カラパイアの元の記事はこちらからご覧ください

 英ロンドンの歴史あるブロンプトン墓地の門を開けるのは、この町の歴史書を開くようなものだ。

 古くからあるこの墓地にはいくつものエピソードがある。

 女性参政権活動家のエメリン・パンクハーストが眠るだけでなく、ピーター・ラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターが、16万平米の敷地内を歩き回って墓石から作品に使う名前を拝借した場所でも有名だ。

 ここは老若男女、貴賤有名無名問わず、3万5000人を超える故人の墓標が存在する。その中に、実はタイムマシンなのではないかと噂されている開かずの霊廟があるという。

 青銅製の扉でかたく閉ざされた霊廟にはコートイ家の3人の女性が眠っているそうだが、その噂の真相に迫ってみよう。

【画像】 青銅製の扉で固く閉ざされたコートイ家の霊廟

 ブロンプトン墓地の中央あたりに、木に囲まれた立派な霊廟(マウソレウム)が建っている。

 ピラミッドのような三角錐の頂をもつ高さ6mの花崗岩の建造物だ。入口は鍵のかかる重たい青銅製の扉でかたく閉ざされている。

 正面には装飾が施され、ドアのへりはエジプト象形文字の帯で縁どられていて、異質な雰囲気が漂う。

・合わせて読みたい→証拠写真に写るのは未来の都市?CIAの極秘ミッションで2118年にタイムトラベルしたと主張する老人が現る

 ここには1850年代始めに建てられ、ハンナ・コートイという女性と彼女の3人の娘のうちメアリーエリザベスが眠っている。

1

青銅製の扉で固く閉ざされたコートイ家の霊廟 / image credit:Edwardx / WIKI commons

謎めいた霊廟につきまとう都市伝説

 この霊廟は、その堂々たる大きさと謎めいたエジプト象形文字の装飾だけでも十分に目立つ存在だ。

 今は鍵の所在がわからず、誰も中に入ることができないため、夜、肝試しに訪れる物好きや素人歴史家たちなどの間で、中でなにか妙なことが起こっていて、実は秘密のタイムマシンなのではないかという都市伝説じみた噂が広まった。

 リアル・チューズデイ・ウェルドのバンドメンバーで、独自にコートイの歴史を調べているスティーブン・コーツ氏はぶっとぶような発言をしている。「これはタイムマシンではなく、テレポーテーションの部屋なんだ」

The mysterious Hannah Courtoy Tomb, Brompton Cemetery, London

[もっと知りたい!→]2027年から来たタイムトラベラーが証拠として投稿した「誰もいない都市」の動画

墓に眠る女性、ハンナの歴史を紐解く

 ハンナ1784年に生まれ(諸説あり)、父親の虐待から逃れて、家政婦や居酒屋の店員などの仕事を点々としていた。

 1800年、裕福な70歳の老人ジョン・コートイの家で家政婦として働くことになり、その年のうちに最初の娘を出産、その後もふたり娘を産んだ。

 ハンナは娘たちの父親はコートイだと主張したが、家政婦の仕事を紹介したフランシス・グロッソ氏ではないかとも噂された。

 1810年に作られたコートイ氏の遺言書は、前妻メアリ・アン・ウーリーとその5人の子どもたちに財産のほとんどを遺すという内容だったが、1814年には、その受取人はハンナに書き換えられた。

 1818年、コートイ氏が亡くなり、前妻ウーリーとフランスにいるコートイの親戚たちが遺言の財産分与に異議を申し立てた。

 彼らはコートイは認知症で遺言を書いたときに正常な判断ができなかったと主張し、この争いは1827年まで続いたが、結局はハンナと3人の娘たちが財産のほとんどを相続した。

 ヴィクトリア時代の多くの人たちと同様、ハンナエジプトの図像、とくに象形文字にのめり込むようになった。

 エジプト学者のジョゼフ・ボノミ氏を頻繁に家に招き、エジプト伝承について何時間も議論を重ねる間柄になり、ハンナはボノミ氏のエジプト遠征の資金を援助したいとまで考えていた。

 1849年にハンナが亡くなったとき、その亡骸はボノミ氏が手配したブロンプトン墓地の立派なエジプト風霊廟に納められることになった。

 のちにハンナの独身の娘たちメアリーエリザベスもここに入ることになり、結婚していたスザンナは別の場所に埋葬された。

 ボノミ氏は1878年に亡くなり、ボノミ氏は1878年に亡くなったが、生前に自分の質素な墓石にコートイの墓と似たような図柄を描くことを指示していた。

10

死者の神アヌビスが描かれたボノミ氏の墓石 / image credit:Edward Hands / WIKI commons

なぜタイムマシンという噂がたったのか?

 それから100年ほどは何事もなく時が過ぎたが、1980年頃にハンナの親戚がこの霊廟を訪れた後、扉の鍵がなくなってしまった。

 それから事態は奇妙な方向へ動き始めた。

 1998年10月、ハロウィンの時期に読者の興味をそそるために、AP通信の記者がコートイ家の霊廟は実はタイムマシンなのではないかという記事を初めて大きく掲載した。

 記事は、この奇妙で堂々とした霊廟には無名の3人の女性が眠っていることを説明し、物語を膨らますために無名の作家ハワード・ウェブスターなる人物を引き合いに出した。

 ウェブスターは、先進兵器(先進的すぎて実際には存在しない)をイギリス軍に売り込もうとしていたサミュエル・アルフレッドワーナーというペテン師エジプト学者のボノミ氏との接点を明らかにしたという。

 ワーナーの発明の才がエジプトタイムトラベル理論の知識を持つボノミ氏を惹きつけ、ふたりは裕福なハンナから資金を提供させ、飛躍的なタイムマシンの開発に成功したとウェブスターは推測した。

 鍵がなくて誰も中に入ることができないため、今後もずっと邪魔が入る心配のなさそうなコートイの霊廟にタイムマシンを設置し、ワーナーは何度も時空を越える旅をしては、ロンドンに戻ってきていたというのだ。

 この霊廟タイムマシンの都市伝説は、長年の間に何度も定期的に浮上してきた。

 2003年には、ミュージシャンのドリュー・マルホランドがアルバムジャケットにこの不気味な墓の画像を使い、新たに関心が集まった。

 前述のミュージシャン、コーツ氏は、2011年にこの伝説に興味をそそられ、テレポート技術を持つワーナーはコートイの霊廟だけでなく、ロンドンのほかの古い墓地群「マグニフィセント・セブン」にもテレポーテーション室を開発したという自説をブログに展開した。

4

霊廟の扉の鍵穴 / image credit:Edwardx, Wikimedia Commons

 これが独り歩きし始め、この町の都市伝説のひとつになっていったのだ。

 2015年、インデペンデント紙がコーツ氏の説を特集し、コーツ氏は霊廟のそばでこの墓にまつわる伝説を語る会というイベントを主催し始めた。

 コーツ氏の説にいたく心酔したヴァネッサウルフ氏は、自らこのイベントの語り部として協力している。

 騒ぎの発端であるコーツ氏は語る。「墓の中になにがあるのかということについて、人々に自分で答えを出してもらうために、テレポーテーションという踏み台を提供した。これはすべて歴史の事実に基づいた代替理論だ」

都市伝説が墓地の保全活動につながる

 この都市伝説がパフォーマンスであろうがなかろうが、この騒ぎは墓地全体の改修資金を確保しようとしている墓地側への世間の関心を高める結果になったことは確かだ。

 保全活動は何年も続いていて、こうしたイベントがその一助になった。コーツ氏主催の語りイベントのチケット代は6~8ポンド(1100~1500円)で、収益の4分の1が墓地の再建費用として寄付されているのだという。

 もし鍵があったら、どれだけの人がここを訪れるかはまた別問題だ。

 現在、ハンナの遺族が霊廟に入ることができる代替品を作る話が進められているというが、果たしてどうなることだろう?

 最初は好奇心が刺激されても、平凡な内部に興味は薄れるのではないだろうか?

「扉が開いても、タイムマシンではないことが証明されるとは限らない」コーツ氏はあいまいな返事をした。「ますます謎は深まるばかりかもしれませんよ」

 ウルフ氏はある意味、鍵はないほうがいいと言う。「本当の鍵の魔法は訪れる人の心の中にあるのですから」

References:The Legend of London’s Time-Traveling Tomb / written by konohazuku / edited by / parumo

 
画像・動画、SNSが見られない場合はこちら

タイムマシンなのか?ロンドンの墓にある伝説の開かずの霊廟