―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
デカデカと写し出された、青色のオペ着に眼鏡をかけたおじさんの顔。「インプラント」「きぬた歯科」というシンプルなコピーの看板。「看板だけで2億円かけている」と話す、「日本一有名な歯科医師」兄弟の真の狙いとは?
きぬた、きぬた、またきぬた――。
首都圏在住者なら誰もが一度は目にする「きぬた歯科」の看板。北は栃木県足利市から、西は三重県伊勢市まで及ぶ看板の総数は340以上。常識をぶち壊す看板戦略を仕掛けているのが、兄のきぬた久和氏(横浜きぬた歯科院長)、弟のきぬた泰和氏(八王子きぬた歯科院長)の2人だ。歯科業界の異端兄弟は何を見据えているのか?
“大日本きぬた連盟代表”を自称し、きぬたの同人誌やグッズを作る看板研究家D.J.マメ氏が、兄弟の費用、儲けなど、その舞台裏に迫った。
◆インタビューは喧嘩からスタート
――何度もお会いしていますが、ご兄弟そろっては初めてなので興奮しています。
久和:今日もわざわざ愛知県から来たの? 本当に物好きだね。
泰和:一番の支援者だよね。『きぬた歯科看板完全攻略マップ』まで作ってくれて。結構売れているんじゃない? 俺たちは一円ももらってないけど(笑)。
――客観的にリサーチしているだけなので……。それにしても、ものすごい看板の数です。お兄さんは100か所、弟さんは240か所くらいありますよね。
久和:マメくんはバスの看板とかも数えている?
――野立て看板やビル看板は表裏合わせて1つ、バスは会社ごとに1カウントしています。
久和:バスは何台も走っているじゃない。全部数えてよ!
泰和:兄さんは俺の半分以下のくせに、ずいぶん偉そうだな。
久和:お前こそ少し前は300くらい看板出してたのに、減ってるじゃん。金欠か?
泰和:田舎を減らして、都会で増やしているの。金額は増えているんだよ!
――早速、喧嘩しないで……。
◆深謀遠慮の看板戦略。実は最強ネットツール
――ちなみに看板の年間費用って、どのくらいかかるんですか。
泰和:田舎だと15万~20万円くらい。でも、都会だと300万~400万円はする。看板広告だけで2億円、CMなんかも含めた総額だと3億円かけてる。
久和:うちは1億5000万円くらいかな。看板業界はきぬた兄弟にものすごく感謝しているんじゃないかな(笑)。みんなマネするから、今は全然空きがない状態です。
――弟さんは八王子から400㎞以上離れた伊勢にも看板を出していますよね。
泰和:伊勢神宮の電柱看板ね。もともと赤福の看板で埋め尽くされていたんだけど、看板マニアとして見過ごせなくてね(笑)。
久和:そこに、一石を投じたわけだ。
◆看板はSEO対策よりもはるかに効果的
――数だけでなく、バリエーションの多彩さも魅力です。お兄さんは烏帽子をかぶったパターン、弟さんはファイティングポーズの「俺に任せろ!」バージョンなどもあります。
泰和:ふざけたふりをしているだけで、ちゃんとマーケティング戦略を考えているからね。同業者がどんどんマネしてくるので、限界ギリギリまでは攻める。
「上半身裸で両手にインプラントを持つのはどうですか?」と提案されたこともあるけど、今までのことが水の泡になってしまうことは絶対にやらない(笑)。
久和:分院展開している同業者がマネしてくることが多いけど、収支が崩壊しているところが多いよね。彼らのほとんどが自己資本比率は1桁台だから。
でも、僕たちは医院をひとつずつやっているだけだし、自己資本比率は90%以上ある。医療法人の平均が50%くらいなので、僕たちはかなり健全な歯科医ですよ。
泰和:兄さんも俺も利益を最大化しようとしているだけ。収益に対する広告費はコンパクトなものですよ。
――やっぱり看板の効果はすごいですか。
泰和:実は最強のネットツールだと思う。同業者はSEO対策に何億円もつぎ込んでいるけど、俺たちはそんなことやらない。勝手にSNSやネットニュースが取り上げてくれるから、アナログでローカルな看板が今ではマス広告に化けている。今さらマネをしたところで、もはや俺たちの「数の暴力」には勝てないだろうけど(笑)。
◆歯科業界は閉鎖社会。看板は挑戦状だった
――ちなみに最初に看板を出されたのは、いつ頃ですか。
久和:僕が開業して12年目のときだから’04年かな。横浜中心部の高島の看板です。思いつきでしたが、すごくウケました。それを見て、弟がマネしたんです。
泰和:違ぇよ。そんなの知らずに、こっちもやってたんだよ!
久和:だけど、歯科業界はものすごく閉鎖的な社会で、当時は離れたところに看板を出す医院なんてなかったんです。案の定、行政から「医療法に則ってない」とクレームが来ました。
――顔出しがダメだったんでしょうか?
久和:顔出しは問題ないのですが、「インプラントの金額を入れろ」とか。明記すれば、今度は「字が小さい」とか。でも、字の大きさの基準を聞いても、行政は答えられない。そんなの個人の主観なので、完全な言いがかりなんです。行政も同業者から「撤去させろ」と突き上げられただけなんです。裏では足を引っ張られて大変でした。
――そんなご苦労があったとは……。
久和:僕たちは代々の歯科医じゃないんですよ。父親は栃木県の小さな町工場の社長なんです。汗と埃まみれになりながら黙々と働いて、僕たちを私立大の歯学部に通わせてくれた。
でも、同級生の5割は親が歯科医。親が医者、親戚が歯医者まで含めると9割が医療関係者の子供なんです。僕たちは何のツテもないなかで身を立てようと必死でした。それが誰もやらなかった看板に繋がっているんですよ。
泰和:今思えばほかの仕事でも良かったんだけど、当時はネットなんかないから情報がなくてね。田舎には歯科医院が少ないから儲かりそうだし、手に職をつけるなら歯科医かなって。
久和:だけど、僕たちが卒業した頃から歯医者が余り始めてしまって。同級生のようなアドバンテージもないし、危機感の中で戦ってきたら、こうなっちゃった(笑)。
◆訴訟で徹底抗戦。商標登録で無双状態
――これだけ有名になると、誹謗中傷トラブルに巻き込まれませんか。
泰和:今日も「引っ越して窓を開けたら、あんたの顔が目の前に見える。公序良俗違反だ」ってメールが来てたな。法律上は問題ないから、これは無視。最近は具体的な嘘をネットに書き込むヤツが多いから、Googleとかに発信者情報公開請求して、相手に直電して削除させている。応じなければ、訴訟だね。今、裁判を11件やってるけど、これは全部うちが訴えている側だから。
久和:お前は徹底的に闘うよね。カネにならないのに(笑)。
泰和:最近はパクリ看板の同業者が自ら謝罪に来ることも多いよ。つい先日、看板の配色の商標登録を取ったから、もう誰もマネできないけど。カネを払うか、撤去するしかない(笑)。
――6月12日付でマゼンタ、ブラック、ブルーの配色が認められたんですよね。
泰和:さすがに黄色だけじゃ商標登録取れなかったけどね。
――配色の商標登録は、セブン-イレブンとトンボ鉛筆くらいしか例がないですよね。
泰和:そうらしいね。うちの弁理士もびっくりしていたよ(笑)。でも、兄さんは勝手に使っても構わないからね。こっちも、きぬたぬき君とか使わせてもらっているし。
久和:誰があんな下品な色を使うか! そもそも黄色の看板はうちが先に始めたんだぞ。
◆人生は進んでも進んでも答えが出ない蜃気楼
――まあまあ……。話は変わりますが、お二人の今後の目標はありますか?
久和:『スラムダンク』で、主人公の桜木花道が安西先生に言う「オヤジの栄光時代はいつだよ。全日本のときか? オレは今なんだよ!」って名言があるでしょ。僕は開業してからずっとがむしゃらに頑張ってきたんだけど、今が絶頂期だと思っても、ずっと右肩上がりで翌年、そしてまた次の年が絶頂なの(笑)。こうなると、もうどうしたらいいんでしょうね。
泰和:俺は人生って答えが出ない気がするんだよね。東京に来た時に高速道路には名だたる企業の看板が並んでいて、成功者の象徴みたいに見えた。歯医者には無理だろうと思っていたら、できちゃった(笑)。でも、自分が成功したとはいまだに思えなくてね。何かにようやく到達したと思ったらまだそこから先がある。人生って、進んでも進んでも答えが出ない蜃気楼みたいだなって。
久和:そんなことを考えていたのか……。
泰和:なので、7月19日に『異端であれ! ―どれだけ看板を出しても、金を稼いでも、成功などなかった。人生はどこまで行っても蜃気楼―』という書籍をKADOKAWAから出版します。
久和:宣伝かよ! 弟は僕に負けたくない一心なんですよ。僕は父親から「常に弟の上を行け」、弟は「兄貴に勝てずして、誰に勝てるんだ」って言われて育てられましたから。僕も弟がリタイアしたら、やる気なくなっちゃう。これからも、兄弟で切磋琢磨していきますよ。
看板は道楽ではなく、一代でのし上がった兄弟が生き残るための戦略だった。分院展開はせず、横浜と八王子の地域密着型の歯科医院として地道に努力を重ねた結果、行きついた道でもあった。それを知れば、ど派手で奇抜な看板が、違った味わいに感じられるのではないだろうか。
【Hisakazu Kinuta】
1964年、福島県生まれ。日本歯科大学卒業。1992年、神奈川県横浜市にてきぬた歯科を開院。技術力が高い評価を得ており、年間症例実績2700本以上と神奈川県内で圧倒的な成果を誇る。1998年、神奈川インプラントセンターを開設し後進の育成にも注力
【Yasukazu Kinuta】
1966年、栃木県生まれ。日本歯科大学卒業。1996年、東京都八王子市にてきぬた歯科を開院。スウェーデンのインプラント専門誌『INside』にて、日本で最も多くインプラントを手がける医師として紹介される。’23年より「足利みらい応援大使」を務める
取材/D.J.マメ 文・構成/中野 龍 安羅英玉 写真/黒田 明 金 哲基
【中野 龍】
1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿
―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
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