総務省は2023年1月18日、NHKが4月から受信料の不払いに対するペナルティである「割増金」を2倍にする旨の「放送受信規約」を認可しました。受信料制度についてはかねてから「憲法違反」との指摘もあります。そこで、受信料制度の是非について判示した最高裁判所の判例を取り上げ、その論理と妥当性、および今回の「不払い割増金2倍」ルールの合憲性について検証します。
受信料制度を「合憲」とした最高裁判例の論理とは
まず、最高裁が、受信料の強制徴収の制度をいかなる理由によって「合憲」としたか、解説します。
判例の事案は、NHKが、受信契約と受信料の支払いに応じない男性に対し受信料の支払を求めたものです。争点の一つが、NHKの受信料の強制徴収の制度(放送法64条1項)が憲法13条(幸福追求権)、21条(表現の自由)、29条(財産権の不可侵)等に違反しないかということです。
この事件において、最高裁は、受信料の強制徴収の制度は合憲であるとの判示を行っています(最判平成29年(2017年)12月6日)。
その論理構造は、おおむね以下の通りです。
・放送は国民の知る権利(憲法21条)を充足し、健全な民主主義の発達に寄与するものとして、国民に広く普及されるべきものである。
・放送の不偏不党、真実及び自律を保障することにより、放送による表現の自由を確保する必要がある。
・そのために、「公共放送」と「民放」が互いに啓蒙しあい、欠点を補いあうことができるように、二本立ての体制がとられている。
・NHKは「公共放送」であり、国家権力や、広告主等のスポンサーの意向に左右されず、民主的かつ多元的な基盤に基づきつつ自律的に運営される事業体として性格づけられている。
・したがって、放送法は、NHKが営利目的として業務を行うことや、スポンサー広告の放送をすることを禁じており(放送法20条4項、83条1項)、その代わりに、財源確保の手段として、受信料の制度が設けられている。
・受信料の金額については毎事業年度の国会の承認を受けなければならず、受信契約の条項についても総務大臣の認可・電波監理審議会への諮問を経なければならないなど、内容の適正性・公平性が担保されているので、そのような受信契約を強制することは目的のため必要かつ合理的である。
上記の通り、最高裁が受信料の強制徴収の制度を「合憲」と判示した最大の論拠は、NHKの公共放送局としての「公共性」「非営利性」「独立性」「公正性」にあります。
受信料の制度はそれらの理念を実現するために必要なものであり、目的の正当性が認められるということです。
すなわち、民放のように財源を広告収入に頼ると、スポンサーや特定の社会的権力の意向を気にしなければならなくなり「公共性」「非営利性」「独立性」「公正性」が脅かされる、だからこそ国民からの受信料を財源とする制度が必要だということです。
受信料を国民から集める制度が必要だとすると、次に問題となるのは、強制徴収制度という手段が、目的達成のため合理的といえるかということです。
放送受信規約は国会の承認、総務大臣の認可といった民主的な手続きを踏んでおり、内容の適正性・公平性が担保されているので、上述した正当な目的達成するため必要かつ合理的な制度であるとしています。
ここで、察しのいい読者の方は気付くかもしれませんが、最高裁は、受信規約の「中身」についてほとんど審査していません。その理由は、裁判所が国会(立法府)・政府(行政府)の裁量を尊重しなければならないとの前提に立っているからです。
どういうことかというと、国会は、国民により選挙された国会議員で構成されています。また、政府は「議院内閣制」の下、国会で選出された内閣総理大臣が組織しています。したがって、「国民→国会→内閣(政府)」という形で、「民主的コントロール」が及んでいるという建前があります(現実にそうなっているかという議論はここではひとまずおいておきます)。
これに対し、裁判所は「立法・行政・司法」の「三権」のなかで唯一、「民主的なコントロール」が及んでいません。
それは、「法の支配」といって、法の解釈・適用については多数派の意見よりも厳格な専門性の方が重要だという建前があるからです(くどいようですが、現実がどうなっているかは本記事では一切立ち入りません)。
したがって、裁判所はあくまでも「法の解釈・適用」に徹することとし、国会の「立法裁量」や政府の「行政裁量」を基本的に尊重して「当・不当」の問題には基本的に踏み込まないことにしているのです。
「受信料不払い割増金2倍」を判例の基準で判断すると?
このような判例の判断枠組みを前提とすると、今回の総務省が「NHK不払い割増金2倍」を認めたことは、憲法上、どのように判断されることになるでしょうか。
不払い割増金を2倍にする「放送受信規約」は、受信料制度を維持するという目的に沿うものであり、正当ということになります。
また、「国会の議決」「総務省の認可」という所定の手続を経ています。
したがって、基本的には「合憲」と判断されざるをえないということになります。裁判所は、ことさらに内容の是非にまで踏み込むことができないからです。
しかし、判例の論理を根本で支えている前提は、NHKという公共放送局の公共性、非営利性、独立性、公正性といった特殊な位置づけです。それが国民の知る権利(表現の自由と表裏一体であり不可欠なものとされる)に資するからこそ、受信料の強制徴収の制度は正当化されているにほかなりません。このことは、NHKの受信料制度に対する賛否にかかわらず、当然の前提です。
その前提が崩れてしまえば、判例の論拠はたちまち失われることになります。
たとえば、NHKが時の政権や特定の政党に忖度するようなことがあってはなりません。しかし、2014年に当時のNHKの会長が、「政府が『右』というものを『左』というわけにはいかない」「(放送内容が)日本政府とかけ離れたものであってはならない」などと発言したり、政治家の圧力の存在が取り沙汰されたりするなど、NHKの存在意義の根幹にかかわるような不祥事・疑惑が起きています。
また、1950年の放送法制定当時は放送局の数が限られているうえテレビも普及していませんでした。しかし、それから70年あまりが経過し、今日では多チャンネル化・IT化が進み、テレビの役割・影響力が相対的に低下しています。そのなかで、NHKだけをことさら受信料制度によって支えるのは過度の優遇ではないかという指摘もあります。
以上を考慮すると、最高裁判例の論理は、実態に即していない、古色蒼然とした「公共放送の理念」を前提としているという見方もあります。しかし、上述したように、最高裁判所は「法の解釈・適用」という司法権の役割を誠実に果たしただけともいえます。
また、他方で、多チャンネル化・IT化が高度に進んだ結果、誤った情報が瞬時に多くの人に無批判に広まるなどの危険性が増大しており、だからこそ、高度に「公共性」「非営利性」「独立性」「公正性」を保障された公共放送の存在意義がより高まっているとの見方もあります。
いずれにせよ、放送法におけるNHKおよび受信料の位置づけについて、国会(立法府)、政府(行政府)が再検討を加えるべき時期がきているといえそうです。
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