「死後離婚」は、2012年から2022年にかけて約3割も増加しています。人生をともに歩んだ夫あるいは妻の死後、夫婦関係を解消したいと考えるようになる背景には、一体どのような事情があるのでしょうか。本記事では矢田部さん(仮名)の事例とともに「死後離婚」に踏み切ってもよいと判断できるケースについて、行政書士の露木幸彦氏が解説します。

10年前から約3割も増加している「死後離婚」

「死後離婚」が増えています。法務省の戸籍統計よると、2012年は2,793件、2022年は3,780件と、10年前に比べて、3割近くも死後離婚の件数が増加していることがわかります。

では、「生前」離婚と「死後」離婚の違いを知っていますか? 生前離婚とは名前のとおり、生きている夫婦が役所へ離婚届を提出し、受理されることです。たとえば、妻は離婚すれば、夫だけでなく夫の両親等とも縁が切れます。

では、もう一方の死後離婚です。たとえば、すでに夫が亡くなっていても妻は離婚できるのでしょうか? 答えは「ノー」です。それは離婚ではなく死別です。夫が亡くなっただけでは、妻は夫の両親等との縁が切れません。血がつながっていない親戚のことを姻族といいますが、ここでいう「死後離婚」とは妻が夫の姻族と完全に絶縁することです。

具体的には「姻族関係終了届」を役所に提出する必要がありますが、夫の親戚の承諾は不要です。こっそりと縁を切ることが可能になります。やるかどうかは妻の考えひとつです。

夫が亡くなったいま、親戚付き合い……正月や盆、長期の連休などに親戚が集まったり、年賀状暑中見舞い、お歳暮やお中元を用意したり、親戚一同の誕生日を把握しておき、誕生日や子どもの入学のタイミングでお祝いを渡したりする気があるのかどうかです。

では夫と死別し、悲しみに暮れているなか、わざわざ夫側の人間と「親族」であることをやめようとする妻はどのような人なのでしょうか?

筆者は行政書士、ファイナンシャルプランナーとして夫婦の悩み相談にのっていますが、「主人と離婚を考えています」と事務所へやってきたのは矢田部涼子さん(仮名/58歳)。もちろん、離婚とは「生前離婚」のことです。

なお、本人が特定されないように実例から大幅に変更しています。また不和の理由、借金の経緯、夫の死因、義親との関係などは各々のケースで異なるのであくまで参考程度に考えてください。

家族を振り回した挙句60代にして借金まみれになった夫

<家族構成と登場人物の属性(すべて仮名。年齢は現在)>

夫:矢田部慎吾(仮名/61歳)、自営業(年収600万円) 

預貯金 4,000円

退職金 0円

フリーローン 170万円

キャッシング 180万円

カードローン 260万円 

消費者金融 190万円

妻:矢田部涼子(仮名/58歳)、会社員(年収350万円) ※今回の相談者

預貯金 68万円

娘:矢田部里奈(仮名/31歳)、会社員(年収450万円)

預貯金 210万円

塗装工の夫と結婚して35年。涼子さんは一人娘を育て上げたのですが、「家のことはなにもしてくれませんでした」と振り返ります。ずっと夫に振り回され続けた人生だったようです。

夫に蹴られて腰椎圧迫骨折…それでも涼子さんが離婚に踏み切れないワケ

たとえば、「独身だ」と偽り、マッチングアプリで知り合った女性と手当たり次第に遊ぶのですが、食事やデート、プレゼント代が足りなくなるとギャンブルに手を染めるという繰り返し。

具体的には遊ぶ金欲しさにパチンコにはまり、負け続け、カードローンを量産。200万円の借金は涼子さんが実家に頼んで立て替えたものの、夫が懲りることはありませんでした。FX、仮想通貨ジャンク債と手当たり次第に始めるけれど、信用取引による借金が拡大。家に生活費をほとんど入れなくなったのです。

しかも、泥酔して帰宅した夫に涼子さんが「ないものはないんです!」と肩代わりを拒むと、夫は「偉そうにほざくなよ!」と大声をあげ、涼子さんを蹴飛ばしたのです。診断は腰椎圧迫骨折、全治1ヵ月でした。涼子さんが筆者に声をかけたのは怪我が癒えたタイミングでした。

このように夫はいままで傍若無人にふるまい、ついには家族に怪我を負わせるまでにいたったのですが、なぜ、涼子さんは離婚しなかったのでしょうか?

「うちの親が反対しているのもありますが……」といいますが、いままで立て替えた夫の借金は金額の合計は800万円。離婚したら無駄金と化しますが、もっと大きかったのは夫に対する恐怖心からです。夫と別れるのは離婚届に一筆をもらう必要がありますが、酒癖の悪い夫に頼んだ場合、どうなるでしょうか? 筆者は「逆上するのは目に見えており、命の保証はありませんよ」と注意しました。

図らずも転機となった「ある事件」

そんなふうに涼子さんが二の足を踏んでいるあいだに事件が発生。夫は泥酔状態で駅のホームから転落したのです。たまたま電車が通過せず、車両に轢かれずに済んだのは不幸中の幸いですが、それでもホームから線路へ転落したので頭部を強打。右足に麻痺が残り、リハビリを要する状態で病院から施設をはしごせざるを得ませんでした。

夫は味気(女性、酒、金)のない生活で急に弱っていき、げっそりと痩せこけ、顔色が悪くなっていき……半年後、心筋梗塞を発症し、あっという間に亡くなってしまったのです。涼子さんは「涙も出なかったですよ」といいますが、長年にわたり苦しめられてきた夫の喪主をつとめたのだから当然です。

夫の遺品を整理していたところ、発見したのは借金の返済予定表だけ。会社員ではなく1人親方の自営業なので退職金はなし。そして国民年金なので遺族年金の対象外。もちろん、口座には数千円しか入っていませんでした。筆者は家庭裁判所へ相続放棄の手続を勧めました。涼子さんは「死後」の借金を相続しないようにするので精一杯でした。

涼子さんは「正直、つらいんです。主人のお父さん、お母さんの顔を見なきゃいけないと思うと……」と打ち明けます。矢田部家の宗教は仏教。四十九日の法要を終えても、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と定期的に法事がありますが、そのたびに涼子さんが取り仕切らなければなりません。

涼子さんが夫の両親を嫌っている理由

なぜ、涼子さんは夫の両親を嫌っているのでしょうか? 涼子さんはまだ夫が健在のころ、両親に相談したことがあるそう。そこで父親からは「十分な小遣いを渡しているのか」と叱られ、母親からは「男はそうやって遊ぶものだから」と諭され、なにもしてくれなかったそう。

借金を返済するためのお金を工面するのは毎回、涼子さんでした。「あの親にあの息子という感じでした」と深いため息をつきます。「もし、主人のことを注意してくれれば、あんなに苦しまなくてもよかったのに。そう思うと同罪ですよ!」と興奮した様子でいいます。

涼子さんと夫の両親は姻族のままです。現状のままでは夫の両親が心身に支障をきたした場合、厚顔無恥な親は涼子さんに介護を頼んでくるかもしれません。そこで筆者が「死別のときに縁を切りたいのなら死後離婚という方法がありますよ」と助言。

涼子さんはこれ以上、亡き夫に義理立てする気にはならず、助言のとおり、姻族関係終了届を役所に提出したのです。涼子さんは「いまは娘と自分のことだけを考えればいいので、とても楽になりました」と笑みを浮かべます。

「死後離婚」に踏み切ってもよいと判断できる5つのケース

ここまでは涼子さんが夫および夫の家族と離れ、再出発するまでの経緯について見てきましたが、一度、縁を切るともとに戻ることはできないので、万人に勧められる制度ではありません。どのような場合は死後離婚に踏み切ってもよいのでしょうか? その条件をまとめたので参考にしてください。

1.夫の親戚にどう思われてもいいかどうか

姻族関係終了届を提出したことは後日、戸籍を確認するタイミング等で明らかになります。その場合、親戚中で「なにを考えているの? 信じられない!」と陰口を叩かれるでしょうし、もしかすると直接、文句をいわれるかもしれません。そのため、二度と会わないのだから総スカンを食らっても構わないという胆力が求められます。

2.夫が生きているとき、離婚を考えたことがあるかどうか

離婚したのに元妻が元夫の親戚と付き合いを続けているケースを私は聞いたことがありません。なぜなら、離婚を考えた時点で元夫の親戚とは縁を切るつもりだからです。これは離婚の方法が生前から死後になっても同じです。夫と離婚するつもりだったけれど、夫の生前に間に合わなかっただけ。夫と別れる方法が離婚ではなく死別になっただけ。それなら死後離婚を躊躇する理由はありません。

3.親戚のなかに縁を切りたいほど仲が悪い人がいるかどうか

夫と仲が悪いから、夫の親戚とも仲が悪いとは限りません。なぜなら、夫への憎しみを親戚にも転嫁するとは限らないからです。夫が亡くなっても、付き合いを続けたい親戚がいるのなら死後離婚をしないほうがよいでしょう。

4.すでに義両親の介護を始めているかどうか

すでに妻が義両親の介護を担っている最中に夫が亡くなった場合、仮に死後離婚をしたからといって、要介護者を置き去りにし、介護を投げ出し、逃げてくることは難しいです。

5.もし義両親の介護が始まっている場合、ほかに任せられる人や施設があるかどうか

代わりに義両親を介護する人、施設が必要なら、自分で見つけてこなければなりません。たとえば、人なら夫の兄弟姉妹などですが、誰か1人に押し付ける必要はなく、介護施設の併用も視野に入れてよいでしょう。ただし、死後離婚のことを隠したまま頼まなければなりません。

露木 幸彦 露木行政書士事務所 

(※写真はイメージです/PIXTA)