麻疹は世界で猛威を振るっている感染症であり、今なお多くの犠牲者を出しています。

そのような麻疹ですが、江戸時代の日本においても猛威を振るっていました。

それは現代におけるコロナ禍のパンデミックとも共通する部分が数多く見られます。

果たして江戸時代の人々は麻疹に対してどのように向き合っていたのでしょうか?

歴史上のパンデミックと言うと、スペイン風邪黒死病が有名ですが、今回は日本の江戸のパンデミックについて見ていきましょう。

なおこの研究は文書館紀要55-70pに詳細が書かれています。

目次

命がけの通過儀礼だった麻疹

麻疹ウイルス、世界全体では年間20万人が感染している
麻疹ウイルス、世界全体では年間20万人が感染している / credit:wikipedia

麻疹(はしか)は、麻疹ウイルスによる感染症です。

麻疹ウイルスに感染すると、10日ほどの潜伏期間を経た後、38度ほどの熱が数日間続きます。

その後一旦熱が下がるものの、半日後に再び高熱が出て、その後全身に赤い発疹で広がるのです。

麻疹は通常であれば一週間ほどで回復しますが、重症化する場合もあり、その場合は肺炎や脳炎などといった深刻な症状を引き起こします。

さらに麻疹は現代でも発病してからの治療法はなく、病院で麻疹の患者に行われるのはもっぱら対処療法です。

そのようなこともあって麻疹はとても危ない病気であり、衛生状態がよく、高度な医療を受けることができる現代の日本であったとしても、感染した人のうち1000人に1人が命を落としています。

ただ現代では、麻疹は予防接種によって抗体をつけることができ、感染の危険性を大幅に下げることができます

しかしそのようなもののない江戸時代においては麻疹の感染を防ぐことは困難であり、麻疹の感染は生死を分かつ一生に一度の通過儀礼として捉えられていたのです。

もちろん衛生状態も医療も現代より劣悪な江戸時代においては、感染して命を落とす人の割合は現代よりも多かったことは語るまでもないでしょう。

それゆえ「疱瘡(天然痘)は見目定め、麻疹は命定め」と呼ばれており、まさに命がけの通過儀礼でした。

絵を描いて回復を祈っていた江戸時代

それでは江戸時代の人は、どうやって麻疹に向き合っていたのでしょうか?

江戸時代の人々は、はしか絵」と言われている浮世絵を手に入れることによって麻疹への不安に立ち向かっていました。

江戸時代、麻疹の流行時に江戸で数多く刊行された「はしか絵」と呼ばれる錦絵
江戸時代、麻疹の流行時に江戸で数多く刊行された「はしか絵」と呼ばれる錦絵 / Credit東京都立図書館

はしか絵には麻疹の治療にいいとされているものや逆に悪いとされているものありとあらゆる麻疹などに対する情報が書かれています。

例えば「麻疹を軽くする方法」というはしか絵には麻疹に効くおまじないとして「タラヨウの葉っぱを一枚とって、麻疹除けの短歌を書いて、川に流す」という方法が描かれています。

また「痘瘡・麻疹・水痘」 というはしか絵には、療養方法について、「麻疹を治すためにはよく栄養を取ればいい。そうすれば全快するだろう。ただし鶏肉や卵などは食べてはいけない」と書かれているのです。

さらにはしか童子退治図」というはしか絵には神様の指示のもと顔や身体に赤い発疹のある麻疹童子を馬屋のたらいや角樽、屋形船などが取り押さえようとし、薬袋がこれを止めようとしている姿が描かれています。

「はしか童子退治図」のはしか絵、中央の発疹の出ている大男がはしか童子である
はしか童子退治図」のはしか絵、中央の発疹の出ている大男がはしか童子である / credit:浮世絵検索

なお馬屋のたらいは江戸時代において麻疹除けになると言われており、麻疹の退治を願う人々の思いを反映させています。

しかし絵の中でたらいと一緒になって麻疹童子を取り押さえている酒樽は麻疹流行時に「酒を飲んではいけない」と言われて経済的な打撃を受けた居酒屋、屋形船は麻疹流行時に売り上げの大幅に落ちた屋形船屋を表しており、また薬袋は麻疹流行時に治療薬が飛ぶように売れた薬屋を表していると言われています。

そのことからこのはしか絵は単に麻疹の治癒を願うだけでなく、麻疹の感染拡大を巡る様々な立場の人々の思惑を風刺した風刺画でもあるでしょう。

なおこのようなはしか絵は、麻疹から回復した場合はこの絵が新しい感染源にならないように直ちに捨てられました。そのようなこともあって、はしか絵は他の浮世絵と異なって現在あまり残っていません。

営業自粛も便乗商法もあった江戸時代

江戸時代の麻疹パンデミック時もステイホームが呼びかけられていた
江戸時代の麻疹パンデミック時もステイホームが呼びかけられていた / credit:いらすとや

余談ですが、江戸幕府は麻疹の流行を抑えるために一部の施設を営業禁止にしたりしており、先述した居酒屋屋形船屋だけでなく、遊郭風呂屋などといった施設が営業禁止になりました。

また飲食店の多くも営業禁止になっており、麻疹流行時は江戸の社会を支えていた娯楽のほとんどがなくなったのです。

言うまでもなく江戸時代にはインターネットもゲーム機もないので、現代の新型コロナウイルスパンデミック緊急事態宣言の時以上に庶民の生活が大変なものであったのは語るまでもないでしょう。

また先述したはしか絵以外にも麻疹除けのものはあり、神社仏閣は麻疹に効くお札を、医師や薬屋は麻疹の治療薬を売り始めました

さらに麻疹によいとされている食べ物の噂も広がり、中にはそういった食べ物を投機対象にして一儲けをしようとする人さえいたのです。

2020年の新型コロナウイルスパンデミックの初期にはマスクの転売が行われたり、「○○という薬は効果がある」といった真偽のあやふやな情報がインターネット上に流れたりしていました。

江戸時代の麻疹流行時にも似たようなことが行われていたことを見ると、人間の本質は案外江戸時代とあまり変わっていないのかもしれません。

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参考文献

文化財論文 文久2(1862)年の麻疹流行に伴う麻疹絵の出版とその位置づけ – 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/112362

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

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