静岡県川勝平太知事は4月1日「県庁はシンクタンクだ。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりとかと違い、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち。それを磨く必要がある」と新規職員に訓示。この発言が職業差別にあたるとして、批判が殺到。

川勝知事は、就任時から問題視される発言は多かったのですが、特にリニア問題が佳境を迎えた昨今は注目の人となりつつあり、「御殿場(の特産品)はコシヒカリしかない」、「磐田は浜松より文化が高い」といった不用意な発言から責任を追及される場面が目立ちました。そして、今回の発言がダメ押しになり、川勝知事は辞任を表明したのです。これにより5月9日告示、5月26日投開票の日程で静岡県知事選が実施されることになります。

川勝知事は、JR東海2027年を目標に進めていた中央リニア新幹線の東京(品川)―名古屋間の開業を阻止した人物と目されています。新知事が誕生することで、膠着していた中央リニア新幹線は果たして前に進むのでしょうか? 永田町霞が関の取材歴が15年超のフリーランスライター・カメラマンの小川裕夫が解説します。

静岡県に駅が設置されない理由は…

2009年から静岡県知事を務める川勝平太氏は、2021年の知事選で4選を果たしました。彼の存在が全国的なニュースで取り上げられていたのは、JR東海2027年の開業を目標にして建設を進めている中央リニア新幹線リニア)に対する話題のときです。

リニアは東京(品川)―大阪間を約1時間で結ぶ予定で建設が進められている高速鉄道ですが、現在は東京―名古屋間で建設が急ピッチで進められています。今のところ、リニア静岡県を除いて通過する全県にひとつずつ駅が開設される予定になっています。

静岡県に駅が設置されない理由は、リニアが通る静岡県域は南アルプスという山奥だからです。こんな山奥に駅を開設しても、利用者はいないと想定されています。仮に駅を開設しても、市街地まで出るのに延々と自動車に乗らなければなりません。

◆「素通りするだけ」ではなかった

駅が開設されたら、行政などは駅前を整備し、形だけでもバスなどの公共交通網を整える必要があります。ちょっと考えただけでも、費用対効果に疑問がつきます。そうした背景もあり、静岡県も駅の設置を求めていません。こうして、リニア静岡県内を素通りすることを前提に計画が進められてきました。

ただ、リニアが素通りするだけだったら、県知事や県民も目くじらを立てることはありませんでした。問題は、リニア工事に伴って南アルプスから水が流出してしまうことです。

南アルプス山中から湧き出ている水は、静岡県中部を流れる大井川へと注いでいます。つまり、リニア工事によって大井川の水量に異変が生じてしまうことが懸念されたのです。

リニアに対して「前のめりな発言」をする時期も

大井川の水は、流域自治体にとって生活用水になっているだけではありません。農業用水・工業用水としても利水されており、大井川の水量に異変が生じることは、静岡経済にも大きな打撃を与えることは必至です。

県民の生命・財産を守ることは、静岡県知事の責務です。川勝知事が軽々にリニアの着工を認めないのは、ひとえに知事の職責を果たしているというわけです。

と言いたいところですが、川勝知事は2009年の就任当初からリニア建設に反対していたわけではありません。2013年には、JR東海の役員たちとともにシンポジウムに登壇。JR東海の役員よりもリニアに対して前のめりな発言をしていました。

JR東海よりもリニア開業に前のめりだった川勝知事ですが、次第に態度を硬化させていきます。それはJR東海リニア工事における大井川の水対策に真摯な態度を見せなかったことが大きく起因しています。

2027年開業は正式に断念することに

いったん硬化した川勝知事の態度は、JR東海の提案をことごとく拒否することにつながり、静岡県JR東海は没交渉になりました。そのため、静岡工区は着工のメドすら立たない状況に陥っているのです。

川勝知事の論理は時に理解不能でした。そのため、リニア推進派からは「ゴールポストを動かしている」と非難されていました。実際、リニアに対する大井川の水問題や環境保護を守るための発言は一貫していません。

JR東海川勝知事から工事着工の認可を得られず、いたずらに時間だけが過ぎていきました。昨年にJR東海2027年開業という目標を2027年“以降”開業と濁した表現に改めました。そして、このほど2027年の開業を断念することを発表したのです。すでに、昨年の段階で2027年開業は実質的に延期されていたわけですが、それをJR東海が正式に認めた格好です。

◆なぜ「静岡工区」にこだわるのか

なぜ、JR東海は静岡工区の工事にこだわるのでしょうか? 静岡県を通らないルートでリニアを建設するなら、静岡県から認可を得る必要はありません。

しかし、ルート変更となると、環境アセスメントをはじめとした事前調査からやり直さなければなりません。それでも「急がば回れ」のことわざのように、静岡県を迂回した方が早かったかもしれません。それでも、環境アセスメントをやり直した場合には、別の問題が出てくる可能性もあります。

また、迂回ルートで建設してしまったら、JR東海が目指していた東京―大阪を1時間で結ぶという想定も崩れてしまいます。これはJR東海にとって、絶対に避けたい話です。

また、すでに山梨県に実験線が建設済という事情もあります。リニア1996年に先行的に整備された約18.4キロメートルの区間で実験を開始し、2013年には残りの区間も整備が完了しています。

これで先行区間と合わせて約42.8キロメートルの実験線が誕生し、この約42.8キロメートルの実験線をそのまま旅客転用することで工期・工費を圧縮できると考えていたのです。

◆多くの工区で工事の遅れが発生している

JR東海は2014年に起工式を挙行。この時点から開業年を2027年に定めて、整備を続けてきました。

川勝知事が着工の許可を出さない静岡工区は、約8.9キロメートルの短い工区です。そんな短い静岡工区がリニアの開業を阻んでいる――かのように見えますが、実際は多くの工区で工事の遅れが発生しています。

例えば、東京・品川区には北品川工区と呼ばれるリニアの建設現場があります。北品川工区では2023年10月にシールドマシンの損傷が見つかり、掘削を一時中断しました。また、愛知県でも坂下西工区と名城工区の工事が長らくストップしていました。
北品川工区・坂下西工区・名城工区の3工区は、川勝知事が辞任を表明した翌日から工事を再開しています。長らく工事を休止していた3工区が、川勝知事の辞任表明とともに工事を再開させたことは偶然とは考えづらいところです。

また、JR東海はHPでリニア工事の進捗状況を公開しています。HPを見ると、山梨県に開設が予定されているリニア駅は、いまだ事業者との契約すら締結できていません。

JR東海2027年の開業延期を発表した数日後に山梨県駅の完成が2031年以降になると発表しました。JR東海によると、山梨県駅は着工から完成までに約6年8か月もの工期が必要なるとのことなので、それらを踏まえると未着工の静岡工区とは関係なく、すでに2027年開業が無理だったことが浮かび上がってきます。

◆工事を中止する可能性はゼロとは言い切れない

「静岡工区の着工が認可されないから、ほかの工区も工事が進められないのだ」という意見もあるでしょう。しかし、それは静岡県も同じです。

東京名古屋を結ぶリニアには、静岡県のみ駅が設置されません。つまり、静岡県にとってリニア開業で得られるメリットはありません。その一方で、開業後に大井川の水量が減少する可能性があることや南アルプスの環境破壊によって引き起こされる生物多様性の問題、さらには有害な重金属を含む要対策土の処理といったリスクだけを負います。

そんなデメリットしかないリニアですから、静岡県としては「他工区の工事が完了してから(もしくは完了するメドが立ってから)じゃないと工事を始めることはできない」と考えても不思議ではありません。仮に、静岡工区を着工した後に「リニアは完成しませんでした。しかし、流出した水も戻せません」では取り返しがつきません。

JR東海も莫大な費用を投じて建設を進めているのだから、途中で工事を中止することは考えづらいところです。しかし、可能性がゼロとも言い切れません。150年以上もの鉄道史の中で、用地買収を終えたのに開業しなかった路線、建設工事を始めたのに途中開業を断念した路線はたくさんあります。

◆出馬を断念した“最有力候補”

こうした静岡県を取り巻く環境を踏まえつつ、静岡県民は次の知事選に一票を投じることになります。静岡県知事選は静岡県民にしか投票できませんが、全国から注目を浴びることは確実です。

川勝知事が辞任を表明するにあたり、事前に後継を打診していたのが立憲民主党渡辺周衆議院議員です。渡辺議員は静岡県沼津市を地盤とする政治家で、静岡県ともゆかりがあります。それだけに、出馬すれば最有力候補になったことは想像に難くありません。

渡辺議員は民主党政権時代に総務副大臣を務めていました。筆者は主に地方行政を取材しているライターのため、総務省にも足を運ぶ機会が多いのですが、民主党政権時代には副大臣を務めていた渡辺議員にも取材をする機会が何回かありました。また、立憲民主党の党大会やカコミ取材などで何度も話を聞いています。

そうした取材を通じて、筆者は渡辺議員に対して川勝知事のような強引さを感じることはありませんでした。他方で、海千山千のJR東海を相手に静岡県としての立場を貫き、意見を言えるのか? といった一抹の不安もよぎりました。

当初、渡辺議員本人も出馬への意欲を示していましたが、立憲民主党の泉健太代表から引き止められて不出馬へと転じています。

◆県知事選には静岡県内の代理戦争的な側面も

そのほか、静岡県知事選に出馬を表明しているのは、前浜松市長の鈴木康友氏川勝知事の下で副知事を務めた大村慎一氏の2名です。

静岡県静岡市浜松市という2つの政令指定都市を抱えていますが、両市は現在も対抗心を燃やすライバル都市です。
県庁がある静岡市は、当然ながら静岡県の中心都市であることを自負しています。他方、浜松市は自動車メーカーのスズキ、楽器メーカーの河合楽器製作所、楽器製作だけではなくスポーツ用品や自動車部品なども手がけるヤマハなど、製造業が盛んな都市のために静岡経済を牽引していると自認しています。

こうした静岡市浜松市のライバル関係は、静岡県知事選においても水面下で火花を散らしてきました。静岡県知事選は、静岡市財界と浜松市財界の代理戦争的な側面も多分にあるのです。

◆まさに「静岡市vs浜松市」の構図に

このほど県知事選に立候補を表明した鈴木康友氏は、前浜松市長です。仮に静岡県知事に当選しても、静岡市を中心とする静岡県中部地方の市民・企業から受け入れられてもらえるかが焦点になるでしょう。ここで対応を誤ると、鈴木県政は一気に停滞しかねません。

もう一人の立候補表明者である大村慎一氏は、川勝県政1期目で副知事を務めた経歴を持っています。大村氏は静岡市出身なので、鈴木氏と大村氏との県知事選はまさに静岡市vs浜松市の構図になります。

くわえて、県議会の立憲民主党国民民主党系の会派である「ふじのくに県民クラブ」が鈴木氏を、自由民主党系の会派である自民改革会議が大村氏を推薦するなど、与野党の対決構図にもなりつつあります。

鈴木・大村両氏は、ともにリニアを推進する方針を明らかにしています。鈴木氏も大村氏も、「リニアが開業すれば、(静岡県の全駅を通過する)東海道新幹線は“のぞみ”中心のダイヤから、“ひかり”と“こだま”中心のダイヤになるので、リニア開業は静岡県にもメリットがある」と主張しています。

これはリニアが開業することで、東海道新幹線のぞみ”の役割がリニアに移るという予測に基づく見解です。東海道新幹線の利用者はコロナで減少しましたが、コロナ収束前後から再び増加に転じています。そして、今後も“のぞみ”の需要は堅調に伸びることが予想されています。

◆乗り換えが発生した場合、大半の利用者は新幹線を使い続ける?

さらに考えなければならないのが、リニアが開業しても東京―大阪間の移動には必ず名古屋で乗り換えが発生することです。

乗り換えの所要時間や手間を考えると、リニアが東京―名古屋間を開業しても、東京―大阪間を移動する利用者の大半は東海道新幹線を引き続き使うことが予想されます。つまり、リニアが開業しても“のぞみ”の利用者がリニアへと遷移することはなく、リニア開業後も“のぞみ”の発着本数は大きく変化しない可能性が大きいのです。

鉄道ダイヤを決める権限は、鉄道事業者にあります。東海道新幹線なら、JR東海です。

奇しくも、今年になって京葉線ダイヤ改正を巡って、自治体と鉄道事業者の意見が対立し、大きな話題になりました。京葉線ダイヤ改正では、通勤快速全廃・朝夕に運行されていた快速をデータイムのみの運行に変更しています。

ダイヤ改正を実施したJR東日本千葉支社は、自治体から激しい反発を受けて朝の時間帯に快速2本を残すという、異例の“ダイヤ改正の見直し”を発表。それでも、千葉県千葉市といった自治体は納得していません。

静岡県に対してJR東海は真摯に向き合っていたのか

リニアが開業すれば、東海道新幹線は“ひかり”中心のダイヤになり、静岡県にもリニア開業のメリットはあるとの主張は、あくまでもJR東海が“ひかり”中心のダイヤ改正を実施することを前提とした話です。

リスクだけを抱える静岡県に対して、JR東海は真摯に向き合ってきたのでしょうか? これまで、JR東海静岡県民に真摯に向き合ってこなかった姿勢を考えると、「リニア開業後の東海道新幹線は“ひかり”中心のダイヤになり、静岡県に停車する新幹線が増えるのだから、静岡県にもリニア開業のメリッとがある」という主張を額面通りに受け止める静岡県民は多くないでしょう。

リニア問題では川勝知事の言動ばかりがクローズアップされてきましたが、JR東海の対応も同時に問われなければならないのです。

<取材・文・撮影/小川裕夫>

【小川裕夫】
フリーランスライター・カメラマン1977年静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。首相官邸で実施される首相会見にはフリーランスで唯一のカメラマンとしても参加し、官邸への出入りは10年超。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)などがある Twitter:@ogawahiro

2009年から静岡県知事を務めた川勝平太氏。突然の辞任で、リニア問題の行方が再びクローズアップされている(撮影:小川裕夫)