサイドに商業施設ができれば、個人商店は先細りの傾向がどうしても出てしまう。茅ヶ崎も同じであり、全国から訪ねてくるファンを目当てにサザンに「あやかりたい」気持ちは強いだろう。

一方で、デビュー前の桑田さんを知る人々には「あまり騒がず、そっとしておいてあげたい」という思いも強い。「いつでも気軽に帰ってきてもらえるようにしたいから。実は“あやかり商売”をするのは気が引けるんですよね」。そんな本音も漏れていた。

■「茅ヶ崎FM」開局と、10年ぶり三度目の凱旋ライブ

サザンオールスターズのデビュー45周年の2023(令和5)年、多くのファンが待ち望んでいた茅ヶ崎での凱旋ライブが十年ぶりに実現した。

2000(平成12)年、2013(平成25)年に続く三回目、9月末から10月初めにかけて四日間にわたる公演の最終日、10月1日のオープニングで桑田さんが真っ先に言及したのは「茅ヶ崎FM、本日開局おめでとうございます」という祝辞だった。

音楽評論家で、サザンオールスターズの名付け親としても知られる宮治淳一さんにもエールを送った。宮治さんは桑田さんの市立小・中学校の同級生でもあり、茅ヶ崎FM(EBOSHIRADIOSTATION、通称エボラジ)のメーンパーソナリティーの一人である。

神奈川県はコミュニティFMが多くの地域にあるけれど、茅ヶ崎には不思議となかった。そのことを桑田さんに数年前に話したら、あちこち働きかけてくれて、普通なら準備期間に数年かかるところを、一年半で開局にこぎつけた。デビュー45周年と凱旋ライブも意識していたのではないかな」。

茅ヶ崎FMの運営会社には、サザンオールスターズが所属する大手芸能事務所アミューズや、著作権管理会社であるタイシタレーベルミュージックも出資している。地域のコミュニティFMに大手芸能レーベルが関与する例は極めて珍しい。桑田さんは10月1日の放送開始にメッセージを寄せ、サザンオールスターズの曲が流れるプログラムが続いた。

コミュニティFМの本分の一つは、災害時の緊急連絡の確保にある。「そうした時に真っ先に聞いてもらうためにも、普段のプログラムを充実させたい」と宮治さん。音楽評論家として山下達郎さんら多くのミュージシャンの知己を得ている、宮治さんならではのオリジナル番組も企画しているという。

■こうして「茅ヶ崎はサザン」の聖地になった

四日間のライブ期間中、茅ヶ崎では商工会議所を中心に、二つの市民企画が行なわれた。一つは会場の茅ヶ崎公園野球場まで徒歩10分ほどの「サザンビーチちがさき」でのキッチンカー出店。風によって球場のライブの音が流れてくるビーチでは、チケットを入手できなかったファンも集まった。

もう一つは、JR茅ケ崎駅から会場までの途中にある住宅街の緑地に設けられた休憩所だ。地域産品の販売と、仮設トイレ、ゴミ箱が設置された。四日間で延べ7万5000人が集まったが、特段の混乱はなかったという。

三度目の凱旋コンサート、地元商店街のあやかり商売、通りにはサザンにちなんだ標識と、茅ヶ崎サザンの“聖地”のようになってきた。このことを宮治さんは苦笑いする。

茅ヶ崎が音楽に縁が深いのは、もともと米軍基地キャンプ茅ヶ崎』があって、加山雄三さんをはじめ、ミュージシャンが育つ土壌があったから。加山さんが、戦後初の本格的なシンガー・ソングライター兼俳優として、音楽シーンをけん引したのです」。

米軍基地があれば、FEN(Far East Network-極東米軍放送 現AFN)が流れていたはずだ。「加山さんの音楽の素養は、FENを聞いたことから培われたのではないでしょうか」と、茅ヶ崎市観光協会の新谷雅之事務局長はいう。

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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビフジテレビ系コメンテーターなどを歴任。著書に『出世と肩書』(新潮新書)『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社) がある。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/7maru