生命保険や医療保険、火災保険、自動車保険、地震保険。当然のように加入しているにもかかわらず、いざ大災害が起こったときなど、保険会社がどうやって補償金を調達するのかは分かっていない人が多い。『図解 損害保険システムの基礎知識』などの著書がある菊地浩之さんは「NTTドコモが新しく設立した損害保険会社は再保険事業を行うが、再保険とは何か。保険商品の背後には複雑な仕組みがある」という――。

■NTTドコモが損害保険に進出…? 再保険って何だ

2024年4月4日NTTドコモが損害保険会社を設立するにあたり、金融庁が損害保険業の免許を付与したと報じられた。2023年10月、NTTドコモ再保険事業の新会社としてNTTドコモ損害保険を沖縄県名護市で設立することを発表していた。ここで注意すべきは「保険事業」ではなく、「再保険事業」ということだ。再保険って何だ?

再保険とは、保険会社が引き受けた保険の一部(もしくは全部)を他の保険会社に出すことだ。

生命保険は一人死んだところでせいぜい億単位の保険金しか発生しないが、たとえば工場火災や旅客機墜落だと莫大な保険金が発生して、損害保険会社1社では到底まかないきれない。そこで、複数の損害保険会社が1つの契約を共同して請け負ったり(共同保険)、請け負った保険の一部をよその損害保険会社に引き受けてもらったり(再保険)してリスク分散を図っているのである。

再保険には、出す側(出再(しゅっさい))と受ける側(受再(うけさい))があり、①任意再保険、②特約再保険、③オープン・カバーなどの手法がある。

簡単に言ってしまうと、個々の保険契約について「この保険を引き受けてくれませんかぁ」と再保険会社にひきうけてもらう手法(任意再保険)。出再と受再の間であらかじめ包括的な契約を結び、高額物件などで一定割合(保険金額の5%、1危険につき上限1億円など)を自動的に出再する手法(特約再保険)。その中間形態(オープン・カバー)などである。

再保険事業といった場合、通常は再保険を受ける方をいう。NTTドコモ再保険事業は、ケータイ補償などに関する外部の保険会社があり、その後ろにNTTドコモ損害保険がいて保険責任の一部を肩代わりする仕組み。保険会社が出再し、NTTドコモ損害保険が受再となる。

■ペーパーカンパニーに保険契約を任せてしまう手法も

さらに一歩踏み込んだ手法としてキャプティブ保険がある。これは、ほぼペーパーカンパニーの保険会社を設立して、そこが引き受けた保険契約を全額他の保険会社に出再してしまう手法だ。一時期日本でも流行った手法で、大企業であれば、事業に関する損害保険契約は膨大な額にのぼるので、子会社として保険会社を設立して、いったん全額その保険会社に引き受けさせる。

当然、損害保険のノウハウはないので、そこで引き受けた保険契約を全額他社に出再する。なんでそんな面倒なことをするかといえば、「子会社が引き受けた保険料」>「出再する際の保険料」で、その差額を手数料として収益とするのだ。ご丁寧に子会社をケイマン諸島などのタックスヘイブンに設立する場合もあった。

■地震保険は国が「再保険」として引き受けているという意外な事実

意外に知られていないが、地震保険は国に全額再保険として出されている。

保険の基本的な考え方は「大数(たいすう)の法則」といって、母数を増やしていくと物事の発生頻度は次第に一定の数値に収斂(しゅうれん)されていくという考えをもとに保険料の基準を決めている。たとえば、自動車の事故率は大阪府が高くて、鳥取県が低い。火災が起こった場合は、北海道の方が東京より延焼の可能性が低いなどということである。

しかし、地震は発生頻度を統計的に計測することが不可能なため「大数の法則」が適用できない。従って、地震保険を引き受けることは、企業経営の面からリスクが大きいため、損害保険会社は導入を見合わせてきた。

ところが、1964年新潟県沖を震源として新潟県山形県秋田県などに大きな被害をもたらした新潟地震マグニチュード7.5)が発生。時の大蔵大臣・田中角栄(のちの総理大臣新潟県出身)は「これはいかん」と地震保険の創設に奔走。1966年にできてしまった。

そのままでは日本の損害保険会社は地震保険を売りたがらないので、引き受けた地震保険契約を国が引き取り、リスクをヘッジする方式を採っている。

■日本地震再保険という専用の再保険会社がある

もう少し詳しくいえば、損害保険会社が引き受けた地震保険は、いったん、その全額を日本地震再保険(損害保険業界の共同出資で設立された再保険会社)に再保険として出され、プールされる。そして、日本地震再保険で引き受けられた地震保険は、さらに政府が一定割合を引き受けたり、元受損害保険会社が再々保険として引き受けるなどしてリスク分散を図っている。

この日本地震再保険は地震保険専用の再保険会社であるが、これとは別にトーア再保険という再保険専用の保険会社がある。戦前にはもっと多くの再保険会社があったが、戦時中に再編されたり、戦後に元受け保険会社に転じたりして、民間の再保険会社はトーア再保険1社となった。

■同時多発テロが起きたとき、再保険でつぶれた会社がある

2001年9月11日アメリカ合衆国同時多発テロが勃発。2機の旅客機がワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に激突した。

この旅客機も当然保険に入っていた。そして、その莫大な保険金を捻出すべく、A社からB社、B社からさらにC社に再保険がかけられていた。そのお鉢は、遠く日本の損害保険会社にもまわってきた。そして、千代田火災海上保険、日産火災海上保険、大成火災海上保険の3社は、引き受けた再保険をさらに米国の再保険エージェントであるフォーレスト・リー社に出再した。

ところが、このフォーレスト・リー社がちゃんと再保険を処理していなかったのである。フォーレスト・リー社は経営破綻。本来、フォーレスト・リー社から保険金に充当する資金が調達できなくなったため、3社には莫大な損失が発生。

ちょうどその頃、日本はメガ損保再編の時期で、千代田火災海上保険は大東京火災海上保険との合併を控えており(あいおい損害保険)、日産火災海上保険と大成火災海上保険は安田火災海上保険との合併を控えていた(損害保険ジャパン)ので、合併交渉で不利な状況に立たされた。

のみならず、大成火災海上保険はこの事件で経営破綻。つまり、つぶれてしまったのだ。同社は幸いにも安田火災海上保険・日産火災海上保険と合併することが決まっていたため、事実上、両社によって救済合併された(実際には、まず両社が合併して損害保険ジャパンとなり、その後に大成火災海上保険の資産を同社に包括移転した)。

■それでも損害保険会社の破綻はなぜ少ないのか?

バブル崩壊後、1990年代後半から日本では生命保険会社がバタバタと経営破綻したが、損害保険会社で経営破綻したのは、2001年11月に破綻した大成火災海上保険と、2000年5月に破綻した第一火災海上保険だけである。

なぜ、生命保険会社の経営破綻が多く、損害保険会社が少なかったのか。それは生命保険契約と損害保険契約の特徴の違いに起因する。

生命保険契約は保険期間が長く、バブル経済期(1980年代中盤から1990年代前半)に販売した高利回りの商品が、低金利時代に「逆ざや」となって経営を圧迫した。これに対し、損害保険契約は基本1年満期なので、商品改定が容易だった。

また、損害保険会社は災害時に巨額な保険金が発生するため、資産運用は短期間で回収できる手段を多く使った。これに対して、生命保険会社は保険契約が長期にわたるため、長期間資金を寝かせておくことが可能なので、不動産投資に積極的だった。これがバブル崩壊で経営をより不安定にした。

先に述べた破綻した第一火災海上保険は、損害保険会社の中でも積立保険契約に注力した会社だった。積立保険は短いもので3年、長いものでは20年くらいで満期を迎える。そのため、経営スタンス生命保険会社に似ていたのだ。

■第一火災海上保険の破綻は思わぬところに影響した

住宅金融公庫の火災保険は、損害保険会社21社(当時)の共同保険だった。共同保険とは、冒頭で述べた通り、再保険と並ぶリスク分散の手法である。1つの保険規約を複数の損害保険会社が分担するもので、たとえば、幹事会社のA社が保険料収入の50%、非幹事のB社が30%、C社が20%という形態を取る。そして、保険金が発生した場合は、その割合に応じて保険金を支払う。

つまり、第一火災海上保険が破綻する前に契約した人は、火災で保険金が発生する場合、破綻した第一火災海上保険分の保険金(2.6%)が受け取れないのだ。

大成火災海上保険は破綻後に、損害保険ジャパンに事実上救済合併されたのだが、第一火災海上保険には救済する企業があらわれなかった。

当時、保険業界は厳しかったからということもあるし、第一火災海上保険が保有する保険契約の内容が悪かったのかも知れない。しかし、最大の原因は、第一火災海上保険が相互会社だったからだと思われる。

■日本生命など相互会社のメリットとデメリット

相互会社とは、保険契約の保険料を原資とする保険会社特有の会社形態である。戦後、日本の生命保険会社のほとんどが相互会社となり、今でも日本生命保険や住友生命保険は相互会社だ。一方、第一生命保険や大同生命保険・太陽生命保険などは株式会社に転換している。損害保険会社も戦後設立された何社かが相互会社として設立されたが、現在はすべて株式会社になっている。

われわれは日本生命保険や住友生命保険が相互会社であるか、株式会社であるかを認識なんてしていないと思う。相互会社は買収などの恐れがないので、経営に問題がなければ、むしろ優れた経営形態である。しかし、相互会社の最大のデメリットは、株式会社に比べて資金調達が難しく、また資本提携や買収・合併が難しいことである。

株式会社は株式を発行して資金を調達することができ、株式の数十%を持ってもらうことで経営支援が望める。一方、相互会社では株式発行のような手はなく、株式を持ってもらうこともできない。企業を救済する場合、数十%の株式を取得して当該企業を法的に統治できることが大前提になるのだが、相互会社ではそれができない。

株式を上場した場合、意図せざる大株主が登場して、経営者と対立したり、経営が混乱したりする場合がある。相互会社にそんな心配は全くないのだが、いざ経営が傾いた時には救済してもらう方法が少ない。

だから、第一火災海上保険も救済されなかったし、同様に相互会社だった日本の生命保険会社がバブル崩壊後にバタバタと経営破綻してしまったのである。

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菊地 浩之(きくち・ひろゆき
経営史学者・系図研究者
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。

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出典=金融庁「令和6年4月4日報道発表資料」