「EV出遅れ」「OTA出遅れ」「自動運転出遅れ」「水平分業出遅れ」などなどに続き、このところ静かなブームとなりつつあるのが、日本の「SDV出遅れ」論だ。何としてでもニッポン出遅れの材料を探し続けるその熱意には感服至極である。

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 要するに、SDVに出遅れた日本の自動車メーカーが、絶望的な窮地に陥(おちい)ると言わんばかりのことを記事にする媒体が現れて、新たなトレンドになりそうな気配がしているのだ。その一連の流れが筆者的には全く腑(ふ)に落ちないのである。

 そもそも今までと比べてSDV出遅れ論がちょっと弱いのは、破壊的イノベーションとの結びつきが直感的にイメージしにくいという点にある。EV出遅れの時はスマホとガラケーをうまいこと当てはめて説明してきたわけだが、今回は話が難しすぎてそうそう簡単にはいかない。

 しかも、そのSDVができるとクルマはどう進化するのかをきちんと定義して説明できる人がいない。なんとなく「SDVという未知の破壊的イノベーションがやってくるので対応しないとヤバい」という雰囲気優先の筋書きだ。SDVによって、価値あるユーザー体験として何がどう変わるのかがさっぱり分からない。それを具体的に伝える記事に出会ったことがないにもかかわらず、この世の終わりとばかりに警鐘を鳴らすところに大きな違和感がある。

●SDVって一体何だ?

 まずはSDVって一体何だという話だ。SDVとは“Software Defined Vehicle”のことで、直訳すれば“ソフトウエアによって定義される自動車”という意味になる。これはまあどこにでも書いてある。検索さえできれば誰でもたどり着ける情報だ。

 意訳するとどうなのかといえば、「これからはソフトウエアこそが大事で、ハードウエアの意味が失われる」というような言い方が多い。

 これはちょっと微妙な説明で、どういう読み解きをするか次第の話になってくる。仮に「これまではソフトウエアを軽視し過ぎており、ハードしか競争領域と見なしてこなかった。これからは相対的にソフトウエアの重要度が上がる」という理解なら、その通りだと思う。

 ただ、ハードの重要性が失われたという話だとすれば、それは違う。2年くらい前には、あの慎重居士のトヨタでさえ「ソフトウエアファースト」と言い出して、筆者はその技術発表会の質疑応答で異を唱えたことがある。「ソフトが重要になったからといってハードがどうでもよくなるわけじゃない。誤解を招く言い方だ」と。そのせいなのか、もともと内部でも疑義が持たれていたかは定かではないが、トヨタはソフトウエアファーストという言い方を取り下げた。

 ソフトウエアファーストの例としてよく持ち出されるのはアップルのiPhoneだ。「OSのアップデートによってどんどん新しい機能が追加されていく。それこそがSoftware Definedの世界である」。そう説明される。ああ、なるほどねと思う人もいるかもしれない。

 しかし、考えてもみてほしい。そのアップルは毎年毎年新型のiPhoneを発表する。なぜソフトウエアで新しい機能が追加されるというのに、頻繁に新しいハードウエアを出さなければいけないのだろう。ソフトウエアがハードウエアを制御するものである以上、ハードとソフトはあくまでも一対両輪の関係であって、片方だけでは成り立たないからだ。

 端的な例を挙げれば指紋センサーのない機種に指紋認証ソフトをインストールしたところで機能するはずはない。例えば顔認証はどうだろう。iPhoneの顔認証機能では、近接センサーが反応して赤外線ビームを照射、人の顔の凹凸からの反射を赤外線センサーが捉えてインカメラと併せてデータと照合、本人の顔かどうかを認証する。当然ソフトウエアだけで成立する機能ではない。iPhoneのOSであるiOSの場合、数世代前のハードウエアまでカバーしてくれるのが強みではあるが、最新のiOSのフル機能を使えるのは原則的に最新世代のハードである。だからこそ人々は毎年毎年新しいiPhoneの登場に注目するのだ。

 このように、機能の実現にはソフトとハードの両方が必要だ。それはごく当たり前の話である。ソフトを軽視していてはいけないという話であって、Software Defined Vehicleにおいては、ソフトがハードより偉いという理解は間違っている。

●車載OSは確かに重要だ

 そもそものところに戻れば、コンピュータにとってのOSとは、“多くのアプリが共用する機能をひとつひとつのアプリプログラムに重複して持たせるのは無駄なので、別階層の汎用ソフトウエアとして標準化”したものである。

 プレゼンソフトでもワープロでも表計算でもデータベースでもデザインソフトでも、モニターに何かを映し出すこと抜きにはユーザーは利用できない。警告音を含めた何らかの音も必須だ。そもそもキーボードマウスなどのインタフェースも無くては操作ができない。あるいは記憶装置だってないとどうにもならない。なのでそれら共通性の高い部分を統合して汎用化したものがOSなのだ。

 少なくとも昔のWindowsは、電源を入れるとまずマザーボード上のROMに書き込まれた第1段階のコンパクトなプログラムであるBIOS(現在でいうUEFI)が走って、最低限のハードウエアが接続されているかどうかをチェックした。例えばキーボードが接続されていないと立ち上がらない。そうやって第一にまずハードウエアのチェックをしてから、どこのドライブにシステムを読みにいくかの段階に入り、手順を踏んでOSがようやく立ち上がる。ハードウエアは最優先チェック事項なのだ。それはハードが重要であることの証拠でもある。

 ただし、クルマの場合、コンピュータのOSにあたるものが現状存在しない。限られた範囲の組み込みソフトとして、別々に開発された制御ソフトウエアを先祖として発展が始まり、あまりにも長きにわたって、増築を繰り返されてきたという経緯があるからだ。

 極論をいえば、言語が異なるプログラムを通訳を介してつなぐケースなどもあり、複雑になり過ぎている。何か新しい機能を盛り込もうとすると、増築した各ソフトウエア間の整合性を全部チェックし直さなければならない。それは新型車の開発のたびに毎回発生する無駄な作業なので、コンピュータのOS同様に、共通機能をある程度集約して標準化、汎用化を進め、新機能の搭載が一括でできるようにしたい。

 ところが出力する先がモニターと通信と印刷くらいしかないコンピュータと違って、クルマは制御先の因子数が圧倒的に多い。そこに対してどうやって統合して、汎用化するかについて、まだどこの誰も具体的にこうすれば良いという答えを導き出せていない。なのでまさにこれからその答えを探す戦いが繰り広げられていくことになる。つまり、クルマのOSが求められるようになり、そこからSDVが重視されるようになってきたわけだ。

テスラの優位性

 歴史的に見て、クルマに最初に搭載されたソフトウエアは、エンジンの制御である。それからトランスミッションやアンチロックブレーキ、電制ステアリング、車両姿勢制御などの制御ソフトウエアがどんどん増築されていった。例えばエンジン制御の組み込みソフトが開発された時には、まだまだほかの制御がどういうものになるかは全く分からなかった。

 もちろん関係性の高い制御同士では、ある程度統合が進んだケースもある。例えばエンジンとトランスミッションの制御だ。少し前に流行ったダウンサイジングターボと多段変速ATは、両者の統合制御で初めて成立したものだ。エンジンにしろトランスミッションにしろ、一度開発されたら数十年使うものであり、それらを全部いっぺんにやり直すタイミングは事実上ないので、現実問題としては特別に擦り合わせが重要なところを重点的に統合しつつ、その他の部分はやむを得ず誤魔化しながら増築を続けてきたという歴史がある。

 というところでテスラが出てくる。テスラの場合、例外なくEVであり、まずエミッション関係の制御が全部いらない。エンジンに比べればモーターとパワーコントロールユニットは種類が少ないので、そもそもの順列組み合わせが少ない上、当初はクルマまるごと1台がブランニュー開発なので、10年前に作ったような古い組み込みソフトと新たなソフトを擦り合わせて作動させる必要がなかった。だから全部が同世代で、一括開発することが可能だったのである。それがアドバンテージになったのは確かで、それをもってテスラのソフトウエアの優位性を唱えるのは、確かに間違っていない。

 ただし、これから先はテスラも既存自動車メーカーと同じような流れに囚(とら)われていかざるを得ない、要素技術の開発年次がアップデートのタイミングによって違ってくるのだが、それらをアップデートする際に毎度ブランニューで全部をやり直すわけにはいかないからだ。違う世代のシステムの統合をパッチを当ててつなぐ部分は必ず出てくる。

 それを嫌って毎回完全刷新をすればコストが大幅に上昇して価格競争力が削がれる。車載OSは顧客にとって目に見えないので、何らかの新機能追加でアピールできない部分は競争力につながらない。なので地味であってもコストが大事なのだ。これまでのところでいえば、SDV的概念においてテスラアドバンテージがあるという見方は間違っていないが、それはこれから徐々に失われていくはずだ。

●ソフトウエアだけで完結しない難しさ

 さて、では伝統的自動車メーカーにおいて、そのSDVがどうなっていくのかといえば、さまざまなハードを制御するソフトを相互につなげる際に、インタフェース(バス)が統一されていく。というかここはすでにある程度規格化されている。コンピュータでいえばUSBのようなものだが、日進月歩のコンピュータですらプラグ形状別にUSB AもあればBもCもあるし、速度と通信の規格として1.x、2.x、3.x、4.xと言う具合で複雑怪奇なことになっている。

 コンピュータに比べて、製品寿命がはるかに長いクルマにおいて、バスをどうやって汎用化していくかはかなり難しい問題である。現状ではCAN、LIN、FlexRay、Etherなどを場所によって使い分けている。通信速度の速さや信頼性、設計やメインテナンスのコストがそれぞれ異なるからだ。例えば車両制御系の通信は高速性と高信頼性が高度に求められるが、パワーウインドーやヘッドライト、ワイパーなどの制御はコストの方が大事。通信レベルの領域で発生する遅延などどうでもいい。

 それらの適材適所を見極めながら最適なバスでつないで統合制御を行わないとコストを含めた最適化ができない。

 またそれぞれの方式の中でもバージョン違いがあり、例えば同じCANでも3世代が存在して、通信速度ひとつとっても、1Mbpsから20Mbpsとそれぞれ速度が違う。どれを選ぶかで、ネットワーク系で使える部品の世代が変わってくるのだが、コンシュマー製品なので最新最速高性能が正義とは限らない。求められる性能を満たすのであれば、より安価な旧型の方がベターなことはよくある。とはいえ長期情勢をしっかり見極めておかないとモデルライフの途中でその規格の旧態化が進行して、部品も含めた選択幅が狭まるので、適宜アップデートは必要とかなりややこしい。

 製品世代の途中でバスを変えるような設計変更は莫大なコストが必要になり、そして発売年次の異なるクルマが輪唱のようにデビューし、それぞれが最低4年も作られるわけなので、一斉にアップデートすることはまずもって不可能なのだ。

 しかも問題は自動車メーカーの内側に止まらない。電子部品の多くはサプライヤーからの供給品であり、バスのような規格を変えるということは、そのネットワークにつながる全ての電子部品を作るサプライヤーが一斉に新規格に対応した部品を納品しなければならない。

 にもかかわらず継続生産中の別の車種では旧規格が併存しているわけで、サプライヤーは、ヘタをすると数世代の規格に対応するそれぞれのインタフェースを持つ製品を生産しなくてはならなくなる。例えば先般の半導体不足もこれが理由の一つだった。信頼性の高い“枯れた”半導体は、コストと信頼性の両立という意味で自動車メーカーにはまさにベストチョイスなのだが、半導体のサプライヤーにとっては、利幅が小さい型遅れ品をラインをふさいでまでわざわざ作っているということになる。モチベーションは低い。

 コロナ禍で自動車メーカーが半導体の発注を減らした時に、これ幸いとそれらの生産を減らし、生産ラインをより世代が新しく、利幅の大きい製品に切り替えた。コロナも一段落したところで、今まで通りの枯れたヤツをお願いしますと言われても、そんなものをわざわざ作るより、もっと利幅の取れる製品を作りたい。その後、自動車メーカーがこぞって半導体メーカーと提携をしたり、自社で開発をしたりしたのはこれが理由だ。

 要するにバスはソフトウエア領域におけるハードウエアの問題であり、手元での価格メリットと要求性能。それに加えてライフタイムでの調達性を絶妙にバランスを取らなければならないという意味で、自動車メーカーにとって頭の痛い問題である。

●クルマにアプリを自由にインストールできるようになる?

 ことほど左様に、極めて難問なのだが、放置できる問題ではない。業界全体の流れとしては、少なくとも今の増築の塊のようなソフトウエア群のままで良いとは考えていない。スパゲティ化したソフトウエアを整理して、できる限り汎用化し、可能であればOSのバージョンアップデートで一斉に全部のクルマが新しくできるようになることが望ましい。

 概念としては全くその通りなのだが、現実の話になるとこれまで説明してきた通り、そう簡単に一筋縄ではいかない問題なのだ。VWのヘルベルト・ディース元CEOが退任させられた表向きの理由も車載OSの内製化の失敗だった。

 さて、実はこの車載OSがどういう方向へ進むのかについての説明で一番分かりやすかったのはトヨタの佐藤恒治社長の説明だ。「スマホはOSがあって、そこに個人個人が勝手にアプリをインストールする。だから機能もインタフェースも人それぞれ違う。長期的にはクルマのOSもそうなっていくと考えている」

 つまり車載OSの登場によって、アーキテクチャーが解放され、オープン化されるという世界観である。そこにサードパーティがさまざまなユーザーニーズを先取りしたアプリをリリースし、ユーザーは機能と対価を見ながら自分が使いたいアプリをインストールする。アップルのApp Storeのようなものだ。

 なるほど概念としては分かりやすいのだが、現実はそう簡単ではない。スマホ以上にセキュリティが重要だからだ。悪意のあるソフト、つまりマルウエアが仕込まれたとしても、車両制御系への被害拡大は絶対に阻止しなくてはならない。

 なので車載OSは概念としてはオープン化を目指すのだが、車両制御系領域とその他の間に絶対的なファイアウォールを置くか、物理的にネットワークでつながないというセキュリティが必要になる。かなりの矛盾を内包している。

●ソフトウエアだけで機能が追加できるわけではない

 そしてこの原稿の重要なテーマでもある「具体的に価値あるユーザー体験として何がどう変わるのか」というちょっと次元の異なる問題もある。むしろユーザーにとってSDVの価値としてはそこが大事というか、そこしかないといっても過言ではないはずだ。

 例えばプレステのゲーム『グランツーリスモ』のように、システム上のお金を払うと、システム出力が上がるとか、ブレーキの能力が上がるという世界はソフトウエアだけで成立しているゲームでは簡単である。データのパラメーターをいじればそれでいいからだ。

 けれど現実のクルマはそうはいかない。例えばターボの過給圧を上げるプログラムがあったとする。過給を上げれば当然パワーは出る。ノッキング対策のEGRもある程度データで制御できるかもしれない。しかし、冷却の強化となると実物のラジエターやオイルクーラーを交換しない限り不可能だ。ヘタをすると強化ガスケットもいるかもしれない。かといって最初から大容量の冷却系や強化パーツを搭載しようとすれば、コストがべらぼうにアップする。そのコストは誰が負担するのか。メーカーはそのコストを負担しつつ売価に反映しないことなどできない。なので当然顧客負担になる。しかし商道徳としてそれだけの高機能パーツの対価を支払った客が機能に制限をかけられるのは妙な話である。

 「EVならパワトレの冷却問題は少ない」という人がいるかもしれないが、出力が上がれば、曲がる・止まるの能力も嵩(かさ)上げしなくてはならない。ブレーキでもクラッチでもタイヤでもハードに手をいれなければならなくなるのは全部同じだ。ソフトウエアで機能をアップデートするには最初からその機能に対応するハードウエアを車両に組み込んでおかなければ不可能だ。だから現実的な話としては、コストが大して発生しないシートヒーターがサブスクで課金すると使えるようになるとか、そういうしょぼい話にならざるを得ない。

 機能をサブスクで解禁する話は、ハードの生産に一括の開発費が発生しつつ、個別の原材料費が安いケースでは実現し得る。例えば半導体がそうで、同じ規格で作った半導体はその生産の仕組み上、ウエハの中心付近と周辺の個体では性能に差ができる。良いヤツは高級品として高く、劣るヤツは普及品として安く売る。平均値として利ざやが取れればいい。場合によっては、わざわざ安い製品を専用に作るよりも高級品の性能に制限をかけて売ってしまった方がもうかるケースも出てくる。こういうものが課金の結果、高級品の性能にアップグレードできるのは、そういう背景があるからで、クルマの場合はそんなにざっくりしたコスト計算では成立しない。

●車内エンタメは本当に必要か?

 もう一つ、SDVの話をすると必ず出てくるのが車内エンタメの話である。動画を見るとかゲームをやるとかそういう話なのだが、現状、それらのエンタメは運転しながら楽しむことは認められていない。クルマが停まっている状態でいいなら、そこでノートPCでもブルーレイプレイヤーでも何でも好きなものを持ち込んで楽しむことは今すぐにでも可能だ。というか筆者個人としては自宅に帰れないやさぐれた環境にないので、自宅でくつろいで大画面で楽しんだ方がずっと良いと思う。

 クルマの中でそれが求められる前提だというのなら、移動時間の活用という話になって、どうしても自動運転と対になる。しかもレベル5領域の話だ。ところが、レベル5の自動運転は何十年か先の話になる。

 過去にも書いているけれど、日常運転していて、しんどいのは渋滞のストップアンドゴーと、長距離長時間運転である。しかしこれについてはもうADASでほぼ解決できてしまっている。各社のトップエンドクラス、トヨタでいえばアドバンスド・ドライブ、日産でいえばプロパイロット2.0、スバルでいえばアイサイトXあたりは、それぞれ各社の考え方による得意不得意があるものの、全体としてはかなり高度なADASとなっていて、これらに比べてテスラのオートパイロット(FSDは未経験だ)だけが特段優れているとも思えない。こうした日本メーカーのシステムを体験したことがある人が少ないので過小評価されているだけだ。

 そうやって移動における一番嫌な困りごとが概ね解決している先で、そこから先のさらにを求めるとなると、何のためにいくら払うかというコストの問題が発生する。いったいレベル5にいくらのエクストラを払うかを考えると、車内でエンタメを楽しむために数百万円も払う価値があるかは甚だ疑問である。

 なぜ数百万円ということになるかといえば、レベル5の自動運転システムの価格が下がるのは容易なことではないと思うからだ。数百万でも控えめで本当は数千万と書きたいところだ。できるとこだけ概ね自動運転というのはかなり良いところまで来ているが、人の介入が一切要らない完全な自動運転を求めるとレベルが全く違う話になる。

 もちろんレベル5なら運転免許も不要だし、飲酒しても送り届けてくれるだろう。エンタメだけじゃあない。だがそれは機能だけでいえば運転代行やタクシーでも可能な話であり、少なくともそれらとコストで戦える状態にならないと難しい。

 結局「SDVになると、こんなメリットがあります」ということを具体的かつ明快に言える人に筆者はまだ出会ったことがない。ふんわりとしたソフトの時代という話から先に全然進まないのだ。なので「SDVに出遅れ」という話があるのだとすれば、それは世界の全ての自動車メーカーが例外なく出遅れているという話であり、それって出遅れなのという疑問が尽きないのである。

(池田直渡)

日本の自動車メーカーはSDVに出遅れた、本当か