19世紀のおよそ3分の2、産業革命真っただ中の英国を統治したヴィクトリア女王。9人の子供たちがいた彼女が、その子供たちへの愛情を、一風変わった形に残していた。
それは幼い子供たちの手や足をかたどった大理石の彫刻である。本物そっくりに作られた愛くるしい手足は、彼女の母性愛の現われのようだ。
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幼い頃の子供たちの手足を大理石の彫刻に残した女王
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ヴィクトリア女王(1819-1901)は、1837年から1901年までイギリスを統治したイギリス・ハノーヴァー朝第6代女王だ。
彼女の治世は「ヴィクトリア時代」と呼ばれるイギリスの黄金期を象徴する。
この時代、イギリスでは産業革命、帝国の拡大、科学と文化の発展が進んだ。
彼女は夫アルバート公との間に9人の子供をもうけ、その多くがヨーロッパ各国の王室と結びついたため、「ヨーロッパの祖母」とも称されている。
強い意思と保守的な価値観で知られ、イギリス社会に大きな影響を与えた。
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このケースに入った腕は、生後3か月当時のルイーズ王女の左手をかたどったもの。説明書きには1848年と書かれている。
よく見ると、親指と人差し指で何かを持っているみたいだ。
こちらは次男のアルフレッド王子のものとされる左腕。
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さらにこちらは長女ヴィクトリア王女の足。
これらの彫刻は、彫刻家メアリー・ソーニクロフトの手によって作られた。
メアリーは主に大理石の彫刻を得意としており、細部まで忠実に表現するのが作風だった。
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女王の子供たちの身体の一部をそのまま写し取って作品に仕上げるには、うってつけの芸術家だったのだろう。
1846年にFranz Xaver Winterhalterによって描かれたヴィクトリア女王一家。
左からアルフレッド王子、アルバート皇太子(のちのエドワード7世)、ヴィクトリア女王、アルバート公、ヴィクトリア王女、生まれたばかりのヘレナ王女、アリス王女。
子供たちの歯や靴もコレクションしていた女王
ヴィクトリア女王は彫刻だけでなく、子供たちの歯や、ファーストシューズもコレクションしていた。
末っ子のベアトリス王女の乳歯で作った、フクシアをかたどったペンダントとイアリングのセット。
アルバート皇太子が、生まれて初めて履いた靴。大切に保管されていたようだ。
裏には「プリンス・オブ・ウェールズ(英国皇太子)が初めて履いた靴~1842年7月」と書かれている。
興味深いことに、ヴィクトリア女王は大理石の彫刻が「生きている」瞬間をとらえているのに対し、鋳造されたものは死んだ手足のように見えると考えていたらしい。
ヴィクトリア朝の頃と言えば、亡くなった人をまるで生きているように写す「遺体の記念写真(ポストモーテム・フォトグラフィー)」が流行した時期でもある。
現代人が見ると一瞬ギョッとしかねない幼児の腕や足の彫刻も、当時の人々にとってみれば、子供たちへの愛情の証以外の何物でもなかったのだろう。
メアリーは後にヴィクトリア女王の第四王女ルイーズに彫刻の指導をしたという。ルイーズ王女はその後、彫刻家としても名を上げることになった。
ルイーズ王女自身の手で、母ヴィクトリア女王の即位50周年を記念して作られた戴冠式の像。
「ヨーロッパの祖母」と呼ばれ、9人の子供たちを育て上げた女王
子供の死亡率がまだ高かった当時にあって、ヴィクトリア女王の子供たちは全員が成人し、ルイーズ王女以外は子孫を残した。
王女たちはそれぞれヨーロッパ各国の王室や貴族に嫁ぎ、孫が41人、ひ孫は37人誕生したという。後にヴィクトリア女王はマリア・テレジアやアリエノール・ダキテーヌと並び、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるようになった。
ヴィクトリア女王というと、あまり子煩悩ではなかったイメージがあるかもしれないが、単に愛情表現が苦手だっただけとも言われている。
9人もの子供たちの母となり、幼い頃の思い出を彫刻に残したり、子供たちの乳歯をペンダントにしたりと、実は子供たちを愛してやまない優しい母親だったのかもしれない。
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