’22年末時点での全暴力団勢力約2万2400人中、50代以上が54.9%。福岡県では指定暴力団の組長や組幹部が、’22年までの5年間で47%離脱。高齢化が進む中、元ヤクザ中高年の境遇を追う。

◆長すぎたヤクザ人生の先に待っていた悲喜交々の結末

覚醒剤の売人からお小遣い2万円の生活保護生活【田端 均さん(仮名)・44歳】

 博多出身の田端均さん(仮名)の場合、「食えないから」と6年前に暴力団をやめてから、より一層困窮。現在は生活保護を受けている身だ。

 高校中退後、「とにかくカネを稼ぎたい」と上京。同郷の先輩に誘われ、20歳のとき、関東の広域組織の一員となった。

「自分のシノギは最後までずっと覚醒剤の密売。いいときで月に70万〜80万円儲かったが、捕まるリスクも高い。そのストレスもあり、自分でも覚醒剤にハマってしまった」

 クスリ絡みで合計10年間の刑務所暮らしも体験。薬物摂取の後遺症なのか、現在もわずかな言語障害が残る。なぜヤクザをやめたのか。

「何度も逮捕されるうちに、仕入れのカネもままならなくなり、不良専門のヤミ金にも手を出した。組に納める上納金7万〜8万円は何より大事で、ちょっとでも遅れたら破門です。上納金とヤミ金への返済に追われるようになって、心底疲れ切ってしまった」

◆組長からは三行半を突きつけられ路頭に迷う

 そして最後の懲役が終わり、“シャバ”に戻った6年前、組長に「足を洗いたい」と伝えると、あっけなく認められた。「指の1本、2本は覚悟していたんですが、『お前みたいなやつがいると逆に組に迷惑がかかる』と。どうぞ、どうぞ、という感じでした」

 無一文で世間に放り出された田端さんは、簡単に雇ってもらえそうな工事現場の“雑工”に応募したが、銀行口座がないという理由で断られる。

「10年前だったら、日当を現金でくれる会社も多かったけど……。ずっと現金商売をしてきたので口座なんて要らないと作らなかったのがいけなかった。慌てて銀行に行ったが、門前払いを喰らいました」

 その後、田端さんは置引などをしながら公園やネットカフェで寝泊まりしていたが、昨年、NPOを名乗る人物のサポートで生活保護の受給が認められ、現在はその団体が運営する寮で暮らしている。

「保護費12万円のうち、10万円は寮費と食費、雑費という名目で取られ、小遣いは2万円。騙されているのはわかっていますが、抵抗する気力もありません」

 そう語る横顔には、元ヤクザの面影は見られなかった。

◆元ヤクザの更生には社会的包摂が不可欠

 暴力団問題を研究する社会学者の廣末登氏は、暴力団離脱者の受け皿をつくる問題は、税収の確保と治安維持のためにも重要であると話す。

刑務所に戻りたがる高齢の離脱者も多いですが、費やされる税金は年間400万円ほど。社会復帰できずに、再び違法なシノギに手を染める人も少なくありません」

 暴排条例が施行された’10年から10年間に、警察の支援で離脱した5900人のうち把握されている就労者は3.5%ほど(自営業者、縁故就労者は含まず)。施策が進まない要因には、一般社会から向けられる処罰感情のほかに、当事者たちの心情も大きく関わっているという。

「銀行口座開設支援などを受けるには、暴力追放運動推進センターが指定する協賛企業に就職することが条件。しかし、当事者たちはハローワークも含め、公的機関と関わることを極度に嫌がるんです」

◆離脱者のコミュニティが重要

 そこで、行政との媒介として一定の役割を果たすのが離脱者のコミュニティである。

「大阪や埼玉などの元暴力団員の牧師がいるキリスト教会や、兵庫県のNPO五仁會など更生を目的とするコミュニティが役立っています」

 それでも、すべての離脱者を捕捉することは難しい。そこで廣末氏はこう提案する。

カナダオタワで実施されている、青少年ギャングの離脱支援プログラムが参考になります。当事者は警察に寄りつかず、家族も行政サービスから隔絶されていることが多い。

 そこで、地域社会に生活全般の相談窓口を設置する案です。これなら当事者らに対し、社会から見捨てられていないという肯定的な印象を与え、更生を促すことができる」

【廣末 登氏】
社会学者、ジャーナリスト。熊本大学特任助教を経て福岡県更生保護就労支援事業所長を務める。著書に『ヤクザと介護』(角川新書)など

取材・文・撮影/週刊SPA!編集部

―[[ヤクザをやめた]中高年の現在地]―


田端 均さん(仮名)。生保ビジネスに搾取され「死んだほうがマシ」な生活。なけなしの2万円で糊口をしのぐ。将来の見通しも立たない