
25年以上前の1998年。作風が180度異なる2人のクリエイターがそれぞれ社長を務める開発スタジオを立ち上げた。
西に居を構えるレベルファイブ。2004年に発売された『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』の開発で一躍脚光を浴び、後にパブリッシャーとして『レイトン教授』や『イナズマイレブン』、『妖怪ウォッチ』といった大ヒット作を立て続けに発売してきた説明無用の会社だ。
一方、東に拠点を置くのがグラスホッパー・マニファクチュア(以下、グラスホッパー)だ。1999年にプレイステーション向けアドベンチャーゲーム『シルバー事件』でデビューした後、『killer7(キラー7)』、『NO MORE HEROES(ノーモア★ヒーローズ)』といった、先鋭的でカルト的人気を博す作品を発売し続けているスタジオである。

そんな2社の社長である日野晃博氏、須田剛一氏はクリエイター兼経営者として、自ら企画した独自の作品を設立から25年の長きにわたって世に送り出し続けている。また、両氏は2012年に発売されたニンテンドー3DS用オムニバスタイトル『GUILD01(ギルドゼロワン)』【※】においてタッグを組み、『解放少女』なるシューティングゲームを制作している。
※『GUILD01(ギルドゼロワン)』:
2012年5月、レベルファイブから発売されたニンテンドー3DS用ソフト。斬新なアイデアを有した4作品をパッケージした意欲作。作品全体のプロデュースをレベルファイブが担当し、収録されている作品のディレクションを各界の著名クリエイターが手掛けている。
かたや大衆向け、かたやカルト向けと、作品のタイプが決定的に異なる両氏と両社。意外なことに、スタジオの設立はどちらも同じ25年前であり、須田氏は日野氏のことをかねてよりクリエイターとしてリスペクトしているという。
両社がともに設立25周年を迎え、日野氏とぜひ対談を行いたいという須田氏たっての希望から、今回の企画が実現。さらには、両氏、両社を事業立ち上げのときより、メディアという立場で見てこられた『週刊ファミ通』元編集長、ファミ通グループ元代表であり、株式会社KADOKAWAシニアアドバイザーを務める浜村弘一氏を対談のモデレーターとしてお迎えし、当時のエピソードと25周年を迎えてからのこれからについて語っていただいた。
そこで飛び出してきたのは、ゲームファンの印象とは180度異なる両者の素顔。日野氏は黒くて尖ったものをやりたくて仕方がなくて、須田氏はスタッフの人生と生活を背負っている覚悟と責任を持った”超真面目”な社長だった……!?
レベルファイブ公式サイトグラスホッパー・マニファクチュア公式サイトお互いの印象は「あんなに尖った作品を世に送り出す人ってすごいな」(日野氏)、「子どものころに作りたかったものをストレートに作り続ける凄味!」(須田氏)
──まず最初に、レベルファイブさんとグラスホッパーさん、設立25周年おめでとうございます。おふたりは同い年、さらにはお互い25年前に会社を立ち上げた経営者であり、クリエイターでもあるという、驚くほど共通事項が多いです。技術の進化とともにビデオゲームが発展していった時代を切磋琢磨しながら歩まれてきたわけですが、そもそもお互いにどのような印象を抱いていたのですか?
日野晃博氏(以下、日野氏):
僕自身、須田さんにすごく興味があって『ギルドゼロワン』のときに、いっしょにお仕事をさせていただいたんです。「あんなに尖った作品を世に送り出す人ってスゲーな」と毎回思っています。自分ではやれないようなことをしているクリエイターですから、陰ながら「ああ、またこんな尖ったことをやっているんだ……」と活躍を見させていただいています(笑)。
須田剛一氏(以下、須田氏):
日野さんは、子どものころに作りたかったものをすごくストレートに、まさにおもちゃ箱から飛び出てきたかのような作品をバンバン作っている印象です。しかもゲームだけではなく、劇場版も含めたテレビアニメの脚本も書かれているじゃないですか。日野さんの凄味を感じます。
本当に、自分の作品をすごく細かいところまでカバーされている方だと思います。僕もゲーム制作においてディレクション、脚本の両方を手がけていますが、日野さんはさらにその向こう側にいる。星のような方、という印象がずっとあります。
あと、業界ではあまり知られていないんですけど「KAZEOKE」という、WOWOWプライムで10年ほど前に放送された番組【※】の企画コンテストで圧勝した偉業をお持ちなんですよね。僕はそれをずっとリアルタイムで見ていたんですよ。
※「KAZEOKE」:
正式番組名は「大人番組リーグPresents KAZEOKE」。WOWOWプライムにて2013年7月14日(日)から、毎月第2日曜夜11時に放送された「間(あいだ)ストーリーをドラマチックに描け!」を合言葉に、最前線で活躍するクリエイターたちが競い合うバラエティー番組。参加クリエイターたちはテーマに沿って30枚以内の静止画で絵コンテのように表現し、観客の投票によって最もドラマチックな作品が選ばれる。日野氏は第1回にクリエイターのひとりとして参加した。
日野氏:
マジですか!? あれを知っている人がいるというのに驚きました……。
須田氏:
観ていました。決勝戦でも日野さんが圧勝していましたよね。
日野氏:
あれには僕自身も驚きました(笑)。最初、1回目の予選大会で優勝したんですが、その後、別のクリエイターの方々が参加された回もやっていて。さらにそのあとにその優勝者たちが集まって戦う大会もあったんです。
須田氏:
グランドチャンピオンを決める回ですね。で、そこで並みいる出場者たちの中で日野さんが圧勝で優勝したんですよ。それがもう、ゲーム業界に関わる人間としては嬉しくて嬉しくて。「日野さんすっげー!」となりました。
日野氏:
「KAZEOKE」は、一週間ぐらい時間をもらって脚本をリアルタイムで作る、というすごく本格的な企画だったんです。作り上げた脚本をもとに映像がついて、その中でどれが面白いかを収録現場にいるお客さんたちに判定してもらう、というものでした。
須田氏:
ガチの審査なんですよ。ほかの方の映像がまったく追いつけないぐらい、日野さんの脚本から作られた映像は面白かったんです。それを見て、「すごい人だな」と尊敬の念を抱きました。
浜村弘一氏(以下、浜村氏):
日野さんのことはよく知っているつもりでしたけど、それは全然知らなかったですね……。
──日野さんがそのような番組に出演されていたことに一番ビックリしました(笑)。
日野氏:
まだ代表作が『妖怪ウォッチ』ではなく、『レイトン教授』と『イナズマイレブン』だったのですが、そのころの企画とかシナリオを評価してもらえたんでしょうかね。「なんで僕が呼ばれたんだろう?」と今でも思っていますよ(笑)。
あのときは「テーマをもらってなにかひとつシナリオを書く」という普段通りのシナリオ制作をしていただけなんです。「こんな書き方でいい?」、「ちょっと長いから、この場面は切らせてもらってもいいですか?」と、当時の担当やディレクターの人とやり取りしながら映像を作っていったんです。
僕以外では、映画監督に芸人さん、脚本家さんなどがいらっしゃいました。
浜村氏:
へぇ〜。ちなみに、須田さんは日野さんが手掛けたグリコのおまけのことはご存知ですか?
須田氏:
いや、それは知らないですね……。
日野氏:
2022年にグリコ100周年を記念した「クリエイターズグリコ」【※】という商品が発売されたんですが、その内のひとつをレベルファイブが企画、デザインしたんです。ゲーム業界からは、僕のほかには『ドラゴンクエスト』の堀井雄二さんが参加していました。
※クリエイターズグリコ:
栄養菓子「グリコ」発売100周年を記念した特別商品。2022年11月22日より数量限定で発売された。公式プレスリリースはこちら。

須田氏:
ええ!? それは子どもの夢じゃないですか! いやー、知らなかったです。それって今、プレミア付いているんでしょうね……。メルカリで買おうかな。
「スターになれそうなスタジオやクリエイターがいるなら、応援しなきゃいけない」という使命感
──浜村さんはメディアの立場でレベルファイブさん、グラスホッパーさんを立ち上げ時からご覧になっていたと思いますが、おふたりと両社をどのように見られていたのでしょうか。
浜村氏:
プレイステーション2用ソフト、『ダーククラウド』でレベルファイブさんのことは聞いていたんですが、最初に驚いたのは東京ゲームショウで『トゥルーファンタジー ライブオンライン』【※】の映像を見たときです。
※『トゥルーファンタジー ライブオンライン』:
マイクロソフトより初代Xbox向けに発売が予定されていたMMORPG。レベルファイブが開発を担当。2004年6月3日に開発中止が発表された。
日野氏:
あのとき、浜村さんから「福岡まで『トゥルーファンタジー ライブオンライン』を見に行ってもいいですか?」と連絡をいただいて。こちらとしても「わざわざ福岡まで見に来られるんですか!? どうぞ来てください!」という感じでしたね。
浜村氏:
『トゥルーファンタジー ライブオンライン』が僕は見たくて見たくて、開発途中のものを福岡まで見に行きました。あの当時でありながら、アニメがそのまま動いているかのような映像で、その世界の中を動き回れるのが本当に衝撃的でしたね。
それまで、ゲームが完成したことをメーカーさんから教えていただき、出向いた先でプレゼンしていただくことは頻繁にあったんです。ただ、自分のほうから進んでメーカーさんに出向くのは滅多になかったですね。それくらい『トゥルーファンタジー ライブオンライン』には驚いて。
当時、自由に世界を動き回れるオンラインゲームはすでにありましたけど、『トゥルーファンタジー ライブオンライン』はクオリティが段違いでした。
──『トゥルーファンタジー ライブオンライン』は発売には至りませんでしたが、小冊子の特典をファミ通本誌に付けたりもしていましたね。
浜村氏:
よく覚えてるなぁ(笑)。発売しなかったファミ通の小冊子って、『トゥルーファンタジー ライブオンライン』だけじゃないかな。
日野氏:
……いろいろありまして(苦笑)。
浜村氏:
「あんなにスゴイのに、なんで発売しないんだろう?」と、すごく不思議に思いましたよ。
日野氏:
僕らとしては最後まで作りたかったんですよ。……ただ……ここでは言えません(笑)。
──浜村さんは『トゥルーファンタジー ライブオンライン』の前からレベルファイブさんに注目されていましたよね。
浜村氏:
そうですね。作品自体は見ていましたし、何より『ダーククラウド』が世界でメチャクチャ売れていました。当時は大手のパブリッシャーが作って出す作品が海外でミリオンセラーを記録することが多かったんですけど、日本の開発スタジオが作ったゲームが海外で売れていると聞いて「何が起きているんだろう?」と見ていました。あのときは「レベルファイブ……?」という感じだった気がします。
──ファミ通編集部は東京、レベルファイブさんは福岡と距離がありますけど、日野さんと浜村さんが初めてお会いしたのはどのタイミングだったのでしょうか。
日野氏:
実際にちゃんと意識してお話しして仲が深くなっていったのは、『トゥルーファンタジー ライブオンライン』のときです。昔からファミ通を購読していましたので、浜村さんのことはもちろん知っていました。浜村さんももしかすると『ダーククラウド』のころから、まだ世間ではそこまで注目されていないけど、目を付けてくださっていたかもしれません。
──その後、レベルファイブさんはあれよあれよと……(笑)。
日野氏:
おかげさまであの頃に比べたら大きくなりました(笑)。
じつは、自社独自の新作ゲームを発売するときなど、さまざまなターニングポイントで僕は浜村さんにお世話になっていたんです。『イナズマイレブン』を作るときも、浜村さんから「今の時代にサッカーゲームの新作を作るのは大変だけど、それでもやるんですか?」と言われて、「はい、やります!」と返したり。そういうやり取りを何度も交わさせていただいて、浜村さんとファミ通さんには、本当に応援していただいたと思っています。

浜村氏:
ファミコンからスーパーファミコン、プレイステーションとゲーム開発の規模が大きくなっていくに従って予算も膨れ上がり、パブリッシャーの数も減っていったじゃないですか。
当時は開発スタジオからパブリッシャーへと大きくなる可能性があっても、規模の大きさに耐えられずどんどん潰れていってしまうところが多かったんです。そんな事態になってしまったらゲーム業界全体にとってよくないと思っていましたし、「スターになれそうなスタジオやクリエイターがいるなら、応援しなきゃいけない」という使命感みたいなものがあったんです。
──そのころから浜村さんは、「クリエイターをリスペクトしろ」、「スターをちゃんとスターとして扱おう」ということを部員たちに伝えていましたよね(聞き手の豊田は元ファミ通編集部員)。
浜村氏:
極論を言うと、メディアとしてゲームメーカーの広報さんと喧嘩してもいいんです。でも、クリエイターさんへのリスペクトを失ってしまうことだけは、絶対にやっちゃダメなことなんです。
文字通り、魂を削って作品を作られている方々ですから、伝える側として大切にしなきゃいけない。「それを伝えていくため、応援するためにファミ通がある」と、当時はずっと言っていたんです。
日野氏:
その精神の賜物もあって、ファミ通さんはぐんぐんシェアを拡大して行ったんですよね。
──グラスホッパーさんに対してはいかがでしょう。当時はファミ通がアスキー所属で、グラスホッパーさんが開発を手がけた『シルバー事件』は発売元がアスキーです。すごく近い位置にいらっしゃったと思うのですが……。
浜村氏:
『シルバー事件』はアスキーの中にある開発部が関わっていましたが、僕は雑誌の部署に所属していたので、接触はほとんどなかったんです。「アスキーはものすごく尖ったものを作るな」と、別の部署で見ながら思っていたぐらいでしたね。

須田氏:
僕が浜村さんとお会いしたのは、アスキーさんが入っている初台にあったビルで行われたミーティングのときだったと思います。そこにたまたま浜村さんがいらっしゃって、「あ!浜村さんだ! 本物だ!」と思ってご挨拶させていただきました。その後、ゲームが発売されたあとにちゃんとお話する機会があり、そこで僕とグラスホッパーのことを覚えてもらいました。
浜村氏:
本当に尖った作品を作られていましたからね。
日野氏:
須田さんはいわゆる”尖った系”の走りでしたよね。今でこそ、大衆受けとはかけ離れたゲームはインディータイトルでいっぱい出ていますけど、当時から「こんなゲームを世に出すんだ!?」と驚くようなゲームをたくさん作られていて。
須田氏:
当時からいろいろな言われ方をされていましたね。一番多かったのは「須田ゲー」でしょうか。
日野氏:
あんなに尖ったゲームって、普通の感性では作れないですから。
浜村氏:
須田さんというクリエイターの作家性がものすごく出ているんですよね。
須田氏:
そのようなゲームの特徴を広める際にも、ファミ通さんにはすごくバックアップしていただいたことを覚えています。世間ではまったく注目されていないのに、4ページも割いて特集を組んでもらって。そのおかげで読者の皆さんに認知してもらえました。
浜村氏:
スターとなるクリエイターやスタジオが生まれないと雑誌は成り立ちませんから。スターって、そんなにたくさんいないんです。その中でお二方は系統と言いますか、方向性はずいぶん違いますけれど強い個性を持っていたんです。
たとえばスタジオがいっぱい集まった学校のクラスがあるとしたら、日野さんはその真ん中で生徒会長をやっている。で、須田さんは後ろのほうの席に座っていて、なにか悪いことをしているイメージ(笑)。
一同:
(爆笑)。
浜村氏:
「遅刻してきて好きなことやっているなぁ、この子……」みたいなタイプ。将来がすごく期待できる優秀な生徒と、この生徒ははぐれてしまうかも、という感じで注目していて(笑)。ですから「なにがあってこの2人は仲良くなったんだろう?」と思いながら見ていました。
須田氏:
ありがとうございます。日野さんとは、きっと共通の趣味をきっかけにクラスでも仲良くなったんです。
日野氏:
浜村さんはそう見てくれていらっしゃると思うんですが、僕は決して生徒会長になれるタイプではないんです。どっちかというと、先生を陥れるために影で策略するほうかもしれません(笑)。
一同:
(爆笑)。
日野氏:
決して心底マジメな人間じゃないんです。一番前の席にはいるけど、じつはまったく違う方向のヤバい考え事をしているヤツというか……(笑)。
お互い、会社を立ち上げたきっかけは「自分の作品を作りたい」という思いから
──今でこそ、クリエイターの方々が独立されてスタジオを作ることが当たり前になりましたが、おふたりは25年前にスタジオを設立されて、いわば時代の先を行っていたわけです。ある種、「異端児」のように見られていたと思うのですが、どのような考えから経営者として会社を建てようと決めたのですか?
日野氏:
たぶん、須田さんも同じ方向じゃないかなと思うんですけど、「自分の作品」が作りたかったんです。「上から言われたものを作る」のではなくて、自分の作品、特に「自分の好きなRPG」を作りたいと思っていたんです。
そのような人間ってたぶんレベルファイブにもいるでしょうし、いつかは会社を離れて自分の作品を世に広めたいと考えていると思うんです。僕が当時在籍していたリバーヒルソフトに対して不満はなかったのですが、そのころから自分の作品を作りたいと思っていました。
会社を立ち上げるというのは、本当にいろいろと大変なことが多いのですが、当時のリバーヒルソフトの状況が芳しくなかったこともあり、自分の考えに賛同してくれた人たちを連れ、意を決してアクションを起こしました。それぐらい、自分の作品を作りたい思いが強かったんです。須田さんの場合はどうだったんですか?
須田氏:
僕も近いです。ただ、当時は自分が在籍していたヒューマンが近いうちに潰れそうな気配がプンプンしていたので……(笑)。
日野氏:
いまだから言えますけど、僕がまだリバーヒルソフトに在籍していたときに、「ヒューマンが危ないらしい」という話を耳にしていましたから。
須田氏:
それで、社長が脱税で逮捕される事件が起きたんです。事件が起きてから、ヒューマンがあった吉祥寺のビルの前にテレビ局の報道陣がたくさんやって来て、出勤してくる社員にインタビューするんですよ。それを見て、「あ、これはいよいよ会社がヤバいぞ……」というのがきっかけとして一番大きかったですね。
あと、ヒューマンにいたころってオリジナルの企画が作れなかったんです。『ファイヤープロレスリング』、『トワイライトシンドローム』シリーズといったタイトルを作ってきましたが、「会社がこの状況じゃ、新作を作るなんて難しいだろう。だったら出るしかないな」となったんです。
当時、ヒューマン時代の同僚がアスキーにプロデューサーとして入社していたんですね。その方を頼りにアスキーに移ろうと思っていたら、「今なら、アスキーで会社が作れるよ」という話があって、独立の道を考えたんです。
日野氏:
僕と同じパターンですね。僕も最初はSCE(※ソニー・コンピュータエンタテインメント、現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の社員になろうと思っていたんです。
須田氏:
そうだったんですか!? いっしょですね。
僕の場合、「会社が作れるよ」と言われたんですけど、当時アスキーの専務だった廣瀬禎彦さんが新しい開発スタジオへの支援を積極的に進めていてくださって。その流れで、会社を作ることを決心しました。日野さんはなぜSCEに……?
日野氏:
当時、SCEが若手のクリエイターたちにチャンスを与える「ゲームやろうぜ!」という企画をやっていたんですね。それで「僕もそういうクリエイターたちのグループに入れてください!」と出向いたんです。
ところが、僕らが行ったときはもう「ゲームやろうぜ!」が終わりかけのころで。当時SCEの副社長をやられていた佐藤明さんから「そちらが会社を作ったら話を聞きますよ」と言われてしまったんです。
ただ、佐藤さんにそう言われて「ああ、これは覚悟を試されているんだな……」と思いました。「開発の受け皿を作る覚悟がないならやる価値はない」ということですよね。だから、会社を作る気はなかったのですが、それを機に作ることを決心しました。佐藤さんにあの時ああいってもらえたことは、今でも本当に感謝しています。
須田氏:
社長をやるの、怖くなかったですか? 僕はすごく怖かったです。
日野氏:
当時の僕は、たぶん何も考えていなかったと思います……(笑)。
というのも、僕はけっこう勢いで行っちゃうタイプなんです。リバーヒルソフトに行く前の、一番最初に入った会社はプログラマーとして入社したのに、プロデューサーの勉強ばかりさせられたのが不満で4ヵ月で辞めちゃいましたし、そのぐらいの気持ちで行くしかない感じでした。
浜村氏:
ワガママ放題で行っちゃうぐらい、強い思いがないと会社なんて作れませんし、クリエイターというのはそういう覚悟を持った人でなければダメなんですよね。
「1発目が当たった」、「評価された」、「才能があった」としても、強い思いがなければあとが続かずにそれだけで終わってしまいます。
日野氏:
本当にそうです。あとは、僕は運だけは人一倍いいほうだと思っていますし、運の良さにも感謝しています。
──ちなみに設立当時のレベルファイブさんの社員数はどのくらいだったのでしょうか?
日野氏:
登記上は9人で、そのあとすぐに2人来て11人になりました。そこから30人、50人、100人と増えていって。『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(販売元:スクウェア・エニックス)が終わるころにはかなりの人数になっていましたね。『ドラクエVIII』のときは、作るために投資を拡大しなければいけないこともありましたので……。
──グラスホッパーさんはどうだったのですか?
須田氏:
設立当時は3人です。最初の『シルバー事件』は、最終的に合流する人数が9人だったので「9人で作れるゲームの企画」として考えていました。時間とともに人が集まって、最終的には9人になりました。
「子どもたちがどんなものを好きなのか」を考えたクリエイティブを作らなければいけない
──おふたりはクリエイターとしてはもちろん、会社の代表として経営という面でも25年間、力を発揮されてきたと思います。ご自身で設立当時から変わらずやり続けたことや信念などはありますか?
須田氏:
僕の場合は「給料の遅配をしない」ことです(笑)。というのも、ヒューマン時代に遅配があって「会社がヤバいんじゃないの?」と社内がザワついたことがあったんです。そうすると、先々の不安もあってスタッフの気持ちが離れていってしまった、という経験があって。
それだけはとにかくやらないように、毎月の給料を払うことを徹底しました。「スタッフの生活、人生を自分が背負っている」というのを忘れないようにしています。
日野氏:
須田さんの場合は作られるゲームが尖っていて冒険的ですけども、にもかかわらず「スタッフの生活、人生を自分が背負っている」というのがはじめに出てくるなんて、覚悟がすごいですね。
須田氏:
ビデオゲームって、売れるかどうかがわからない、博打のような業界ですから。でも、彼らはそれぞれの人生をかけて、僕が作るゲームに付き合ってくれている。
だからこそ、スタッフの人生を自分は背負っていると、心に刻み込んでいます。若い新卒のスタッフが入ってきた時は、特に感じますね。可愛い息子さん、娘さんをうちの会社で預かるということですから。

浜村氏:
須田さんの作風とイメージが違いすぎませんか!? (笑)。
一同:
(爆笑)。
須田氏:
というのも、すごく影響を受けた出来事があって。新卒の子の初出社の日、朝一番に会社の玄関前にオフィスの前をウロウロする男性がいて、社内が「なんか怪しい人が来ていないか……?」とザワついて。
管理部のスタッフが意を決して見に行ってくれたら、その人はなんと新卒の子のお父さんで、「娘をよろしくお願いします!」と菓子折りを持ってきてくれたんです。
お父さんが子供を心配する気持ちは、海よりも深いことがすごくよくわかりました。
日野氏:
ゲームの作風だけを見たら、お父さんからすれば荒くれ者しかいないような会社に行ったんじゃないのか、という心配はありますよね。
須田氏:
親の反対を押し切って、入社してくれたのでしょうね。そのとき、本当に「ああ、やっぱり自分は大事なお子さんを預かっているんだな」と痛感したんです。
浜村氏:
いやいやいや、ギャップがすご過ぎますよ……! ゲームでは「殺し屋」を扱っているくらい、死が当たり前の作風なのに(笑)。
一同:
(爆笑)。
日野氏:
僕の場合は「一生懸命作る」という気持ちは会社を作る前からすごくあります。誰よりも働いて……って、こんな発言をするとブラック企業みたいな話になってしまいますが(笑)。あくまでも僕の話ということで聞いてください。
うちの信念としては、一番はユーザーさんをすごく見ていますね。自分たちにチャンスを与えてくれた人たち、自分たちが作るゲームを楽しみに待ってくれている人たちに対しては、真摯に向き合っていくということをポリシーとして持ち続けています。
僕がスタッフに怒るときも、大概はそれが理由なんです。お客さんを無視している、誰も求めていないであろうアイデアを「面白いでしょ、これ?」みたいに言われると、イラっとしてしまって。
「子どもたちのために作っている」としたら、「子どもたちがどんなものを好きなのか」を考えたクリエイティブをやらなくちゃいけない。だからこそ、お客さんを見ながらものを作っていくのは、会社全体のポリシーとして持っています。
浜村氏:
日野さんは動画、それこそ実況配信の動画でもユーザーさんの反応やコメントをすごく見ていますよね。「こんなことを言っていた」と全部チェックされていて、ユーザーさんに対して真摯に応えられていると思います。
日野氏:
ただ、ネガティブなものを含めて、ユーザーさんの声をそのまま直接スタッフに伝えるわけではないです。その意見を少し変換して、「これは変えたほうがいいんじゃないの?」という風に伝えています。
浜村氏:
ユーザーの声を日野さんがトップで見ていて、その声を現場にポーンと持っていくのがすごくユーザーフレンドリーなんですよ。
日野氏:
「アンバサダープログラム」【※】を始めたのも、そうしてユーザーさんの声を現場に地続き的に持っていきたいからなんですよ。「アンバサダー」であるユーザーの方々と付き合いながら物を作っているんです。アンバサダーが集まる会合も開いて、そこでゲームに対する意見をもらったり。彼らは僕らが作るゲームが大好きで、いわばいちばん最初のお客様になるはずなんです。
以前、ロボットのゲームを作っているときにも機体のバランス変更に関する不満、指摘がありました。その通りだったので、僕が「こういうところをちゃんとしないといけませんね」という話をする中で、アンバサダーの彼らは「僕らはこのゲームにもの凄い時間を掛けているんです!遊んでいればこうはならないと思うので、しっかり調整をおねがいします!」というようなことを言っていたんです。
それを受けて、スタッフに「自分たちが作ったものを遊んで、その面白さを知らずしてバランス調整のデータをいじるなんてあり得ないから、俺らも最低100時間は遊ぼうぜ」と伝えました。この出来事が、「ユーザー目線の、バランスが取れたゲーム作りの方針」を決める大きなきっかけになりました。
ただ、その方針を決めたことをアンバサダーに話したら「僕、1000時間遊んでいるんですけど」と言われてしまって(笑)。
※アンバサダープログラム:レベルファイブ作品全体のファンで、情報拡散にご協力してくれるユーザーを公式アンバサダーとして認定し、魅力を発信する取り組み。2024年現在、応募受付は終了している。
https://www.level5.co.jp/ambassador/about.html
一同:
(爆笑)。
須田氏:
太刀打ちできないですね(笑)。
日野氏:
できませんよ!(笑)。でも、そんな風に自分たちのゲームを何百時間も遊んでくださっている方たちが相手なわけです。ゲームの面白さを左右する重要なパラメータを、軽々しく一気に10も下げられたりすれば怒りたくなりますよね。
全然ゲームを遊んだことのない人が調整をしていたら、何百時間も遊んでくれているユーザーは「俺にパラメータをいじらせろ!」となってしまうと思うんです。
僕自身、以前調整でやらかしたこともありまして、本当に反省しきりでした。今はすごく真摯にお客さんの意見を受け止めるようにしています。
ただ、こういったユーザー目線の作り方を始めたのって最近なんですよ。というのも、僕は「いい気になっている」時期があったんです。特に『妖怪ウォッチ』がヒットしているときはもう、病気でしたね。病んでいるというわけでは決してなくて、「自分が作ればだいたいは大丈夫なんじゃないか?」という思考に陥っていたんです。
そのあと、いっぱい失敗して「自分が間違っている」と思い知らされたんです。それを踏まえて、ちゃんと向き合って作らないと、どこかでお客さんに感じ取られて、酷ければ見放されてしまう。なので、今は自分のやりたいこと、お客さんが求めていることのバランスを取りながら、両方を満たせるようにすることを徹底しています。
須田氏:
今は本当に、1本1本のタイトルが重要な時代ですもんね……。
日野氏:
そうですね。だから僕としては、『妖怪ウォッチ』のあとの失敗を経て、心を入れ替えたつもり……いや、まだ入れ替え切れていないかもしれない。ですが、痛みを経験したことで、ユーザー重視の姿勢はこれまでにも増して強まっていると思っています。

日野氏はいつか「黒い」作品を作りたい、須田氏は「全年齢向け」を作りたい!?
──グラスホッパーさんのゲームは刺さる人に深く刺さる作品が特徴ですよね。対して、レベルファイブさんの作品は、幅広く愛される作品であるというのが特徴だと思うのですが、それぞれの独自性をお二方はどのように思われているのでしょうか? 特徴というテーマで、お互いにお聞きしたいことはありますか?
日野氏:
すごくあります。須田さんは『シルバー事件』、『killer7』、『NO MORE HEROES』と、毎回違ったテーマの新作を作られていますが、ああいった各作品のテーマというのは最初の企画段階で決めているんですか?
「こういうシーンを出したい」というようなシチュエーションを先に決めてから詳細な物語作りをするのか、あるいは作っていく内に筆が走って……みたいになるのか、どちらなのでしょう。
須田氏:
最初は企画書でキャラクターが生まれるか、設定で決めて走り出すか、そのどちらかという気がしますね。
日野氏:
最初から、意図的に「プレイヤーをビックリさせてやろう、ガクッとさせてやろう」という要素は入れているんですか?
須田氏:
最初に考えていることとしては、「ゲーム業界にはまだいないタイプのキャラクター、遊びを提供したい」という思いが強いですね。どこも作っていないものを作りたいんです。
それはキャラクターなのか、世界観なのか、それともシステムとの組み合わせなのかということをグルグルと考え続けて、最終的に企画になるという感じです。

日野氏:
そうなんですね。僕も一回、須田さんみたいな尖った作品をやってみたいんです。「ニッチな人たち向けにこういう作品を作りたい」というのはいっぱいあるんですけど、なかなか状況が許してくれない部分はあって(笑)。
シリーズモノをしっかり作らなくてはいけなかったり、新規IPも作らなくてはいけないとか、付き合っている人たちとともに次の作品を作るという状況が自然と用意されていく状態になりがちなので、なかなか自分のやりたいことだけというのはできないんです。
「自分のやりたいことは、こういう方向なんだ」と思い込んでしまっているからこそ、自然と尖ったものを作りたい気持ちになってくるんですね。極端に言ってしまえば……エロゲーとか、暴力的な18禁タイトルとか作りたいぐらいなんです(笑)。
一同:
(爆笑)。
──それは……いろいろと大丈夫なんですか!?(笑)
須田氏:
でも日野さんって企画のストックを相当持っているんじゃないですか?
日野氏:
そうですね。僕の中に「異常な世界」があるんですけど、そっちには行かないように正義の部分だけで作っているんですよ。ただ、本音としては「異常な世界」に行きたいんです(笑)。
須田氏:
でも多分、そんなことをしようとしたらレベルファイブが全社をあげて止めますよね……?(笑)。
──ご自身の中に「白い日野さん」と「黒い日野さん」がいらっしゃるということですか……?
日野氏:
そうです。本当は黒いところ、まさに「異常な世界」に行きたい。いや、きっとどこかでその世界に行くことになると思うんです。「レベルファイブはもう大丈夫だな」となって、自分の好きなものを作れるようになったら……やっちゃおうと(笑)。
須田氏:
それは……それは見たい! メチャクチャ見たいですね!! それこそすごく革新的な18禁ゲーを日野さんなら作っちゃうと思います。
浜村氏:
でもそれこそ、『メガトン級ムサシ』のアニメでもそれに近いことをやっていませんでしたか?
日野氏:
ああ……(笑)。『メガトン級ムサシ』の展開は、僕の中のレベルとしては「ちょっとだけやった」ぐらいなんですよ。須田さんのほうがもっとヤバいというか、そういった危ないものを知っているかもしれません。
須田氏:
その点でいうと、僕は逆に子ども向けのゲームを作りたいですけどね。全年齢対象のゲームを一度は作ってみたいんです。
日野氏:
子ども向けのゲームを作っても平気でキャラクターの首を飛ばしたり……(笑)。
須田氏:
いやいやいや! それをやっちゃったらアウトですから! 全年齢じゃなくてCERO D(17歳以上対象)になっちゃいますから! ……でも人間じゃなければ大丈夫かな……?(笑)。
日野氏:
それについては僕、ひとつ思い出すことがあって。『妖怪ウォッチ』でぬいぐるみの首を飛ばしてお叱りが殺到したことがあったんです。しゃべるぬいぐるみが出てきて、最後に罠にかかって首がポーンと飛んでしまうという。そのシーンに対して、「子どもが泣き出した!」とお叱りをいただいたんですよ。
ちょっとブラックな表現だけどもぬいぐるみですから、そのときは子どもがそこまで傷つくと思っていなかったんです。けど、そういうクレームをいただいたことで「勉強が足りなかったな」と思いました。
僕らも昔、子どものころに見たアニメで、主人公が最終回で死んでしまったりすると心が抉られたじゃないですか。あれと同じで、トラウマになってしまうんです。
須田氏:
漫画版の『デビルマン』とかもトラウマはすごいですよね。ただ一方で、そういう劇薬の要素も大事というか、ちょっとは必要であるような気はします。
日野氏:
昔、富野(富野 由悠季)さんが監督されたロボットアニメ『無敵超人ザンボット3』【※】で、最終回に向けた展開が僕の中でトラウマになっているんです。
あのようなショッキングな作品作りって、富野さんが見ている人の心に何か残していくことが好きだからやっているものであると思っていて、だから憧れるんです。『メガトン級ムサシ』でも富野さんに近いことを少しだけやりました。ただ、それでも須田さんの思い切りの良さを思いますと……(笑)。
須田氏:
ザンボット! やはり日野さんとは同じハイウェイを通過していますね(笑)。
※無敵超人ザンボット3
1977年に放送されたロボットアニメ。主人公の神勝平が従兄弟の神江宇宙太、神北恵子とともに合体ロボット「ザンボット3」で敵に立ち向かっていく姿を描く。最後の戦いでメインキャラクターに衝撃的な展開が訪れ、ちびっこたちはもちろん、大人の視聴者にも大きなインパクトを残した。
──須田さんから日野さんに伺ってみたいことはありますか?
須田氏:
そうですね……。また『ギルド』を一緒にやりたいですね。
日野氏:
またいっしょに『ギルド』をやりますか? でも、これじゃなくてもいいと思うんです。お話が合いそうなので、普通にゲーム作りを一緒にやってみたいです。
須田氏:
ぜひぜひ!『ギルド』は今でいうインディーゲームの走りみたいなものでしたし、試みとしては先進的でしたね。
思ったんですが、最近は若手になかなかチャンスが巡ってこないですよね。僕らが20代のころは「ゲームを完成させる機会」がいまよりもたくさんあったんです。
日野氏:
コンパクトな形で若手スタッフの感性を試してみるとか、ゲームを完成させる経験を積ませるということですか?
須田氏:
そうです。これをインディーではなく、インハウスでやると面白いんじゃないかなと思うんです。うちの若手のスタッフや、日野さん直系の若手のディレクターさんとかで『ギルド』に収録される新しいゲームを作らせてみると面白いと思うんです。
うちの親会社であるNetEaseを巻き込んでやれるのかわからないんですけど、いっしょにできるときっと面白いだろうなと考えています。

日野氏:
それはたしかに面白いでしょうね!
須田氏:
ちなみに日野さんのところって、若手のディレクターは育ってますか?
日野氏:
もちろん、優秀なディレクターはいますが、この数十年のあいだに育ててこれたのかというと、そこまで多くはないと思います。これだけ人が行ったり来たりしていると、クリエイターを育てられたとしても、退社してどこかへ行っちゃうかもしれないんですよね。会社が発展するためなのか、単純にその子を育ててやりたいという親心でやるのか、そこは僕はあまりわからないんですよ。
なので、僕は「クリエイターを育てる」ようなことはしていないんです。もちろん、会社がいいものを作っていくために技術を教えたりはします。でも、意図的に「この子を育てよう」というようなことは難しいのでやっていません。
逆に意欲のある子がいろいろ教えてもらいながら自主的に学んで育っていって、その結果、スターになるほど育ったら会社として特別対応してでもキープしたい!ということにはなるかもしれないです。作品性とは別に、じつは須田さんよりも僕のほうがドライな考え方なんですよ(笑)。
浜村氏:
新しいIPを創って、ヒットさせて、さらにその続編を作っていくという人はなかなか出てこない。おふたりとも、いくつもの新しいIP、要は「自分の作品」を当てていますよね。結果的に自分で作れてしまうから、どんどん自分で作っているんだと思うんです。
ほかの会社はゲームを作って、売れて大きくなって、ディレクターからプロデューサーになってと、作ること以外のことを任せてしまうことが多い。新しいIPを作る機会がなかったり、それほどのエネルギー量を持っている人が少なくなってしまいがちだと思うんです。
日野氏:
新しいIPというか、「自分の作品」を作ることに対するエネルギーという観点だと、やっぱり自分のほうがそれを持っているなと思ってしまいます。須田さんもそう思いませんか?
須田氏:
思いますね。だから僕も、若いクリエイターを育てることはできないと思います。一方で「僕らが育てなくても、勝手に育っていくクリエイター」は、なんとなくいる感じがします。
浜村氏:
ですよね。そういう意欲のある人がスタジオを持って、大きくしてIPを作っていくのがいいと思います。これは人を育てるのとは別の問題ですよね。
そういう人は外側から見ている人間からすると、「みんなを喜ばせるものを永遠に作っていてほしい」とファンとしては思いますし、どんどんゲームを作ってほしいですね。
須田氏:
それは本当にそう思います。僕も死ぬまでものを作り続けたいと思っています。
クリエイターとしての引退は一切考えていないし、考えない。死ぬまで作り続けたい。
須田氏:
ちなみに日野さんは引退って考えられているんですか?
日野氏:
ぜんぜん考えていないです。
須田氏:
いっしょですね。僕はコロナ禍以降、クリエイターさんとお会いする機会が少なくなっているんですけど、年齢的なことからたまに引退の話を耳にしたり、「須田さんは引退についてどう思います?」みたいに言われることがあります。
でも、僕の中では引退ってないんですね。死ぬときは会社を出入り禁止にされて「須田さんはもう来なくて大丈夫です」と言われているんだけど、オフィスビルの1階にあるスタバで新しい企画書を書いている最中に逝きたい、と思っているんですよね。
──(笑)。
須田氏:
「あなたが会社に来ると面倒くさいことになるから!」と追い出されても、会社に毎日足を運んでしまう……みたいな(笑)。
ただ、作り手としてはスタバで死にたいです。「おかわりどうですか?」と店員さんが片づけに来て声を掛けたら、「あれ、おじいさん……? おじいさん!?」と(笑)。
浜村氏:
それは店側からしたらえらい迷惑ですし、そのスタバ、誰も来なくなっちゃいますよ(笑)。ただ、おふたりとも「死ぬまでモノ作りを続ける」という姿勢でいらっしゃるのは、ファンのひとりとして嬉しく感じます。
日野氏:
そういえば須田さんは今、企画だけを提供して他の会社さんがゲームを作る、というパターンで作品を作られていますよね?
須田氏:
SWERYさんの『Hotel Barcelona(ホテルバルセロナ)』【※】ですね。あの企画はSWERYさんがうちのイベントにゲストで来てくれたときに、ふたりで即興で企画を作りましょうという話になってアイデアを出し合って出来上がったんです。それをSWERYさんが自分のスタジオのWhite Owlsさんで開発して、僕は企画提供としての参加になっています。
※Hotel Barcelona(ホテルバルセロナ):「全米中のシリアルキラーが集まったホテル」を舞台にした、2024年発売予定のホラーゲーム。プレイヤーは宿泊客として、体中の血液を全て失う前にチェックアウトを目指す。
日野氏:
『ホテルバルセロナ』を見て思ったんですが、今後須田さんは自社でゲームを作るということに限らず、企画の提供もビジネスにされないんですか?
須田氏:
まったくないです。『ホテルバルセロナ』はたまたまですね。
日野氏:
なるほど。あのように企画を提供して、「あとはお好きにどうぞ」的なこともやるんだ、と見ていて思ったんです。というのも、須田さんは作品の全てにおいてこだわりたい方ですよね?
須田氏:
『ホテルバルセロナ』の場合は、SWERYさんだからです。彼との信頼関係があったからこそと言いますか。ゲームのアイデアも半分はSWERYさんですし、彼が作るのであれば「どうぞ、どうぞ」という感じですね。
日野氏:
そういう形の企画だったんですね。
須田氏:
ただ、僕は企画自体を若手に作らせることもあります。原案を僕が考えて「あとはどのようにアレンジしても構わないよ」というケースですね。
レベルファイブさんではどうなんでしょう? これから日野さん以外のスタッフさんから出た企画を作る可能性はあるんですか?
日野氏:
もちろんありますよ。なんとなくですが、レベルファイブの作品だと「日野の企画から出たものかな?」となっちゃうところもあると思うんです。
僕自身、自分の企画だけをやりたいわけではないんですけど、今までは周りからパッとしたものが出てくることが少なかったんです。ただ、今は実際に、僕以外から出ている企画でいくつかやろうとしているものがあります。
須田氏:
なるほど。その点でいうと、やっぱりレベルファイブさんのスタッフって「レベルファイブイズム」を継承していますよ
日野氏:
そうですね。でも僕自身は「お前に企画を託すから、なんでもいいからやってみろ」というように任せることができないんです。逆に「この企画だけはやらせてください」、「日野さんはそっちの企画を作っているんですから、俺にはこっちの企画をやらせてください」と自分を倒す勢いでグイグイ来て、「ちくしょう、面白い企画を考えやがって……!」と僕が思うことがあったら任せるかもしれません(笑)。
「お情けで企画をやらせてやる」みたいな綺麗ごとはしたくないんです。というか僕の性格上、できないんです。ですから、ガンガン食ってかかってきて「なんでこの企画をやらせてくれないんですか!?」ぐらいの勢いでくる熱意のある子がいたら、そのときは本当に許します。それを許さないのは罪だと思いますから。
須田氏:
それはまさに、若いころの日野さん自身の投影にも見えますね。
日野氏:
若いころの自分みたいな熱意と勢いのある子が来たときは、その子にやらせるのがバトンを渡すってことなのかなと思いますね。
須田氏:
それは理想ですね。
日野氏:
それを夢見ているんですが……できれば、本当にそのようなやり方で世代交代させてほしいです。
浜村氏:
そういった子がスタッフの中から出てくると面白いですよね。ただ、あまり見たことがないケースでもあります。
日野氏:
でも、きっと出てくると思います。なぜなら僕も若かりしころがそんな感じで、「なんで僕にやらせてもらえないんですか!」ぐらいのことをしていたので。
社長に「これからは絶対3Dの時代になるから、勉強させてくれ!」と言ったら、自分が社内で唯一の3Dの担当になりました。だからこそ、自分のような子が来たら、僕は認めてしまうと思うんです。
須田氏:
なるほど……。しかし、やっぱりリバーヒルソフト時代の日野さんって、暴れん坊だったんですね。
一同:
(笑)。
──25年を振り返ったときに、考え方の変化だったり、25年経った今だからこそ見えてきた「境地」のようなものってあるのでしょうか。
須田氏:
うーん……。なんか、ずっと走り続けている気がしませんか?
日野氏:
そうですね。そこまで客観的には見れていないかもしれないです。けど、楽しかった……いや、過去形にするのはどうかと思いますが、今も含めて楽しいです。
ユーザーさんからいろいろ意見をいただいたり、本当に大変ではあるんですけど、それでも仕事をしていて楽しい。25年という時間が経った感じがしないんです。ずっと楽しんで仕事をしながら過ごせているのは本当にありがたいですし、あとで振り返ってみると大した苦労ではなかったなと思えるんですよね。

須田氏:
上積みというか、苦労の度合いが少なくなってくる感じですよね。
経営者目線で日野さんを見たときにすごいと感じるのは、自社株オンリーでやっていらっしゃること。うちはグループ会社に入っていますので、独立でずっとやられているというのがすごいと思うんです。その裏にはとんでもない努力があるんだろうなと。
僕も血を吐くような思いを何度もしたことがあるんですが、日野さんはもっとあると思っていて。
日野氏:
結構血を吐く思いはしていますね(笑)。会社がすごい金額の借金を抱えて、僕がその保証人になって返済していくことがありました。でもぶっちゃけますと、なんともなかったです。「そんなに借金しても、どうせすぐには返せないんだし」と。
須田氏:
ゲーム業界ってギャンブルなところがありますよね。「1発当てれば返せる」という自信がどこかにあるんです。
日野氏:
そうです、1発当てれば返せるのは間違いないですからね。そういう境地を乗り越えた経験が今に繋がるんじゃないですか。厳しいことがあっても「あのときは大変だったから、今の状況なんてたいしたことない」と思える。
須田氏:
たしかに「たいしたことじゃないな」と感じられますね。
浜村氏:
日野さんはデベロッパーからパブリッシャーになられましたよね。それって本当に稀有なケースなんです。プレイステーション以降で開発スタジオからパブリッシャーになって大きく成功している会社って、レベルファイブ以外にはいないんですよ。
カプコン、コーエーテクモゲームス、スクウェア・エニックス。国内ゲームメーカーを見渡すと、ほとんどが大手のメーカーで、しかも合併した会社がズラッと並んでいる。その中でレベルファイブだけが単独でパブリッシャーとして出てきて花を咲かせているんですよね。これは非常に稀な例ですから「応援しなきゃいけない」とずっと思っているんです。
須田氏:
うちも日野さんのようにパブリッシャーになりたいと思った時期があるんですけど、やっぱり難しいんですよね……。
浜村氏:
そういうふうに思う人が出てきてくれること自体が、レベルファイブの価値としてすごく大きなところだと思います。
今、インディーをやっている方にとっても、独立開発スタジオからスタートして、これほどすごく大きくなったレベルファイブはひとつの目標になるんです。
日野氏:
ありがとうございます。パブリッシャーになりたい思いがあるのでしたら、僕らは全力で協力しますよ。僕も『レイトン教授』と『イナズマイレブン』を発売する際にパブリッシュを始めたのですが、そのときにわからないことがいっぱいあったんですね。最初は「そもそも自社流通って、何から手を付けたらいいの?」という感じでした。

須田氏:
え、日野さんのところは自社流通なんですか!?
日野氏:
そうですね。といっても、当時は流通の概念すらわかっていませんでしたから。「どうやったらいいんでしょうか?」と、コーエーテクモの襟川夫妻を始め、いろいろな人たちにお話を聞いたんですよ。
でも、やってみると案外、自社流通ってたいしたことではないんですよ。もちろん、開発会社からパブリッシャーになる際には、やったことがないことを半分くらいやらなくてはならないので大変そうに感じるんですけども。ただ構造としてはとてもシンプルで、ひとつひとつは簡単に理解できることなんです。
あと、パブリッシャーになるときに大事なのは、「確実にヒットする作品を作れるか?」ということなんです。開発会社であろうとパブリッシャーであろうと「一定のヒットが出せる」という感覚ではなく、「作品のヒットに自信がある」という感覚があるのであれば、宣伝とか流通といった部分はうまくやれると思います。
──流通の話題からの流れでお聞きしたいのですが、ゲームを売るということを考えたときに、現在はデジタルでの購入割合が増加傾向にあります。また、パッケージについてはAmazonをはじめ、ECサイトが大きなシェアを持つ時代になりました。浜村さんが編集長を務めていた時代は実店舗の売上規模が大きかったこともあり、週刊ファミ通は小売店、流通に対して非常に大きな影響力を有していました。日野さんも須田さんもファミ通がとくに影響力を持っていた時代をご覧になっていたわけですが、ファミ通、ひいてはゲームメディアに対して、どのような見方をされていたのでしょうか?
日野氏:
僕らは会社を立ち上げて間もない駆け出しで一番大事な時期のころでしたから、新しい情報を発表するときはファミ通さんと「何ページ掲載してもらえますか?」という話をしていた記憶があります。
浜村氏:
僕は日野さんのところへ、当時作られていた『レイトン教授』などの新作を見に行ったりしました。会議室に招かれて「これを置いておきますのでぜひ遊んでください」とゲームを渡され、周りにスタッフさんが7人ほどいる中で2時間くらい、好きに遊ばせてもらって。
すごく印象的だったので覚えていますが、「これは面白い、絶対売れる!」と。『イナズマイレブン』を最初に見せてもらったときもそうでしたね。「じゃあ、これだけのページを取りましょう」という流れだったと記憶しています。
──ファミ通に大きく載ると反響は違いましたか?
日野氏:
そうですね。特集として扱われることで、そのタイトルがゲーム業界に認められている感じがありました。特集のページ数が増えると、「お、これはいいね」「8ページか……我々も来るところまで来たね」と手応えを感じたりと、指標のようになっていましたね。
──須田さんも昔「ファミ通に載せてもらったのが大きかった」と話されていましたよね。
須田氏:
ファミ通への事前プレゼンで浜村さんに出席いただいた衝撃が大きかったんです。「あの浜村さんがプレゼンを聞いてくれている!」と。その後も相談やお願いをさせていただいたりして、そういったことが積み重なって今があるんです。
──ゲームメーカーとしてもファミ通に載せるという情報公開タイミングを設けることで、いろいろと整っていった部分もあったのでしょうか。たとえば、情報公開に合わせて「じゃあ、この要素を公開しよう」「画面写真はこのシーンを用意しよう」「載せるからにはクオリティを上げよう」とタイトルをより魅力的に伝えるべく素材を用意しますよね?
日野氏:
そうですね。みんなそうだと思うんですけど、メディアに掲載してもらったり東京ゲームショウなどに出展するときには、作っているゲームが人の目に触れるわけですからモチベーションが上がるんです。だから、スタッフのためにもそれを狙ってやらないといけないんです。
「発売までの2年先」に向かって走るよりも、「このタイミングでタイトルの情報を出す」とスタッフに告げると、ちょっとクオリティが上がるんです。
須田氏:
確かにプレイアブル出展をするたびにクオリティは上がりますよね。
日野氏:
そうなんです。やっぱりユーザーさんが作品を認識して「みんなが知っている作品を作っている」という意識を持つようになると、スタッフの開発に対するモチベーションも上がるんです。ユーザーさんの意見をいただけることもそうですが、スタッフに対しての効果も非常に大きいんですよね。
須田氏:
あとチームがダレないため、どこかで気を引き締めるという意味で、そういう情報解禁の場があってほしいですね。
日野氏:
僕らにとってはその当時、浜村さんの言葉もひとつのモチベーションになっていました。浜村さんは大概「面白い!」と言ってくれるんですけどね(笑)。
ただ、同時に「こういった懸念があるよ」ということも言ってくださることが多かったんです。ご指摘いただいた懸念も含めてちゃんと考えなきゃいけないなと感じました。
──「浜村さんへの信頼」が「メディアへの信頼」にもつながっていったのでしょうか。
日野氏:
僕個人として浜村さんは個人的に付き合っていましたし、人間的に信頼していたのでむしろ「メディア」とは思っていないんですよね。当時は「ファミ通=浜村さん」でしたけど、ある時期からそれぞれが別の存在になってしまって、以降は浜村さんは個人的な相談相手みたいな感じでした。
浜村氏:
「この人たちは伸ばさなきゃいけない」、「産業として支えなくちゃ」と思って応援していたところがありました。ただ、すべての会社に対してそうしていたわけではないんですよ。
大手メーカーでは「これは部下に任せておけばいいや」という部分が見えることもあったんですけど、日野さんや須田さんに対しては「この人たちの作品は自分たちが応援して、絶対に大きくして成功させてあげたい」という思いがあったんです。もちろん、作品のクオリティが低かったらそんなことは思えないですけどね。
そういった思いがあってお付き合いしてきましたから、ともに業界を盛り上げて、成長させていった「戦友」という気持ちをずっと持っています。
「オンラインで世界中の人たちが遊べる尖った作品」を作りたい。あとは血がものすごく吹き出るゲーム
日野氏:
須田さんに聞きたいことなんですが……今はいろいろなクリエイターが独立して会社を立ち上げ、作品を作っているじゃないですか。それを踏まえて、今後大きなタイトルを作るパブリッシャーになるとか、あるいはマニアック路線をひたすら突き進むのか、須田さんは最終的にはどういった方向を目指していらっしゃるんですか?
須田氏:
うーん……いろいろ考えてはいるんですけど、まだ定まっていないというのが正直なところです。追わなきゃいけない部分もありますけど、僕はまだちょっと盲目的になりたいと思っていまして、業界のトレンドを追うつもりはないんです。もっと、まだ世の中に存在しないゲームを作っていくことを常日頃から模索しています。
日野氏:
よかった。僕としては、本当にそっちをやり続けてほしいんです。会社からの要求で「こういうのを作るべきだ!」とならないかを心配していて……。
須田氏:
うちの本社は、そういったことは言わないので安心してください(笑)。
たとえば僕らのスタジオはスタンドアローンのタイトルを作るのが得意ですが、オンラインで世界中の人たちが遊べる尖ったものを考えたいと思っています。オンライン技術に関しては本社にメチャクチャすごい人たちがいるので、その力を借りられるというアドバンテージもありますから。
あとは血がものすごく吹き出るゲーム。文字通りの殺戮系も出したいとか、漠然とそんなことを考えています。「リミッターを外した殺戮系をちゃんと作ろう」というと、言葉としては変ですけども「そのぐらいのことをやらないと面白くないかな」と思いながら、いま企画を温めています。

日野氏:
中途半端にするよりは、振り切ったほうがいいですよね。
須田氏:
そうなんですよ。中途半端はもうやめようと思っています。
浜村氏:
え!? 須田さんはずっと振り切っていましたよね?
須田氏:
それが……自分の中では「あまり振り切れていない」と思うときがあるんですよ。
浜村氏:
そんなことないですよ!? 振り切っていますよね。
──浜村さん、秒で否定されましたね(笑)。
一同:
(爆笑)。
浜村氏:
その新作はいつごろに出したいと考えているんですか?
須田氏:
今、僕らが作っている新作が終わった後になりますから、2028年後半ぐらいです。
日野氏:
うちの『レイトン教授』の新作(『レイトン教授と蒸気の新世界』)も、2025年の発売ですからね。
須田氏:
いいものを作ろうとすると、発売時期って延びちゃいますからね……(笑)。
「世界に追いつくこと」「日本でも大ヒットする作品を作ること」浜村氏からの両氏への宿題
浜村氏:
言い方を気にせずにうかがうと、須田さんは万人に受ける作品を作ったことがないじゃないですか。尖っているゲームですから初見で「無理」と思う人もいる。だからこそ、須田さんタイトルは、キャラクター的に放っておけないというか、なんとかしてあげたくなる気持ちがあるんですよ。
日野氏:
万人に受ける可能性もあるかもしれませんが、万人にウケない分「ハマる人にはものすごくハマる」というパターンもあるんだろうなと思いますね。
日野氏:
でも、そういうのも世間でポチっとスイッチが入った瞬間、一気にメジャーになったりしますからね。
須田氏:
カウンターカルチャーがいつかメインストリームに出てくるような、ゲームチェンジのイメージをずっと持っていますし、常にそう思いながら作っています。
浜村氏:
もともと熱狂的なファンが多いですよね。特に欧州にはそういった方々がたくさんいらっしゃる。
須田氏:
そうですね。世界中にファンの皆さんが居てくれるのがありがたいですし、励みになっています。
──須田さんのX(旧Twitter)アカウントの反響を見ていると、英語でのコメントがすごく多いですよね。
日野氏:
うらやましいです!
須田氏:
でも、日本語でツイートしてもあまり見てくれません。普段は英語でつぶやいているんですけど、たまに日本語でつぶやいてもスルーされてる事が多くて(笑)。
じつはこれは浜村さんからいただいた宿題でもあるんです。グラスホッパーが10周年を迎えたときに浜村さんが記念パーティーに来てくださって、壇上でコメントをいただいたときに「いつか日本で成功してください」、「大ヒット作を作ってください」と言っていただいたことがあったんです。まだ全然実現できていないんですけど、生きている内にはなんとか……(笑)。
浜村氏:
須田さんのゲームって海外での評価がものすごく高いのに、日本の評価とのギャップが大きくて、もったいないと思っているんです。その点で言えば、レベルファイブさんもワールドワイドに展開していってほしいですよね。
日野氏:
それについては、今後の5タイトルは世界同時に出すことにしています。でも、それがけっこう大変なんですよね。大きなメーカーさんはすでにそういうことができる仕組みが出来上がっているんでしょうけど、僕らはやっと同じようなアクションができるレベルになれたばかりなんです。
『レイトン教授』も今までは余裕がなくて、日本語版発売から約1年半後に海外版を出していました。日本語版を作るのでいっぱいいっぱいでしたし、そもそも世界で売れるかどうかもわからないのでそのような意識も持っていなかったんです。
そうした状況の中、ある日任天堂さんに「世界で出さないと」と言われて「ではいつまでに作りましょうか」と、世界同時発売が現実的になってきたんです。
浜村氏:
おふたりとも真逆なんですが、世界とのギャップがあるんですよね。須田さんは世界が先で日本が遅れているのに対して、日野さんは日本が先で、世界が追いついていない。
日野氏:
そこはこれから克服していきたいですね。
──そろそろお時間になりますので、最後になりますが……これまで応援し続けてくれたファンの方々に25周年を迎えてのメッセージをいただければと思います。
日野氏:
25周年という区切りで、僕らもいろいろな発表会などを実施してきました。そんな中で会社としても個人としても「初心に帰ろう」と思っています。
うちのスタッフにも言っているんですが、25周年は「新しいスタートライン」。もう一度、真面目にゲーム作りに取り組んで、お客さんに恥ずかしくないものを作るという姿勢に立ち返っていきます。
今は期間内に利益を上げるものを作るという商業的な動きをすることが多くなってきました。だからこそ、「自分たちとお客様の両方が満足できるものを出す」という覚悟でやっています。25周年以降のレベルファイブ作品は、かなりいいものばかりになるんではと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願いします。
須田氏:
日野さんが仰ったことと近いんですが……、しっかり作品と向き合って開発していくというのが、これまでもこれからもグラスホッパーの姿勢だと思っています。
僕は今、作り手として現場がとにかく楽しいんです。30周年、35周年を迎えるときにも現場のみんなとしっかり時間を共有して、いいものを1本1本作っていくという姿勢を続けていきたいですね。
それから、若手にも作品を作らせていきたいですし、新しいスタイルのゲームも同時にやりたいと思っています。まだ発表は先ですが、ぜひ期待してください。
──両社でコラボレーションする展開にも期待したいです。
須田氏:
本当ですね。また日野さんとご一緒できれば!
日野氏:
こちらも楽しみにしています!(了)
本当は黒いところにいきたい、という思いを募らせている日野氏。そして、スタッフの人生と生活を背負っているという強い責任感のもとで社長を務めている須田氏。
まさに「ギャップが激しすぎる!」としか言いようがなく、実際に対談の最中で浜村氏がツッコミを入れてしまうほど、両氏の驚きの素顔が明らかにされる対談となった。須田氏の手がけた『シルバー事件』を始めとする尖った作品を知っていて、遊んだことのあるプレイヤーやファンも、今回飛び出した責任感の強い社長としての姿が語られたエピソードには思わず二度聞きしてしまうような心持ちになったのではないだろうか。
また、日野氏も「黒い方向に行きたい」という思いを募らせており、それがアニメ版『メガトン級ムサシ』における件のストーリー展開の一端に現れていたというのも興味深いエピソードだ。実際にアニメ版『メガトン級ムサシ』は深夜帯の放送ということもあり、それまでのレベルファイブ作品とはテイストが異なる一面もあった。日野氏の内側に込められた「異常な世界」が、この先さらに尖った形で作品として表現されるかもしれないと考えると、ワクワクしてしまう。
そして、スタジオの設立と現在の立場になってから25年を迎えた今でも、両氏はこれからもクリエイターとして現役であり続けるという強い意志があることも語られた。一方で、それぞれ形は異なれど、会社に所属する若手のクリエイターに活躍の場を与えることも考えられているとのことで、双方から今後どのような新しい動きが出てくるのかにも注目したいところだ。
設立25年を迎えた両社では、次なる新作も動き出している。レベルファイブからはNintendo Switch/PlayStation®5/PlayStation®4/Steam用ソフト『メガトン級ムサシW(ワイアード)』が4月25日(木)に発売、Nintendo Switch用ソフト『ファンタジーライフi グルグルの竜と時をぬすむ少女』が10月10日に発売予定となっており、2025年には対談中にも話題にあがった『レイトン教授と蒸気の新世界』が発売を予定している。グラスホッパーに関してはまだ作品の全容は不明ながら、新たなタイトルの開発を進めていることが発表されている。
両社のタイトル動向はもちろんだが、日野氏と須田氏は再びタッグを組みたいとの展望を語っていたことから、『ギルドゼロワン』のような意欲的かつ、先進的なタイトルが登場してくることにも期待が膨らむところだ。
レベルファイブ公式サイトグラスホッパー・マニファクチュア公式サイト
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