現代戦闘機で純粋に「戦闘機」としての任務だけをこなすものは少なくなっています。そのかわり、さまざまな任務をこなせる「マルチロール機」が主流となっています。なぜでしょうか。

「F/A」ってなんの意味?

日本人メジャーリーガーとして、いまや見ない日はないほど注目を集めている大谷翔平選手。彼は野手と投手を兼ねる「二刀流」で有名ですが、戦闘機の世界は二刀流どころか三刀流や四刀流まで兼ねる機体がトレンドになっています。これら機体は「マルチロール機」または「マルチロールファイター」と呼ばれます。

マルチロールとは日本語では多用途という意味になります。プロスポーツの世界でも、複数ポジションをこなせる人のことを「マルチプレイヤー」と呼びますが、ほぼそれと同じ意味になります。つまり“なんでもできる”戦闘機ということです。

そのような戦闘機の中でおそらく一番知名度が高いのは、2022年5月末に公開された映画『トップガン マーヴェリック』において、俳優のトム・クルーズが演じる主人公ピート・“マーヴェリック”・ミッチェル たちが搭乗したF/A-18E/F「スーパーホーネット」になるのではないでしょうか。

同機は「F/A」とあるように、F(ファイター)の制空戦闘とA(アタッカー)、つまり対地対艦攻撃を1機で行える機体です。ほかにもマルチロール機は偵察機や爆撃機のような任務も行います。

このような複数の目的をこなす機体が考えられたのは第2次世界大戦中でした。

大戦中の日米は太平洋を挟んで戦いましたが、両国の海軍ともに攻撃機、雷撃機、急降下爆撃機と任務ごとに細分化された空母搭載用の艦上機の種類を統合しようと考えました。同一の機体が多ければ多いほど、狭い艦内での補給や整備が楽になり、任務にも柔軟に対応できるからです。そこで、まず手始めに試みられたのが、魚雷攻撃を専門に行う雷撃機と爆弾攻撃を行う艦上爆撃機の統合で、この方針により日本側が「流星」を、アメリカ側がA-1「スカイレイダー」を、それぞれ開発します。

一方、同時期にアメリカ陸軍やイギリス空軍、ドイツ空軍などでは、新型戦闘機の投入により旧式化した戦闘機に爆弾やロケット弾を積んで、戦闘攻撃機(戦闘爆撃機とも)に転用する試みを行っていました。

これら機体は戦闘機用の兵装と攻撃機用の兵装を両方搭載できるため、地上攻撃を終えた後は空戦を行うことも想定されていました。加えて、大戦後半にもなると、2000馬力超えの大出力エンジンを搭載した機体も登場するようになります。

なかでも、アメリカ陸軍航空軍(のちのアメリカ空軍)が運用したP-47「サンダーボルト」は、最新鋭戦闘機でありながら攻撃機並みの対地攻撃能力を備えたもので、後のマルチロール機のさきがけともいえる機体へとなりました。

ジェット機時代に本格化した汎用性の追求

この流れは戦後、ジェット機時代が到来すると冷戦時代のいわゆる西側陣営の航空機開発をリードしたアメリカで本格化していきます。プロペラ機だった時代と比べ、ジェットエンジンを搭載するようになったことで、格段に性能向上が図られるようになり、ペイロード(搭載量)が増加しても速度や機動性などに問題を抱えず飛行が可能になったからでした。

とはいえ、1950年代はまだ貴重なジェット戦闘機は制空任務を中心に考え設計されていたため、1960年代に登場した「戦闘爆撃機」と呼ばれるF-105「サンダーチーフ」やF-111「アードヴァーク」のような機体も、どちらかというと爆撃能力に主眼を置きすぎてベトナム戦争では、肝心の空戦がイマイチという評価になっていました。

1960年代では当初、艦上戦闘機として開発されたF-4「ファントムII」のみが結果的にマルチロール機らしい特徴を持つことになりました。同機は艦上戦闘機として開発された関係で、発艦時に機動性が必要だったため、対地攻撃能力を持ちつつも、鈍重な空軍の戦闘機爆撃機とは違い小型で軽快なMiG-21にも空戦で臨機応変に対抗できました。

ただ、これら過去の戦闘爆撃機の戦訓を反映させる形で完成したF-16「ファイティング・ファルコン」やF/A-18「ホーネット」から本格的なマルチロール機となります。

マルチな用途を求めるのは台所事情も関係?

F-16やF/A-18は1970年に登場していますが、同時期、アメリカ以外の他国でも、マルチロール機の開発が始まります。ジェット機になって以降、軍用機の開発コストは高騰しており、アメリカのように任務別に機体を揃えるのが困難になっていたからです。

フランスでは、1978年にダッソーが開発した「ミラージュ2000」が初飛行しましたが、この機体は1980年代に対地/対艦能力を強化し、マルチロール機へと発展していきます。一方、1974年にイギリス、イタリア、ドイツの3国が共同開発する形で「トーネード 」を初飛行させますが、この機体もマルチロールというにふさわしい性能を持った機体でした。

なお、その後はスペインを加えて最新のマルチロール戦闘機、ユーロファイター「タイフーン」を開発します。当初ユーロファイターにはフランスも関わっていましたが、条件が折り合わず離脱。これにより、同国は独自にマルチロール機「ラファール」を開発しています。

一方、スウェーデンのサーブが開発し1996年に運用が開始されたJAS 39「グリペン」は、比較的低価格でありながら制空戦闘、対地攻撃、偵察などの任務に使えるマルチロール機です。1機種で様々な用途に用いることができるため、母国スウェーデンだけでなく複数の国に採用されました。

こうして、世界中でマルチロール機の割合は増えていき、2023年現在、日本の航空自衛隊が保有する自国開発のF-2や、調達が進むF-35も、そのような性格の戦闘機として開発・配備されています。

そのような流れはソ連を始めとした、いわゆる東側陣営でも同様でした。たとえば、1977年に初飛行し、1985年から運用の始まったSu-27がマルチロール機に相当する能力を持っていましたが、明確にマルチロール機としたのは、ソ連崩壊後にロシアが輸出用として海外に売り込んだ同機の派生型、Su-30からです。

本格的にマルチロール機が実戦投入され始めた1980年代は、そのような“なんでも屋”に対して穿った見方をする向きもありましたが、1990年に湾岸戦争が勃発すると、制空、対地攻撃、偵察、爆撃など幅広い任務を問題なくこなしたことで、その有用性が証明されます。その後は各国とも金銭的な事情を考えると、コスト削減という観点から、運用・開発されている戦闘機のほとんどが、マルチロール機化していくことになりました。

マルチロール機であるF/A-18E/F「スーパーホーネット(画像:アメリカ海軍)。