32回目となる「JリーグYBCルヴァンカップ」が、今年も3月からスタートしている。今年から大会方式が大きく変更となった同大会には、J1~J3までの全60チームが参戦し、決勝戦まで足掛け約7か月間にわたって各地で激闘が繰り広げられる。言うまでもなく同大会のスポンサーはヤマザキビスケット株式会社(YBC)。2013年には「同一企業の協賛により最も長く開催されたプロサッカーの大会」としてギネス認定されており、現在も記録更新中だ。毎年秋の決勝戦では大会プログラムとともに同社製品の入った「お楽しみ袋」が来場客に配布されており、サッカーファンの風物詩にもなっている。

ヤマザキビスケット ルヴァンプライムL ルヴァン全粒粉クラッカーL
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1992年から続く歴史あるカップ戦だが、現在の名称に変わったのは2016年から。旧称の「ヤマザキナビスコカップ」と言ったほうがピンと来る人も、まだいるかもしれない。2016年2月、YBCモンデリーズ・インターナショナルとのライセンス契約終了に伴い、9月1日から商号をヤマザキナビスコからヤマザキビスケットへと変更すると発表した。同年の「ヤマザキナビスコカップ」は3月23日開幕で、当初YBCJリーグは大会終了までこの名称を用いるとしていた。

「9月以降、ライバルのPRをすることになるわけですか!?」 チェアマンの一言がつないだギネス記録

Jリーグが昨年公開した動画『Jリーグの井戸を掘った人達』によれば、Jリーグチェアマン(当時)の村井満がYBC代表取締役社長の飯島茂彰から社名変更についての想いを直接聞いたのは同年5月28日イタリア・ミラノでのUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦視察の際だったという。奇しくもYBCモンデリーズの契約が終了する8月31日は、同大会のノックアウトステージ(決勝トーナメント)の開始日だった。

翌年からの大会名称変更でやむなしとしていた飯島に対し村井は「9月1日以降、私たちは(御社の)ライバルのPRをやることになるわけですか?」と語り掛け、異例となる大会期間中の名称変更を提案。すでにナビスコのロゴ入りボールは1400個生産済み、スタジアムの看板なども準備が整っていたが、これらをすべて作り直すことを決定した。この時点で20年以上継続していた両者の信頼関係があるからこその決断だった。

「ナビスコ」契約終了…危機をチャンスに変えたヤマザキビスケットの“逆転のマーケ戦略“

帰国からわずか3週間後の6月21日、村井と飯島は新大会名称発表記者会見に臨み、YBCの主力製品「ルヴァン」のブランドカラーである青をベースとした新しい大会ロゴと、特別協賛の3年間延長を発表した。会見で飯島は、当初は当年度での協賛終了を検討していたことを明かしている。ところがヤマザキグループ内の会議で説明したところ、「それじゃあ『ヤマザキカップ』にしてウチがやる、と山崎(製パン)が言い出して、それも困ったものだなと」と流れが一転し、YBCによる協賛継続が決定したという。

以降「ルヴァンカップ」は、コロナ禍による決勝戦中止(2020年)やリモートマッチ(無観客試合)、「Jリーグ新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」下での有観客開催など経て、今日まで継続されている。その間YBCは馴染みのなかった「ルヴァン」を浸透させ、ブランド変更によって下落したクラッカーのシェアを徐々に回復させつつある。

加えて山崎製パンでは2019年、自家製酵母「ルヴァン種(だね)」を大量生産に導入する技術を確立し第49回食品産業技術功労賞 商品・技術部門を受賞。以後、「スペシャルパリジャン」「新食感宣言 ルヴァン」といったのヒット商品を生むなど、グループ内のシナジー効果も生み出している。

YBC公式サイトの「社会・環境活動」の項目には、いの一番に「スポンサー事業」として「ルヴァンカップ」が挙げられている。同社とJリーグの関係は、企業とスポーツ、そして地域コミュニティの継続的な発展を育む一つの理想像と言えるだろう。親会社に山崎製パンを持つ、同族経営の会社だからこそ可能な話だ、という向きもあるかもしれない。

だがふりかえれば、1993年Jリーグ開幕時には、食品業界からも多くの関連商品が発売された。カルビーは選手カードを添付した「Jリーグチップス」を、エスキモー(現・森永乳業)は各チームのシールを封入した「Jリーグ・バー」を、江崎グリコはチョコレート菓子「J.BALL」に加え、「ポッキー」「アーモンドチョコレート」のJリーグロゴ入りパッケージを、日清食品は各チームのマスコットをフタにあしらった「Jカップヌードル」を発売。永谷園が発売した「Jリーグカレー」「Jリーグふりかけ」はラモス瑠偉(当時ヴェルディ川崎)を起用したCMも大いに話題となった。

しかし、これらの商品の多くは、2000年代までに終売となっている。スポーツへの協賛を継続することがいかに忍耐を要するかは明らかだ。自社で大切に継続してきた、そして今後も継続していく取り組みは何か。企業の“持続可能性”は、こんな局面でも問われている。