政府・日銀が2013年に定めた「物価安定目標2%」はどのように決まったのか。ジャーナリストの後藤達也さんの著書『教養としての日本経済 新時代のお金のルール』(徳間書店)より、元日本銀行の門間一夫さん、時事通信解説委員の窪園博俊さんとの鼎談をお届けしよう――。

■物価安定目標はなぜ「2%」なのか

【後藤】日銀の政策について具体的に考えていく上で、触れておきたいのが、「2%の物価安定目標」についてです。「物価目標」「2%の物価安定」などの言葉を聞いたことがある方は多いと思うのですが、まず大前提として、そもそも「物価目標とは何か」「なんで2%なのか」を歴史から振り返っていきたいと思います。

図表1は、過去に日銀が発表した物価安定に対する代表的な考え方の変化を示したものですが、この「2%の物価目標」は2013年1月に導入されたものです。つまり、10年ぐらい前ですね。何十年も前から2%を目指していたわけでもないし、日銀法にも別に「2%を目指せ」とは書いていません。長い歴史もなければ、法律的な拘束力もないのが実態です。

もっと前の2006年3月に、日銀は「中長期的な物価安定の理解」を提言し、2012年2月には「中長期的な物価安定の目途」と変化しています。

■「物価の安定」という言葉の定義

「理解」と「目途」の違いは一般的にはわかりづらいと思いますが、日銀の中でも「物価安定」という定義は、その時々で総裁なり職員なりが考えながら練ってきたのだなと感じます。門間さんは、この「物価安定」の定義を発表する際のすべての決定に携わっていたと思うのですが、日銀と物価の関係を少し整理していただいてもいいでしょうか。

【門間】「物価の安定」は、普通の日本語の文脈では自然にイメージがわきますが、日銀の話の中で使われると途端に難しくなっちゃうんですね。そこが、まずこの話の一番厄介なところです。日本語でいう「物価の安定」とは、文字通り物価が安定しているということであって、それ以上でも以下でもないです。たとえば普段の生活で、「来年は物価がすごく上がりそうだな」などと心配せず、来年の旅行の計画などを立てられる状態が、物価が安定しているという状態です。

■「物価目標設定」ではデフレは止まらないと結論付けた

【門間】ところが、それを数字で示すとどういうことか、という日銀の話に近い領域になってくると、急にわけがわからなくなってくるわけですね。そこに至る前段階として、今の日銀法が施行された1998年くらいから、日本経済は「デフレに陥ったのではないか」という問題がちょうど起きてきました。デフレとは、物価の下落によって景気が悪化する状態です。1998年頃、日本では金融機関もたくさん倒産し、その後しばらく景気の悪い時期が続きました。

その際、物価が下がっていたので、「物価下落を日銀が止めてくれれば、日本経済は良くなるはずだ、物価に目標値を設定するなどして経済を良くしてほしい」という論調が盛り上がりました。そういう世間の論調を受けて日銀も、どうすれば日銀が持てる力で経済の回復に一番貢献できるのかをずいぶん考えたんですね。

その結果、答えは物価に目標値を設定することではない、という結論に日銀としてはなったんです。ちなみに、2000年には、日銀は「経済の発展と整合的な『物価の安定』の定義を特定の数値で示すことは困難である」という、当時の論調に半ば喧嘩を売るような文書も出しています。

【後藤】数値だと、どうとでもなりますからね。

■「物価だけ」に焦点を当てるのは危険

【門間】要は、数値で単純化することには問題もあるんですよ。当時の日銀には、物価の安定を数値で定義しちゃうと、その数値に引っ張られてかえって政策を間違いかねない、という心配がありました。そもそも実態とのズレもあるわけです。1%、2%などと具体的な数値を決めてしまうと、それ以外の数値の時には物価が安定していないことになってしまう。でも、それは違うだろうと。

ところが、ちょうどその少し前頃から、海外の経済学者や中央銀行の間で、「物価上昇2~3%ぐらいが経済にとって望ましい物価の安定だ」という議論が広まっていました。当時の日本は、物価が0%か若干マイナスだったので、「2%ぐらいの物価上昇を実現しないと日本の景気は良くならない」というやや単純化しすぎた議論が出てきちゃったんですね。

本当は「物価だけ」にそこまで焦点をあてるのは狭すぎて、幅広く日本経済の構造を変えていくという議論を深める必要があったのですけどね。

■「2%の物価目標」は魔法のステッキではない

【後藤】窪園さんは、この辺りについてどうお考えですか。

【窪園】門間さんの説明に少し補足すると、「2%目標」という言葉が出る前に、海外は物価の安定ですごく苦労していたんですね。第二次オイルショックになった1980年前後からかなりインフレが進み、抑えるのに各国はとても苦労した。その中で、1990年代前半のニュージーランドで、インフレーションターゲット(※)という金融政策の枠組みが作られ、物価上昇2%という目標を掲げたんです。すると、それがうまくいって、物価が安定した。

※中長期的なインフレ率の目標値を数値化した金融政策運営の枠組みを指す。日本では2013年1月、デフレからの脱却を目指し、日銀が導入。その後、大規模な金融緩和政策を行った。

その後、日本はバブル崩壊の中で長期低迷が続き、デフレ状況にありました。海外はインフレを抑えようとして2%に設定しましたが、日本の場合はゼロかマイナスの状態だったので、インフレを進めるために2%の物価目標を設定したらどうかという議論が出てきたんです。それに対して、先ほど門間さんがおっしゃられたように、日銀側が「数値を設定するのは非常に難しい」と抵抗した話につながっていくんですね。

【門間】最初に言ったことと関係しているんですが、物価も経済も日銀だけで良くすることはできないんです。なのに、日銀が2%の物価目標を掲げて、それを実現するよう金融緩和を進めれば日本経済は良くなるはずだ、という議論が世の中に生まれてしまった。

日銀としては、「物価の安定に努めるし金融緩和もするが、2%の物価目標を掲げることで魔法のように経済が良くなるわけでもない」ということを国民にわかってもらいたかったわけです。それでも物価目標を求める論調は収まらないので、そういうせめぎ合いの中で日銀自身、物価の安定の定義を巡り試行錯誤しながら変わっていったんです。

■金利と物価の関係はとても複雑

【後藤】「物価の安定」に対して、日銀ができることは金利(※)を操作することだとおっしゃいましたが、そもそも金利と物価はどう関係しているんでしょうか。

※お金を貸し借りする時に必要となるコストの大きさを指す。具体的には、お金の借り手が貸し手に対し、借りた金額に上乗せして支払う対価の割合。

【門間】金利と物価の関係は、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざぐらい長い連鎖があるので、よくわからなくて当たり前だと思いますし、実際、理屈通りにはならない場合も多いわけですよ。

その上で、一応どういう理屈になっているかというと、たとえば日銀が金利を下げれば、一般の銀行が安い金利で資金集めをすることができるようになるので、その銀行が企業にお金を貸す時の金利を下げられるようになります。企業は安いコストでお金を借りやすくなるのですから、そのお金を使ってビジネスの拡張のために設備投資をし、人を雇います。そうすると家計の所得が増えて、買い物をしたくなる人が増えて、日本全体で消費が増えます。

また、企業の設備投資は機械メーカーなどの売り上げの増加となり、そっちからも正の連鎖が続いていくわけですね。このようにして、日本経済の需要全体が強くなっていきます。物価は基本的には需要と供給の大小関係で決まりますので、総需要が強くなれば日本全体で物価が上がるわけです。

■「海外が2%だった」から日本も2%になった

【門間】しかし、今言った一連の連鎖の中に、実際にはそれ以外の要素もいっぱい入ってくるんです。たとえば、海外で急に景気が悪くなるとします。その場合は、いかに日銀が金利を下げて国内の需要を増やそうと思っても、輸出という海外需要が減るので、全体として景気は良くならないかもしれません。

反対に今現在、日本で起きていることは、日銀が金利を全く下げていないのに、原油や穀物など海外からの輸入品の値段がどんどん上がっているので、皆さんの生活の回りでも物価の大幅な上昇が起きています。

今の物価高は日銀の政策、金利とは全く関係なく起きているわけですね。つまり、日銀が金利を上げ下げするということと、実際に物価が上がったり下がったりするということの間には、もともと非常に長い連鎖がある上に、他の要因も多く関わってくるので、実際にはかなり薄い関係しか残らないんです。

【後藤】「諸外国が2%目標を設定している」という理由以外で、日銀が2%に定めた論拠はなんだったんでしょうか。

【門間】海外が2%でなければ、「日銀も2%にせよ」という議論自体が盛り上がらなかったと思います。海外が2%ぐらいで、しかも日本より経済がうまくいっているように見えたので、「日本が低成長なのは物価が下がっているせいではないか、日銀も他国並みの2%物価目標を採用すべき」という議論が強まっていったんだと思います。最終的にはそういう議論があることも踏まえながら、日銀として対応したということです。

■日銀は「2%」を採用したくなかった

ただ、日銀の本音としては、2%の物価目標はできれば採用したくありませんでした。物価の安定を単純に数値で語ることには問題もある、と先ほど言いましたよね。それ以外にも日本ならではの理由があって、それは1999年ぐらいから金利がもうほぼゼロになっていたからです。今度総裁になる植田さんが審議委員だった頃から、この25年近くずっとほぼゼロなわけですよ。ゼロということは、それ以上金利は下げられません。

いくら「物価を上げたい」と思っても、先ほどの「長い連鎖」の第一手である金利そのものを動かせないわけですから、日銀だけで物価を上げるのには当然限界があるわけです。もともと金利を下げる余地がないのだから、「2%を目指すと言ってもいったいどうやってやるんだ」というのが、日銀としてはずっと問題だったわけです。

【窪園】諸外国が2%とする中、日銀もこれに揃えたのは、門間さんが指摘したことに加えさせていただくと、仮に1%のままだと、海外に比べて目標が低いことが、為替市場で円高圧力を招く、と懸念されたこともあります。この点については、黒田前総裁が会見で、「海外より目標が低いと、それだけ円高圧力になる」と指摘していて、2%の妥当性を訴えていました。

【後藤】そもそも2012年2月には「1%」の目途に変更していますね。やっぱり2%という数値は、当時の日銀の中ではかなりハードルの高い設定だったんですか。

【門間】2%どころか1%だって思い切った決断だったんです。2012年2月に出した1%の「目途」は、それだって頑張ってもできるかどうか、というかなり必死の「目途」だったんです。

【後藤】その後、2012年11月に衆議院が解散し、12月に安倍政権が誕生して、2013年1月に安倍政権が2%を謳うようになったということですね。

■成功事例のニュージーランドが「たまたま2%」だった

【門間】なぜ目標が2%なのか? 私自身も本当は疑問なんですよ。数字がどうしても必要ならゼロでいいじゃん、とすら思います。

【後藤】2%にした理由としては、海外で2%に設定する国が多かったからだと思いますが、この数字は、別にアカデミックに計算したわけではないんですね。

【門間】先ほど窪園さんがおっしゃったように、90年代初めのニュージーランドは物価高に苦しんでいて、もともと4~5%だったんですね。さすがに毎年4%も5%も物価が上がるのはよくないよね、もっと下げようという話になったんです。でも、0%まで下げるのは大変だから2%ぐらいでいいかな、という感じで決まったと理解しています。何事も最初に決めた人が結局ルールセッターになりますから、「2%目標」にしても、たまたまニュージーランドが2%と決めたからそうなった、という面があるわけです。

【後藤】無理して3%にするわけでも、1%にするわけでもなく、2%だった……。

【門間】ニュージーランドの政策が大失敗していれば「やっぱり2%はだめだな」という話になったのでしょうが、結構うまくいったんですよ。続くカナダイギリスもみんな2%にして、2012年にはアメリカの中央銀行(FRB)も正式な目標として2%という数値を出したんですね。「アメリカが2%を正式に出してきちゃったから、日本もせめて1%ぐらいの数値は出さないとだめかな」ということもあって、それから間もなく日銀は追い立てられるように先ほどの「目途1%」を出したんです。

しかし、それで議論は収まらず、「アメリカも2%なんだから日本も2%にしろ」という論調が根強く残り、その1年後に結局日銀も2%に目標を設定することになります。そんな理由で始まっているものなので、なぜ2%なのかを根本から理解しようとしても無理なんですよ。私自身、2%じゃなくてもいいんじゃないかという人には、説明しても理解してもらえたことがありません。

■目標数値によって経済に大きな違いが出るわけではない

【後藤】不思議ですよね。でも、数値が2%なのか0%なのかによって、打ち出す政策はガラッと変わってくるんじゃないでしょうか。

【門間】良くも悪くもという話になってしまいますが、日銀が取れる政策の範囲はおのずと限られているので、目標の数値をガラッと変えたからといって、経済に大して違いが出るわけではありません。

黒田総裁も、金利を大きく下げたわけではありません。最初から下げる余地がなかったのですから。実際、黒田さんが就任する前の15年間と、金利の水準はあまり変わってないわけです。先ほどお話ししたように、金利が変わらなければ、金融政策の効果は基本的には変わりません。

黒田総裁のもとで日銀は、国債を大量に買うなど、見かけ上は非常に大きな緩和をやったように見えます。そのこと自体に意味がなかったとは言いませんが、経済に与える影響としてはそれほど大きな差は生み出せないんです。実際、2%物価目標は10年間達成できませんでした。

■黒田氏は「世論」で日銀総裁に任命された

【後藤】金融政策や物価政策は、世論に結構左右されるものなんですか。

【門間】そりゃあ左右されますよ。どんな政策だって、世論を無視してできるものではありません。逆に言えば、正しい世論形成が大事になります。

【窪園】世論に左右された典型例は、2013年に黒田氏が総裁に任命されたことです。当時、物価が低いことは「デフレ」という悪い状況だとみなされ、そして、この「デフレ」は「貨幣現象であり、金融政策だけで脱却できる」という「リフレ思想(※)」が台頭しました。この「リフレ思想」に共鳴したのが安倍晋三首相(当時)でした。「デフレは良くない」との風潮が広がる中、安倍首相は日銀総裁に、同じく「リフレ思想」を持っていた黒田氏を任命した、という流れです。

デフレ状態から脱却したものの、インフレと呼ぶほどでもない状態を「リフレ」という。デフレでもインフレでもない中途半端な状態を促す思想。

【後藤】金利と物価の関係性を見るために、2001年以降のCPI(※)のチャートを見ていきましょう。図表2の色付きの部分は黒田さんが日銀総裁になってからの物価です。ただ、これを見ると黒田さん前の物価は、ほぼ0%ですね。2008年の前後は原油高や原油安で乱高下していますが、これを見ると、元から物価は安定していた気もするんです。

消費者物価指数(Consumer Price Index)の略称。全国の世帯が購入する物やサービスの小売価格を調査・算出した指標。

0%って究極の安定じゃないですか? デフレは良くないのかもしれないですけど、そんなに値上げも値下げもしないのであれば、一番理想的にも見えます。それでも、やはり2%がいいんですか。

■経済のあらゆる問題が「デフレ」のせいにされていた

【門間】繰り返しになってしまいますが、「海外では2%ぐらいでうまくいっている」という認識が世の中に広まっていたことがやはり大きかったです。その認識自体がどうだったのかは問う価値のある論点ですけどね。

そして何と言っても、2012年以前、日本の景気が悪かったことは確かなんです。特に2008年のリーマンショックからの数年間は景気が悪かった上に、大幅な円高もありました。物価も下がっていたからデフレだという話になったんですね。

日本経済のさまざまな問題が全部ひっくるめて「デフレ」という言葉で語られ、「日銀は2%ぐらいまでインフレを上げないとダメだ」という議論に単純化されてしまった面があったと思っています。

2008年夏まではインフレ率は少し上がっていますが、これはリーマンショックの前に原油価格などの輸入コストが大幅に上がったからです。それを除けばインフレ率はだいたいゼロかマイナスだったので、「日本の長期停滞をもたらしているのはデフレである、だから2%物価目標を」という議論が説得的に聞こえやすい状況だったんです。

----------

後藤 達也ごとう・たつや)
ジャーナリスト
2022年からフリージャーナリストとして、SNSやテレビなどで「わかりやすく、おもしろく、偏りなく」経済情報を発信。2004年から18年間、日本経済新聞の記者として、金融市場、金融政策、財務省、企業財務などの取材を担当し、2022年3月に退職。2016~17年にコロンビア大学ビジネススクール客員研究員。2019~21年にニューヨーク特派員。日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、国際公認投資アナリスト(CIIA)。

----------

出所=『教養としての日本経済 新時代のお金のルール』