「疲れている」というと、仕事が忙し過ぎるんじゃないかと思われそうだが、正直そうでもなく、要領が悪いだけなのだ。やらねばならないこと、やりたいこと、できていないこと、やらなくていいのになぜだかやっちゃうことが、常にぐるぐると回っている。調子良く回っているならばいいのだけれど、ごちゃごちゃと詰め込みまくる上に整理ができないので、なめらかな回転とはほど遠い。休憩時間や寝る直前は脳内で空回り状態で、疲れていてもなかなか止まらない。効率も悪くなるいっぽうだ。休む時にはちゃんと休んで疲労を回復し、しっかり集中できる人間に私はなりたい。この本を手に取ったのは、そんな切実な気持ちからだ。

 小説家、ノンフィクション作家、詩人、学者、イラストレーター、タレントなど、さまざまなジャンルの書き手が登場する。読み始めてすぐに思ったのは、「休む」とひとことでいっても、解釈は人それぞれなのだなあということだ。休むことが苦手という人もいれば、あえて疲れるようなことをすることを休暇と思う人もいる。意外な方向から話を広げる人もいる。初めて読む書き手にも、畏れ多いお方にも親近感が湧いてくるのは、テーマが誰にとっても身近で大切な「休む」ということだからなのだろう。

 石井ゆかりさんが書いている「『頑張って休む』ことをして、果たして『休んだ』ことになるのか」という疑問にハッとした。どうすればいいでしょう、と本に向かって相談しているような気持ちになった。角田光代さんによる『休むことは開かれること』を読んでいたら、なんだか泣きたくなった。「仕事に閉じ込められている感覚」は、私にもある。どんなに疲れてもいいから、旅に出たいと思った。くどうれいんさんは、「実家でふぐを飼っている」とのこと。え?ふぐを飼う?しかも「水槽から脱走」する? 驚きから始まって、ちょっと切なくなって、最後にはふわっと心が軽くなる。かつ、ふぐについても知りたくなる。好きなエッセイだなあと思う。

 とりわけ心に刺さったのは、星野博美さんによる『ヤスムノコワイ』である。星野さんが社会に出る前に直前にタイの島で見せつけられたという「休むことの怖さ」は、今の私の生活からは最も遠いもののはずなのに、心がざわざわする。もしかしたら、時間を持て余すことが怖くて、やることを詰め込んでいるのだろうか。最後の書き手は、小説家で装幀の仕事も手がけている吉田篤弘さんである。「本」から離れることについて書かれたこのエッセイとの出会いは、本に完全包囲されているような暮らしぶりの私にとっては運命的だ。大切なものだからこそ、時には離れてみることが心を休めるのかもしれない。

 今度の休みには、本を持たずに近くの森林公園に出かけよう。本から自分を解放するのだ。そんなことを思う一方で、ここで出合ってしまった興味深い書き手の方々の本を、あれもこれも読みたい、読まねばならないという気持ちが、心の中でぐるぐるし始めている。もう寝る時間なのに、ふぐの脱走についての検索もやめられない。アンソロジーって、怖い......。

(高頭佐和子)