今年も4月を迎え、新入社員は高い志を持って希望に満ち溢れている人が多いかと思いますが、一方で入社してすぐトラブルを起こす困った人もいるようです。

都内のIT企業に務めている日村浩二さん(仮名・29歳)は、高い自己評価のわりに実力が伴っていない新入社員にさんざん振り回された経験をしています。

◆新人が潰れないように工夫している

日村さんは営業職を担当し、自社のサービスを店舗や自治体などに売り込んでいます。入社から6年目で小さな部署ながらリーダーを任されるようになり、新人研修にも参加しているそうです。

「新入社員に対して僕が教育係として仕事を教えています。先輩に面倒を見てもらって成長できたので、出し惜しみせずに実用的なノウハウを伝えるようにしています。また、最近ではハラスメントが問題視されますから、なるべく言葉遣いに気をつけ、新人が潰れないように工夫する必要があります。正直ストレスを抱えることもありますが、それでも会社のため、新人のためと思い、教育係としてスキルアップするよう日々精進しています」

問題児の研修を担当することに

日村さんは、昨年も新入社員Bさんの教育係に任命されたそうです。これがなかなかの問題児で、日村さんも終始振り回されっぱなしだったとか。

「某有名国立大を卒業しており、入社したときから会社の先輩を見下している感じでした。自分と一緒に営業先に回る際も終始ふてくれされているような表情で、さすがに注意すると反論してくる始末。なんでそんなに反抗的なのか聞くと、志望していた大手IT企業に落ちて、仕方なくいまの会社を選んだと言うんです。自分は呆れてしまい返す言葉も無かったのですが、ここで説教でもしたらパワハラだと訴えられそうなので、ひとまず営業先ではキチンとした対応をしようと注意するだけに収めました

上司である課長に相談するも、若気の至りで生意気言っているだけだろうと取り合ってくれなかったそうです。

◆入社して2ヶ月ほどで要注意人物に

「社内の会議でも平気で先輩社員に楯突くし、なにかにつけて学歴マウントを取るんです。教育係の僕もBの大学よりレベルが低いので、『先輩より偏差値高いんで』と吐き捨て、言うことを聞きません。他の社員は厄介者扱いして相手にせず、結局は全てにおいて僕が尻拭いをすることに。少し叱責すればパワハラだと騒ぐし、入社して2ヶ月ほどで要注意人物として社内でも有名な存在になりました

Bは、かなりの自信家で、新人ながらプロジェクトへの参加を直訴してきたそうです。

「理路整然と自分の意見を言えるので、課長や部長も丸め込まれてしまって。通常、弊社は入社から1年以内の新人をプロジェクトへ参加させることはありませんが、異例の抜てきを受けることに。能力に見合っていないのは明白で、危なっかしいなと思っていました」

ここで新人ながら活躍すれば漫画のような展開だが、そうもいかないのが現実というもの。

「プロジェクトに参加したといっても、さすがに重要な仕事を部長も振りませんでした。ただ、自分が重宝されていないことを察知したBは、先輩たちの仕事にもあれこれ口を出しました。仕事もロクに覚えていないので足手まといになり、他の社員の仕事を増やして煙たがられてしまい……。しかし、そんな事はお構いなしに会議でも率先して意見を出すなど、メンタルの強さだけが浮き彫りになった有様です

◆音信不通になったBの母親から電話が

そして、日村さんが思っていたように、Bさんは大きなトラブルを起こすことになったとか。

「人の仕事に首を突っ込むわりに、自分の業務は全く進めておらず、先方からクレームが来たんです。“報連相”を怠っていたようで、納期が絶対に間に合わないスケジュールになっていて、結局は会社に損害を与えることに。他のメンバーから非難轟々で、説明を求められると突然逆ギレして会社に来なくなってしまったんです。結局は自分が処理する形で、そのプロジェクトは何とか終了させられました」

Bさんに振り回された日村さんですが、その後さらなる悲劇が待っていたそうです。

「出社拒否をしてから音信不通になったのですが、数日後に母親から電話が。曰く、もう会社に行きたくないと話していて、教育係だった自分が仕事を教えなかったせいで、大失敗したと責任転嫁してきたんです。会社もBが悪いことはわかっていましたから、母親に会社の落ち度がまったくないことを説明し、期日までに出社しなければ解雇すると伝えたそうです。それでもBの意思は何ら変わらず、結局クビになりました。何人もの教育係を務めてきましたが、さすがにここまでヤバい奴ははじめてです」

現在は、かつてよりハラスメントやコンプライアンス重視が叫ばれ、新入社員が守られる立場にあります。ただ、あぐらをかいて暴走する人物も一定数はいるということを、われわれは理解しないといけないようです。

<TEXT/高橋マナブ>

【高橋マナブ】
1979年生まれ。雑誌編集者→IT企業でニュースサイトの立ち上げ→民放テレビ局で番組制作と様々なエンタメ業界を渡り歩く。その後、フリーとなりエンタメ関連の記事執筆、映像編集など行っている

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