文=松原孝臣 撮影=積紫乃

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スタートは6歳

 実感のこもった言葉だった。

「驚きがたくさんのシーズンでした」

 籍を置く木下アカデミーの拠点、「木下アカデミー京都アイスアリーナ」で練習を終えた吉田陽菜(はな)は笑顔で語る。

 2023-2024シーズンは吉田にとってシニアデビューの1年だった。

グランプリシリーズのデビュー戦となったスケートアメリカで4位になると、中国杯では優勝を飾る。グランプリファイナル進出を決めると、この大会で堂々3位と表彰台に上がったのだ。世界選手権の日本代表にも選ばれ、8位でシーズンを締めくくった。

 鮮烈なデビューシーズンを振り返りつつ次へと目を向ける新星は、どのようにスケートともに歩んできたのか。そのスタートは6歳の頃だ。

「最初はほんとうに遊びという感覚で、教室でも友達と遊んで先生に怒られるくらいはしゃいでいたのが記憶に残っています」

 遊びで始めたスケートだったが成長は早かった。小学5年生のときには全日本ノービス選手権のノービスB(スケート年齢で9歳以上10歳以下)で優勝している。

「ノービスBの1年目まではそこまでジャンプが跳べなくて全日本ノービスに行けるか行けないかくらいのラインにいました。でもトリプル(3回転ジャンプ)が1種類跳べるようになってから連続で全種類が跳べるようになって、気づいたら小学校5年生のときに表彰台を目指す位置にいました。負けず嫌いではあったので、絶対負けたくないという気持ちで滑っていました。そこからもっと上を目指すようになったのかなと思います」

 

中学1年生でトリプルアクセルに成功

 小学6年生で出場した全日本ノービス選手権のノービスA(スケート年齢で11歳以上12歳以下)でも優勝した吉田は中学生になると脚光を浴びることになる。夏に行われた大会「げんさんサマーカップ」でトリプルアクセルに成功したのである。大会時は中学1年生12歳。その年齢での成功は驚きに値した。

「練習を始めて3カ月くらいで跳べるようになりました」

 取り組むきっかけは小学6年生のときに出場した初めての国際大会「チャレンジカップにあった。

「そのときアメリカのアリサ・リュウ選手と一緒だったんですけれど、エキシビションの練習でトリプルアクセルを跳んでいるのを見て、自分もやってみたいなと思いました。日本に帰って始めたら思っていたよりすぐ跳べるようになりました」

 順調そのものの歩みの小さな蹉跌は、トリプルアクセル成功ののち、腰椎分離症になったことだ。

スケートから離れないといけなくて、みんながその間に試合に出ていて悔しい気持ちや置いていかれる感じがしました」

 でも時間を無駄にしなかった。

「その間は学校が終わったら夜まで塾で勉強をしていました。怪我するまでも勉強との両立を目指して頑張っていたのと、お医者さんに『(今のケガの具合は)寝返りをしても骨がくっつきにくいので、中途半端に休んでも意味ないよ』と念をおされていたので、迷わず、今はスケートの事をくよくよ考えないように、勉強するしかないと思いました。小さい頃からインターナショナルスクールに通っていて、学校が大好きで授業も学ぶことも好きだったので、ずっと勉強もしていました。スケート選手を終えた後の人生も大事だと思うので、スケート以外のことにも興味を広げたいと両立を目指していました」

 吉田は国際大会で通訳を介さず英語のインタビューに応じたこともある。勉強の面で努力してきた成果の一端がそこにある。

木下アカデミーに移籍

 復帰した吉田はジュニアに移行した中学2年生のとき、全日本ジュニア選手権で3位となり全日本選手権にも推薦で出場。

 中学3年生になると1つの決断をする。慣れ親しんだ名古屋市内のクラブを離れ、木下アカデミーに移ることだった。

「すごい悩んで、簡単にできる決断ではなかったです。でも濱田(美栄)先生に教えていただきたいと思いました。濱田先生は紀平梨花選手や他のトップの選手も育てていたので、お話させていただきました。そうしたらたまたま木下アカデミーができるときで、『おいで』って言ってくださいました。タイミングがよくて、このタイミングしかなかったんだなって思います」

 その指導をこう語る。

「濱田先生はほんとうに選手思いで、厳しいときはあるかもしれないんですけど、みんなが上手くなるためにいろいろ考えてくださっているので、信頼しています」

 願っていた指導を受け、木下アカデミーでチームメイトとともに切磋琢磨しながら練習に励んできた。その結果として昨シーズンの飛躍がある。

 活躍する舞台が広がれば、思い描く未来が変化していく、あるいは明確になってくる。2年後にはミラノ・コルテナオリンピックが控える時期だ。だが吉田は言う。

「正直、オリンピックは今はまだ手が届かないところにあると思います。でもシニアのデビューシーズンで世界選手権の代表にも選んでいただけたので、今この位置にいられることに感謝して、ここから2年もないですけれど、自分ができるすべてを出し切りたいなと思います」

 そしてこう語る。

「とても頑固なところがあり、最後まであきらめずに全力を尽くすというところは、しっかりぶれずに自分の中にあるのかなって思います。(客観的に見た自分自身は)すごい難しいですけど、ジャンプ以外で自分の中にあるものとして、周りに惑わされず自分の気持ちや思いをぶれずに持ち続けて挑戦し続けられるところが強みだと思います。最後まで挑戦を貫いて、みなさんに勇気を与えられる存在になれたらいいなと思います」

 では自身が勇気をもらった選手は? するとスケーターの名前をあげた。

「たくさんいるので絞るのは難しいんですけれど、先日引退を発表された宇野昌磨選手と一緒に練習する機会が何回かありました。練習する姿には圧倒されましたし、試合に向かう姿も尊敬していたので、すごい勇気をもらいました。

 ネイサン・チェン選手は学業とスケートを両立されていたのでほんとうに尊敬していますし、理想像というか、少しでも近づけたらいいなと思います」

 今日までの足取りを振り返れば、インターナショナルスクールに通わせてもらったこと、木下アカデミーに移ったこと、自身の選択か否かにかかわらず、その場所を、機会を無駄にすることなくいかしてきたことが分かる。その都度「全力を尽くした」結果だろう。

 そんな吉田には思い描く将来がある。

「現役を引退した後は、ISU(国際スケート連盟)の方々のようにグローバルに活躍したいなって勝手に思い描いています」

 そこに至る過程でもきっと、全力を尽くして歩んでいくだろう。

 まずは新しいシーズンへと目を向ける。

「昨シーズンは初めての経験がたくさんあって、シーズン通しての結果が世界選手権に結びついたのが何よりもうれしかったです。でも自分に足りないものもたくさんあったので、学んだことをいかして来シーズンも頑張りたいと思います」

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