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 トルコ南部にある12,000年前の新石器時代の遺跡「ギョベクリ・テペ」に残された彫刻は、世界最古の「太陰太陽暦」である可能性があるそうだ。

 イギリス考古学者チームによれば、そこにある石柱に刻まれた彫刻の一部は、当時の人々が太陽や月のサイクルを観察していたことを示しているだけでなく、地球の環境を激変させた彗星の衝突の記録であるとも考えられるという。

 この衝突は、その後の人類の生活様式を大きく変貌させ、農業の発達や文明の始まりへとつながる重要な出来事だったそうだ。

【画像】 ギョベクリ・テペの彫刻に彗星の衝突の記録が

 トルコ南東部、シャンルウルファ郊外の丘にある「ギョベクリ・テペ」は、世界最古の神殿複合施設とされる遺跡で、石に彫刻されたシンボルや彫像を特徴としている。

 長い間考古学者たちを魅了してきたこの遺跡だが、このほど英国エディンバラ大学のマーティン・スウェットマン氏らは、こうした彫刻の一部がじつは天文学に関係している可能性があると主張している。

 それだけではない。ある石柱の彫られた彫刻は、過去に起きた壊滅的な出来事を伝えている可能性もあるという。それは約13,000年前(紀元前10,850年頃)に起きた彗星の衝突だ。

 研究チームによるなら、この出来事は、その後1200年以上続いた小氷期のきっかけとなり、環境を激変させ、いくつかの大型動物の絶滅につながったという。

 もちろん人間の生活様式にも変化をもたらし、農業の出現をうながし、最終的には西アジアの肥沃な三日月地帯における文明の誕生につながった。もしも本当ならきわめて重要な出来事ということになる。

[もっと知りたい!→]新石器時代の遺跡、ギョベクリ・テペには高度な幾何学的知識が使用されていた(イスラエル研究)

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ギョベクリ・テペの遺跡 / image credit:Dosseman / WIKI commons CC BY-SA 4.0

世界最古の太陰太陽暦が記されていた可能性

 スウェットマン氏らによると、鍵となるのは「ピラー43」や「ハゲワシの石」と呼ばれる石柱に彫られたV字形のマークだ。

 各V字は1日を表しており、全体としては365日の暦を構成している可能性があるのだという。

 これが正しければ、ギョベクリ・テペの当時の住民たちは、太陽の動きを追い、それを記録していたということになる。

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ピラー43(ハゲワシの石) / image credit:

 それだけではない。ギョベクリ・テペの彫刻は、月のサイクルも組み込まれているように思えるという。

[もっと知りたい!→]失われた文明の証拠か? 古代の芸術作品に登場する6本指をもつ人々の謎

 このことから、柱の彫刻は知られているものとしては世界最古の「太陰太陽暦」であると研究チームは主張する。

 この仮説が正しければ、ギョベクリ・テペの暦は、これまでの太陰太陽暦より数千年も古いもので、この遺跡を作った人々には高度な天文学的な知識があっただろうことを示している。

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ギョベクリ・テペの柱43の中心部分の詳細 / image credit:Martin B. Sweatman、doi: 10.1080/1751696X.2024.2373876

 この暦で1つユニークなのは、夏至が特別な日として描かれていることだという。

 この日に対応するV字は、鳥と思われるレリーフの首に掛けられているのだ。この鳥は夏至に関係する星座を表していると考えらえている。

 同様のV字マークは、近くにあるほかの像にも見られ、ギョベクリ・テペの文化や宗教に追いて重要なものだった可能性がある。

すでに高度な天文学の知識があった

 ギョベクリ・テペで発見された古代の暦は、当時の人々が天体の動きについて深く理解していたことをも示している。

 例えば「歳差運動」だ。これは地球の自転軸がコマの軸のように揺れる現象のことで、星座の動きにも影響を与える。

 同様の知識は、紀元前150年にギリシャ天文学者ヒッパルコスが記しているが、ギョベクリ・テペのものはそれよりずっと古い。

 またある柱には、おうし座流星群と思われる描写もある。みずがめ座うお座の方向から発生し、27日間にわたって飛来したそれは、地球に衝突した彗星の破片の発生源だとされている。

 ならばギョベクリ・テペの人々は、その危険性を知っており、将来のためにそれを記録し、予測しようとした可能性すらあると研究チームは主張する。

 それはやがて、天文学的な出来事を中心とする新しい宗教や信仰を生み出したのかもしれない。そうした宗教的・文化的な変化が、初期文明の発展において重要な役割を果たし、彗星衝突後の社会や農業に大きな影響を与えた。

 今回の発見は、当時のギョベクリ・テペの人々が、想像以上に高度な天文学の知識を持っていただろうことを明らかにしている。

ギョベクリ・テペの住民が熱心に空を観察したのは、彗星の衝突によって彼らの世界が壊滅的な打撃を受けたことを考えれば当然でしょう。

この出来事が新しい宗教を生み出し、寒冷な気候に対応するために農業の発展をうながしました。これが文明が始まるきっかけになったのです。

また観測したものを記録しようという試みが、文字の発明の第一歩だった可能性もあります(スウェットマン氏)

 ギョベクリ・テペは天文学や文明の始まりの地だったのだろうか? それは今後の研究で明らかになるだろう。

 この研究は『Time and Mind』(2024年7月24日付)に掲載された。

References:Gobekli Tepe’s Carvings Represent World’s Oldest Solar Calendar, New Research Suggests | Sci.News / The legendary Gobekli Tepe site could be the world's earliest solar calendar / World’s Oldest Calendar Claimed Found at Gobekli Tepe / written by hiroching / edited by / parumo

 
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ギョベクリ・テペ遺跡の1万2000年前の彫刻は、世界最古の太陰太陽暦かもしれない