出産を経て我が子を迎えると、睡眠もままならないボロボロの身体で赤ちゃんのお世話がスタートするのが現実。ホルモンバランスの乱れも相まって、「マタニティブルーズ」や「産後うつ」を発症するケースも多い。出産後の女性の誰にでも起こりうる「産後うつ」を経験した漫画家の藤嶋マル(@marufujishima)さんは、発症から自死を望んだ瞬間もあったほど苦しんだ日々や、それをどのようにして乗り越えたのかについて、漫画「産後うつになったけど今は元気に子育てしてる私の話」としてTwitter(現X)などで発信している。今回はそんな藤嶋さんに貴重な体験談を聞かせてもらった。
■妊娠中に卵巣のう種が判明。不安を感じやすい、ネガティブな妊婦だった
まず、産後うつとは何なのか。藤嶋さんによると、「産後うつというのは産後の心身不調の状態の総称で、ある一定期間に精神科・心療内科の受診が必要な精神疾患の状態の事を総じて『産後うつ』と呼ぶのだそうです。私は自律神経失調症と診断されましたが、うつ症状やパニック症状、双極性障害など、様々な診断をされる方々がいらっしゃるようです。私は、初期はうつ症状・パニック症状的な状態で、後半は自律神経失調症の病状が大きかったのだと思います」
藤嶋さんは現在、元気に2人の子どもを育てているが、1人目の出産後に産後うつになった。出産前に不安を感じていたことを聞くと、「1人目を妊娠した後に、卵巣のう種があることがわかったのですが『悪性(つまりガン)』ではないかという疑いがあり、MRIで検査しました。結果的には大丈夫でしたが、告げられた時や検査中はやはり怖くて不安でした。また、妊娠中に尿漏れがひどく、外出するとおおげさでなく15分ごとぐらいにトイレに駆け込んでいたので、外出すること自体を躊躇してしまったりと、全体的に不安を感じやすいネガティブな妊婦だったと思います」と明かしてくれた。
作品内でも描写があるが、一般的に産後うつは「多くの場合、産後数週間から数ヶ月以内に発症する」とされている。藤嶋さんが心身の不調を感じ始めたのはいつごろだったのだろうか。「出産後に高血圧になり入院が長引き、入院中不眠がずっと続きました。退院する前日の入院7日目夜に初めて母子同室した際につらくて泣いてしまい、退院日の8日目には看護師さんの話が聞き取りづらい、急に何でもない場面で涙が出てくるなど『あれ、おかしいな』と思いました。つまり、出産して8日目にすでに不調を感じ始めていたことになりますね」
■「赤ちゃんの泣き声が怖い、存在が怖い」ことが何よりもつらかった
出産後、自宅に戻り本格的な育児がスタートするなか、過呼吸のような症状と動機が激しくなる症状が出たため「肺や心臓に問題があるのでは」と、病院に相談に行った藤嶋さん。そこで初めて心療内科の受診を勧められたという。
「本当に動揺しました。心療内科ってことは『私の心とか精神的な話なの?心療内科や精神科はもっと繊細な人が抱え込んでつらくなって行くところでは?思ったことは口に出す私のような図太い奴が何故?』と思いました。全く自覚していなかったので寝耳に水のような感じでした。また、ワンオペで育児をして大変な人ならまだしも、家事は義母に、赤ちゃんも旦那が一緒にお世話してくれている自分のような人間が心療内科に行かなければいけないなんて、本当に何かの間違いではと思っていました」
そんな心の葛藤もあり、「心療内科なんて大げさでは。もう少し様子をみたい」と旦那さんにも話をして、心療内科、精神科への受診が遅れてしまったそうだ。
当時一番つらかった出来事や症状は、「自分が産んだ赤ちゃんに恐怖を感じる」ことだったという。「泣き声が怖い、存在が怖い、そう感じる自分の事も信じられないという感じで絶望的な気持ちでした。とにかくお世話はしなければいけないので、恐怖を感じながらオムツ替えや授乳を続けて、義母や旦那にも恐怖を感じていることは悟られないように必死でした。また、認知機能が落ちていて『何の服を着たらいいかわからない』『いつ授乳したのか時計を見てもわからない』という、霧が立ち込めている不思議な国に迷い込んだような奇妙な感覚があり、これもまた絶望しました」
■焦らず絶望しないで、「感謝の気持ち」を持って周りに助けを求めることが大事
作品を読んでいくと、友人と電話で話したことが回復への第一歩になったという印象を受ける。「確かに友人に電話して自分の心情を吐露できたことは大きな出来事だったと思います。産後うつで心療内科に行った、他の人はひとりでだって子育てできているのに自分はできなくて弱いのが悲しい、身体がつらい、しんどいなど、何も考えずに感情のままに話したのですが、それを友人がただうんうんと聞いてくれて『産後はホルモンバランスが崩れるからだ、ホルモンバランスが全部悪いのであって、あなたはそれに振り回されているだけだ、あなたはがんばっている』とひたすら繰り返してくれて、電話が終わった後はびっくりするぐらい心が軽くなりました。本当にありがたかったです。『人に話す』だけでもこんなに違うのだなと」
産後1ヶ月と17日目に精神科を受診した藤嶋さんは、先生に「休むこと」や「罪悪感をもたないようにすること」を心がけるようアドバイスされた。意識して行っていたことを具体的に聞いた。「『助けてもらう』ことを積極的・能動的に行ったと思います。自分が回復するためには休まなければいけない→休むためには旦那や義母に赤ちゃんのお世話をお願いしなければいけない→そこで『罪悪感』が生じそうになったら『感謝の気持ち』に切り替えて休ませてもらう、という意識を常に自覚して忘れないようにしていました」
また、駅のホームで電車を乗り過ごした時に「ああ、電車が去ったことも気が付かなかったなんて自分ってやっぱり通常の状態じゃないんだな、病気の自分が赤ちゃんのお世話をミスして命を危険にさらすリスクが高いよりは、しっかりしてる義母と旦那に赤ちゃんのお世話を手助けしてもらった方が赤ちゃんのためにもなる。申し訳ないとか罪悪感とか言ってる場合じゃないぞ」とスイッチがカチッと切り替わる感覚があったそう。それがお世話をしてもらいつつ、休む覚悟を決めた時だったそうだ。「そこにつながるにはやはり『友人に電話してすっきりした』経験があり、人に助けてもらう効果を実感したからだと思います」
その後藤嶋さんは少しずつ体調も回復し、出産から1年と8日目に精神科への通院も終了。改めて産後うつで悩んでいる方に伝えたいことを聞いた。「産後うつという状況下に置かれたとしても焦らず絶望しないで、周りに助けを求めて下さい、とお伝えしたいです。私もそうでしたが、赤ちゃんのお世話をしなければいけないのに自分の心身の不調を感じると絶望するし、赤ちゃんは泣いていて混乱するし、『あっもうだめだ、生きられない、終わりだ』って思ってしまうのですが、そう思ってしまいやすい脳の状態になっているだけで、終わりじゃないです」
赤ちゃんのお世話に困難を感じるだけでなく、自分が日常生活を送ることに困難を感じる(例:気持ちが落ち込む、食欲がない、睡眠時間を確保しても眠れないといった症状が出る)ようになり、どう助けてもらえばいいかわからない場合は、出産した医療機関や産後の赤ちゃんの検診を行う保健所などに、産後うつかもしれないので具体的なサポートを受けたい旨を相談するのがいいと藤嶋さん。「自分で電話や連絡もできないという方は家族や友人、知り合いに頼んでも大丈夫。また、逆に相談を受けた家族の方や友人は『休めば治るのでは』とは思わず、医療機関や保健所、自治体の出産関係の科と苦しんでいる本人が確実につながるようにしてもらえればと思います」
■「自分だけじゃない」と思ってもらえるように、ずっとネットに置いておく
もともと10代で少年誌、20代で青年誌に創作漫画を投稿し、賞をもらって商業デビューを果たした藤嶋さん。なぜ産後うつの漫画を描いたのか、SNSに投稿したきっかけを聞いた。「なかなか連載にいたらず、漫画家のアシスタントをしつつ児童書の挿絵仕事をメインに活動していたんです。そんな中で産後うつになり、その後は精神科に一年ほど通院したのち元気になっていたものですから、産後うつのことは『過去のこと』と思っていました。ところがコロナ禍に入って、『産後うつ増加懸念』というニュースをたまたま目にし、『自分が経験した地獄に今いる人たちがいる。しかもコロナ禍だから、周りの人に助けてもらいにくい状況だ』と思った瞬間、他人事でないような危機感というか、自分でも感じたことがないぐらいの『ふざけんなよ』というような怒りがこみあげてきました」
この怒りというのは、自分も含めて命がけで出産育児をしている人間が「何でこんな目に遭うんだ?」という理不尽さへの怒りだったそうだ。「その怒りのパワーで、育児中は中断していた『漫画を描く』という手段を使い、育児の隙間時間に描きました。私が出産した2016年は、産後うつ当事者の手記の本を見つけられなかった(医療者向けの論文はありました)ので、『こんなの世界中で私だけかも』とまで思ったものです。その後いくつか産後うつの体験をブログで綴っている方を見つけて、自分だけじゃないんだなとホッとしたことが印象に残っています。その気持ちを思い出して、ネットなら『産後うつ』で検索して困っている人がアクセスしやすいかもと思い、最初はTwitter(現X)、次はnote、pixivなどのSNSに投稿しました」
最後に今後の活動の展望や読者の方へのメッセージを聞いてみると、「初めて創作漫画ではなくコミックエッセイを描きました。『自分の日常生活のことを語る』のが得意ではない私が、怒りのパワーがあったとはいえ、自身を題材にしたコミックエッセイを今回描き切ったことに自分でびっくりしました。Twitter(現X)で確実に読んでくださっている方がいるという実感がなければ続けられなかったと思っています。今はもう創作漫画の制作の活動に戻っていて、漫画を描いて発表しています」と答えてくれた。
「『産後うつになった』というと、特に妊娠している方や妊娠を望む方は『自分もそうなることがあるのかな?』と怖く感じると思います。でもあくまで一例としてこういうケースがあった、産後うつになったことがある人間がここにいます、産後うつになっても終わりじゃないというのをお伝えしたくて、この漫画は誰でも自由に読めるようにずっとネットに置いておき、たまに自分のSNSで流していくという風にやっていこうと思っています」
藤嶋さんは、妊娠している方や今現在精神疾患を抱えている方へ不安な気持ちを決して煽りたくないと、タイトルも「…けど今は元気に子育てしてる私の話」と題したと言う。
「出産前は『自分が心療内科や精神科にお世話になるはずない』と思っている人でも、いざ産後に心身の不調を感じた時に慌てないように、前もって精神的に不安定になったらどこに連絡すればいいのかなどを調べておくことが大切だと思います」
取材・文=日高ケータ
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