中国ではこのところ、日本の社会や文化を解説する文章が多く発表されている。大手ポータルサイトの新浪網はこのほど「日本の古代宮廷はどうして宦官制度を設けなかったのか?」と題する文章を発表した。

 文章は中国で宦官が嫌われる理由を歴史ドラマなどで常に“悪役”であることを挙げた。文章はその一方で、史記を著述した前漢時代の司馬遷、紙の製法を確立した後漢の蔡倫、大艦隊を率いてアフリカにも到達した明代の鄭和を列記し、宦官にも歴史に貢献した人物がいたと指摘した。

 日本が採用しなかった中国の制度や文化があることについては、「中国人よりも賢明だったとは限らず、取り入れるレベルに達していなかった可能性がある」との見方を示した上で、日本が宦官制度を採り入れなかったことは「中国人は尊敬している」、「結果としてよかった」と主張した。

 文章は日本が宦官制度を採用しなかった理由としては「仏教の影響で残酷なことを嫌った」可能性を指摘。さらに日本人は「農作物の品種改良は大いに発達させたが、畜産業がほとんど存在しなかった」ため、去勢の知識も知らなかったことを挙げた。

 文章はさらに「三国志・魏志倭人伝」が、日本人について「その風俗、淫にあらず」と記述していることに注目し、女性が「淫に堕する」ことがなかったので、「男性が嫉妬心に駆られ、他の男性を去勢してまでも(自らが支配する)女性の貞操を守る必要を感じなかったのではないか」との見方を示した。

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◆解説◆
 中国における宦官は、「皇帝一家の世話」をする存在と位置づけられた。その結果、権勢を振るう者も出現した。一方で、高級官僚は「科挙」という難関試験の合格者だ。官僚側からすれば宦官は「人格も素養も劣る存在」だった。官僚と宦官の争いで、宦官が常に「悪者」になるのは、記録を残したのが主に文筆に長じた官僚側だったので、実際には官僚側も著しく腐敗していた場合もあったという。

 宦官制度は、オスマントルコなどイスラム国でも多く用いられた。上記文章は英国人の記述として、「西洋で宦官があまり取り入れられなかったのは、キリスト教のもたらした福」と紹介した。ただし事実は異なり、教会では「女性歌手の聖歌隊参加は不可」とされていたので、声変わりを防止するために、少年歌手を去勢することが行われた(カストラート)。

 西洋古典派音楽の代表的作曲家とされるハイドン1732-1809年)は少年期に聖歌隊で活躍し、カストラートになることを勧められたという(去勢はせず、声変わりのために解雇)。カストラートは世俗オペラの分野にも進出した。最終的にローマ教皇レオ13世が1878年に、人道的見地から禁止した。日本の明治維新からは10年後だった。(編集担当:如月隼人)(写真は新浪網の上記記事掲載頁のキャプチャー。日本の武士を描いたと思われる人物が囲碁を打っている。囲碁は中国人が誇りとする自国発祥の文化だ。日本が取り入れた中国文化も多かったことを示す意図と考えられる)