全国の浄土宗諸寺院が所蔵する国宝や重要文化財などにより、浄土宗850年の歴史をたどる特別展「法然と極楽浄土」が東京国立博物館で開幕した。

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文=川岸徹 撮影=JBpress autograph編集部

浄土宗はなぜ人々を惹きつけたか?

 キリスト教イスラム教とともに世界三大宗教に数えられる仏教は、インドで発祥した後、中国や朝鮮半島を経由して6世紀半ばに日本に伝わった。以降、仏教はその時代の世相や人々の心を映して多くの宗派に分かれ、文化庁が発行する『宗教年鑑』令和5年版によると、現在の宗派の数は156を数えている。

 そのうち代表的な8つの宗派である天台宗真言宗浄土宗浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、臨済宗、曹洞宗日蓮宗は「日本八宗」と総称。中でも最大の信者数を誇るのが“浄土系宗派”だ。浄土真宗本願寺派が約775万人、真宗大谷派が約728万人、浄土宗が約602万人。他の宗派を大きく引き離している。

 なぜ浄土系の宗派は多くの人々の支持を集めているのか。まずは浄土系宗派の興りと成り立ちについて簡単に解説したい。

 浄土系宗派の始まりは、平安時代の末期。比叡山で学んでいた法然は、繰り返される内乱や災害、疫病によって疲弊する人々を見て、誰もが救われる世を目指した。学びの中で中国唐代の僧・善導の教えに接し、当時としては極めて革新的な一つの思想に行き着く。「南無阿弥陀仏の念仏を称えることにより、誰もが等しく極楽浄土へ往生できる」。この思想に至った時こそ、浄土宗誕生の瞬間。1175(承安5)年、43歳だった法然は浄土宗の開祖となり、ひたすら念仏を称える“専修念仏”の教えを世に広めていく。

 出家や修行の必要がなく、念仏のみで極楽往生できる。ある意味、お手軽ともいえる教えに、多くの人が夢中に。貴族から庶民まで幅広い層に支持され、浄土宗は現代に連綿と受け継がれる一大宗派となった。その後、法然の弟子にあたる親鸞が浄土宗から派生して浄土真宗を開き、さらに浄土真宗戦国時代に分裂し、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派に分かれている。

“早来迎”はやはり名品!

 特別展「法然と極楽浄土」は、2024(令和6)年に浄土宗が開宗850年を迎えることを機に開催される展覧会。法然による浄土宗開宗から徳川将軍家の帰依によって大きく発展していく流れを、浄土宗ゆかりの文化財を通して探求していく。

 まずは展覧会の全体的な印象から。構成がシンプルで分かりやすく、解説が丁寧。法然の人物像、浄土宗の教え、弟子たちの活躍、浄土宗のさらなる発展を、教科書を読むようにきっちり学ぶことができる。とはいえ、教科書のように淡々としているわけではないのでご安心を。順路のところどころに国宝に指定された“大物”が現れ、気分が上がる。

 まずは国宝《法然上人絵伝》。浄土宗総本山、京都・知恩院に伝わる「浄土宗の聖典」というべき絵巻で、全48巻という圧倒的なボリュームを誇る。法然の出生から往生までの生涯を分かりやすく解説したもので、法然が京都東山の吉水草庵で念仏の教えを説く場面などが描かれている。

 同じく京都・知恩院蔵の国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》は、2019~21年度に修理が行われ、背景の山水表現などが鮮明になった状態で初公開される。来迎図とは、人が臨終を迎える際に阿弥陀様が多数の菩薩様とともに雲に乗って降りてくる様子を描いた“お迎えの図”。本作は来迎図の最高傑作といわれており、来迎の迅速感を表す画面左上から右下への一直線の構図と飛雲の表現が素晴らしい。

《綴織當麻曼陀羅》が見逃せない

「早来迎」がひとつの目玉といえるが、本展にはもうひとつ絶対に見逃せないお宝がある。浄土経典『観無量寿経』を織り出した縦横4メートルにおよぶ国宝《綴織當麻曼陀羅》だ。古代から浄土信仰の聖地であった奈良・當麻寺の秘仏本尊で、奈良県外で公開されるのは今回が初めて。制作されたのは中国・唐、もしくは奈良時代・8世紀。この時代に緑、朱、茶、黄などに染めた絹糸や金糸を使い、一寸(3.3センチ)幅に60本の経糸という精密な織で、微細な線描や色調を表現した例は他にない。

 国宝《綴織當麻曼陀羅》は制作年代が古く全体が黒ずんいるため、何が描かれているか判別が難しい箇所もある。本作の写しである《当麻曼陀羅図》を合わせて見るといいだろう。

 

東京会場限定の見どころも

 本展は東京国立博物館の会期を終えた後、京都国立博物館、九州国立博物館に巡回する。各会場独自の見どころが用意されているのでそちらも楽しみにしたい。

 東京会場では、東京の浄土宗本山「大本山 増上寺」に奉納された《五百羅漢図》が展示される。幕末の絵師・狩野一信が自らの信仰心を表し、画業の集大成とするために構想した全100幅の巻物。恐るべき技量を駆使しつつ96幅を描き上げたが、あとわずかというところで没してしまう。残り4幅は妻・妙安、弟子・一純らが補作して完成させた。釈迦の弟子として悟りを開き、人々を救済するために活動した羅漢の姿は、鬼気迫る表情が恐ろしくもあり、優しくもある。

《日課念仏》は、70歳頃の徳川家康が滅罪を願って毎日筆写した念仏だと伝えられている。縦6段、横41列に整然と並ぶ六字名号「南無阿弥陀仏」の文字。ただし約250の六字名号のうち、2つは「南無阿弥陀仏」ではなく「南無阿弥家康」と記されている。家康の単なる遊び心なのか、それとも家康自身が人々を救う仏になりたいと願ったのか。それは誰にもわからない。

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特別展「法然と極楽浄土」展示風景。(手前)《阿弥陀如来坐像》鎌倉時代・13世紀 京都・阿弥陀寺 (奥)国宝《綴織當麻曼陀羅》中国・唐または奈良時代・8世紀 奈良・當麻寺 展示期間:4月16日(火)〜5月6日(月)